2015年12月7日月曜日

 札幌市の友好都市   中国瀋陽市を訪問して 札幌市議会議員 坂本恭子


  11月10日から13日まで、中国の瀋陽市への友好都市提携35周年記念事業の訪問団の一員として行ってきました。
 さすが、遼寧省随一を誇る都市です。降り立った空港は最近新しくなったばかりで素晴らしいものでした。隣に建っている旧空港はこれから取り壊し、さらに空港を拡張するとのこと。市街地に向かう高速道路は車であふれかえり、瀋陽市では1日300台の高級外車が売れていて、渋滞と排気ガスが問題となっており、さらに石炭の排煙とPM2・5は大きな課題であるのは承知のとおりです。
 今回の訪問団は、市長、市議会、市民など約60人で、4日間の日程で、記念式典や環境ビジネス交流、都市企画展示館視察、瀋陽師範大学での地元学生との交流など、内容豊かで非常に勉強になりました。
 札幌の11倍の面積で840万人が暮らす大都市は、今後5年あまりで新たな地下鉄を2系統(現在は2系統あり、乗車しましたが、新しく立派な車両と駅でした)と高速道路も何本も整備し、超高層ビルの建設がいくつも予定されているそうです。日本や札幌市内の企業が進出を検討しているとのことで、師範大学の学生も日本企業に就職したいと希望を述べていました。
 しかし、市街地を離れ、一歩通りに入ると、私が生まれた、1960年代の日本を彷彿させる庶民の暮らしが目に飛び込んできます。
 郷愁とともに今後の瀋陽市の発展に目が離せません。
                                 趙長義さんと坂本市議

2015年12月4日金曜日

『生きる 劉連仁の物語』  森越智子さんから札幌支部にFAⅩが届きました。紹介します。

前略。劉連仁さんの墓参の旅では大変お世話になりました。
 また、拙書『生きる 劉連仁の物語』について特段の配慮いただき感謝いたします。
 さて、拙書『生きる』について、その後についてご報告いたします。
 戦後70年の節目の年であることもあって、お蔭様で様々なところからの反響があり、関係各誌の書評等で取り上げられた他、以下の通り推薦・選書・コンクール課題図書に選ばれました。
◎課題図書・推薦
2016年佐賀県新春読書感想文コンクール課題図書(中学生)
北海道学校図書館協会 平成27年度冬休み推薦図書(小学生高学年)
北海道学校図書館協会推薦図書
全国学校図書館協議会選定図書
日本子どもの本研究会選定図書
学校図書館整備協会選定図書
図書館振興財団選書 推薦文 https://wwww.toshokan.or.jp/sensh                                    o/detail.php?recid=17282
◎書評
日本児童文学 2015年11・12月号 宮川健郎 2015年11月10日
こどもとしょかん147号(東京子ども図書館刊)2015年10月20日
図書館振興財団 選定推薦 2015年10月16日
こどもの本(日本児童図書出版協会)2015年9月1日
しんぶん赤旗(日曜版)2015年8月30日
北海道新聞 2015年6月26日、8月15日、9月27日
学校図書館 速報版(全国図書館協議会:発行)2015年8月15日
日本農業新聞 2015年8月15日
新婦人しんぶん 2015年8月6日
日中友好新聞 2015年8月5日

 更に、今般、日本子どもの本研究会児童文学研究会課題テキストにも選ばれました。これも皆様のご支援のおかげと心から感謝申し上げます。また、沢山の方から、この本によって太平洋戦争中の中国人強制連行の事実を初めて知ったというお便りを頂き、次世代に伝える努力に対してお褒めの言葉を頂戴しました。
 アジア諸国との新しい関係を作るのには、まず歴史的事実を知ることだという認識に多くの人が立っています。本書がその一助にわずかでもなれたことがなによりうれしいです。
まだ、出版して4か月ですが、これからも一冊ずつ手渡していけたらと思っております。是非会員の皆様にもお薦めいただけますよう改めてお願い申し上げます。
 日中の友好と平和な世界をつくるために。
 取り急ぎご報告とお願いまで。 2015年11月18日 森越 智子

2015年12月1日火曜日

準会員(日中友好新聞読者)を 6人増やす

日本中国友好協会札幌支部は、11月17日、支部理事会を開き、今までの主な活動の総括を行うとともに、9月から11月の間を「組織拡大強化特別期間」と位置づけ、全国的に会員や準会員の拡大に取り組んできました。
 組織の拡大強化
 札幌支部は、近年、転居・退職、高齢や生活苦などを理由に、会員や準会員の減少傾向が続いています。
 支部理事会は、このことを討議・検討し、理事を先頭に会員・準会員の拡大に取り組むことを決め奮闘しました。
 11月末までに6人の準会員が増えました。引き続き、会員や準会員の拡大目標を5人として、また、「研究中国」誌の拡大も取り組んでいきます。
  年末募金のお願い
 支部理事会では、年末募金に今年も取り組むことを確認。春の支部総会で確認した20万円の募金目標を掲げ、会員や準会員の皆様にもご協力をお願いすることにいたしました。
 日中友好協会のカレンダー「悠久の旅」の普及にも取り組んでいくことを確認。
11月末現在残本数が10本になりました。ご協力を特段にお願いします。
    新年交流会
 来年1月27日(日)正午からKKRホテル札幌で恒例の新年交流会を5千円会費で札幌支部と北海道支部連合会との共催で開催することを決定しました。
 11月10日の道連理事会で確認した、道連総会を来年4月24日(日)札幌のかでる2・7 で開き、第51回中国人殉難者全道慰霊祭を6月26日(日)を仁木町の中国烈士園で開催することを支部としても確認しました。

第1回 全国理事会

 64大会期第1回理事会が11月14・15の両日に東京で開催されました。
 長尾光之会長の開会挨拶、の後、情勢や不再戦平和活動・中国百科検定などの諸議案と組織拡大強化期間や財政問題などについて提案と討議が行われました。
 2日の冒頭、約1時間、中野晃一上智大学教授が立憲デモクラシーの会や戦争法案反対の若者たちの参加やその若者たちがどうメッセージを伝えるかなど工夫をしていることなどを紹介しながら講演。大変有意義な講演でした。
 苫小牧支部の伊藤貞市支部長は、望郷の鐘の上映運動などの取り組みについて、釧路支部の原聰事務局長は、矢臼別演習場での米海兵隊の実弾演習と反対する運動、その中での準会員2人の拡大の教訓について発言。
 札幌支部の小川勝美理事長は、札幌での中国百科検定の取り組みなどについて発言しました。
 理事会は、来年6月の大会を東京で開催することを決め、「戦争法」の廃止を求めて全力をあげて行動する決議(案)を全会一致で採択して終了しました。
開会挨拶をする長尾会長

 講演する中野晃一教授

2015年11月10日火曜日

第16回北京体育大学太極拳研修会に参加して 札幌支部事務局長 三木ふみよ

10月2日から7日まで、恒例の北京体育大学太極拳研修の旅へ、札幌支部から沖田洋子、三木ふみよの両名が参加しました。全国から総勢34名が参加。
 出発当日、北海道は台風の影響で、朝9時発の羽田行きは欠航するものと覚悟していましたが、意外にも順調に飛び、羽田2時発北京行きに間に合いました。
 「国慶節ブルー」といわれる国慶節の休みの期間、PM2・5も姿を消し、さわやかな秋空に恵まれました。今年は円安のため、1日短い4日間の研修となりましたが、毎日の練習時間を1時間増やし、却って充実したものとなりました。
 我々2人は、昨年1年間東京に留学され、札幌にもお呼びした武冬先生の陳式を学びました。陳式の攻防をふたりずつ組んで対練形式でつないでいき、大変難しいものでした。
 全員、朝6時半からの朝練に参加して何とかマスターしようと真面目に取り組みました。見えない丹田を動かして陳式をする。武冬先生は我々に高い水準を求めているのだと感じました。日本で1年間教えたのだからこれ位できるはずだということなのでしょうか。
 練習の中日、5日は、自由時間で、三木は8人の仲間たちとバスと地下鉄に乗って西単の大型書店(図書大廈)へ行きました。
 その書店には、喫茶店が併設されていて、今まで地べたに座って本を「座り読み」していた中国人が、1人ずづ静かに高いコーヒーを飲みながら本を読んでいる新しい光景を見つけました。我々8人団体の方が騒がしく恥ずかしい思いをしました。
 中国に新しい文化が生まれつつあると感じました。

 愛知・大附飛行場中国人強制連行問題で 岩田地崎建設本社への申し入れと交渉

愛知強制連行・大附飛行場被害者を支援する会(代表石川勇吉氏)は、10月29日、岩田地崎建設本社を訪れ、強制連行に対する謝罪と補償などを求めて申し入れと交渉しました。
 この交渉には、田中貴文弁護士と支援する会の石川代表など愛知からの交渉団9人と27日武漢の生存者から直接「訴え」を聞いた札幌の木村玲子さんなど15人が参加。日中友好協会札幌支部の小川勝美理事長と影浦貞宏事務局次長が参加しました。
 岩田地崎建設は、執行役員・総務部長加藤宏史氏始め4人が対応しました。
 申し入れに対して加藤総務部長は「当社に事実はあった」「被害者に哀悼の意を表します」「国策から出発したが我々に何ができるか、間口を広げて後ろ向きでなく対応」しかし「現時点では裁判の結果、スタンスは変わらない」と答えました。後日、文書で正式回答をもらうことになりました。
 この交渉の内容などを、大通西4丁目で愛知県の富田理事長と札幌支部の小川勝美理事長がハンドマイクで街頭から報告し、参加者が支援する会のビラを通行人に配布しました。
 岩田・地崎建設との交渉

            大通西4丁目で報告する富田好弘愛知県連理事長

懇談会に44人が参加

慰霊の集い終了後、室蘭市中小企業センターの大会議室で懇談会が開かれ44人が参加しました。
 最初に、DVD「証言 中国人強制連行」を上映、続いて「中国人強制連行犠牲者の遺骨発掘時(1954年10月9日)のビデオ」を視聴しました。
 挨拶に立った中国駐札幌総領事館の高立仁領事は「強制連行についての映像は中国で観たことはあるが、日本が作ったビデオを観るのは初めてです。中日友好と再び戦いはしないということがこのビデオを観てよくわかります。両国の友好は永遠に続けていくことを固く信じています。中国からの北海道への旅行者は昨年は10万人ぐらいでしたが今年は倍になるでしょう。北海道の華僑華人は8000人、留学生は5~6千人、研修生は3千人ぐらいいます。私も中日友好に努力していきたい」と述べました。
挨拶される高立仁領事

第23回 10・9中国人殉難烈士慰霊の集い 室蘭市中国人殉難烈士碑前にて

10月10日、午後1時から第23回「10・9中国人殉難烈士慰霊の集い」が開催されました。当日は、強い風が吹き寒い中でしたが、前日までの雨はあがり青空の下、全道各地から69人が参列し盛大に開催されました。
 札幌支部からは、小川勝美理事長、三木ふみよ事務局長、影浦貞宏事務局次長、重本雅江理事の4人が参列しました。
 開会し、全員で中国人殉難者の御霊に黙祷をささげました。実行委員会の松原剛代表が挨拶し、その中で「この9月東京の中国大使館から、当実行員会に対して感謝状をいただきました」と報告を兼ねて挨拶。その後、全員が順次献花をしました。
 来賓挨拶で、中国駐札幌総領事館の孫振勇総領事の追悼の言葉を高立仁領事が代読しました。室蘭工業大学中国人留学生校友会の依徳日会長が挨拶しました。 中国人殉難者全道慰霊祭の鴫谷節夫事務局長(日中道連会長)は、中国大使館程永華大使から感謝状をいただくとともに9月18日大使館で座談会と懇親会が開かれ参加したことを報告し、挨拶しました。
 室蘭市長と市議会議長のメッセージの紹介があり、室蘭合唱団「あすなろ」の追悼の合唱が行われました。続いて慰霊の太極拳表演が行われ、札幌支部の三木ふみよさんも表演しました。
 挨拶する松原代表                                                                                
献花し合掌する影浦貞宏氏
挨拶する鴫谷節夫会長
太極拳を表演する三木ふみよさん

2015年10月7日水曜日

  中華人民共和国成立66周年記念祝賀会

9月24日、札幌パークホテルで、中華人民共和国成立66周年記念祝賀会が開かれました。
 日本中国友好協会から、鴫谷節夫北海道連会長と伊藤貞市理事長が、札幌支部から小川勝美理事長、三木ふみよ事務局長、影浦貞宏事務局次長の5人が参加。
 孫振勇総領事に祝意を述べて会場に入場しました。
 会場正面の壇上に、「慶祝中華人民共和国成立66周年招待会」の一文字が掲げられていました。
 友好団体担当の曹帥領事の司会で開会しました。
 孫総領事は挨拶で「中国は経済的には世界第2位ですが一人当たりは80位以下です。引き続き経済発展を推し進めるとともに資源・環境面で大きな問題を抱えています」と述べました。また、「私たちはゆるぎない改革開放を推し進め、経済発展を推し進める一方、社会保障など全面的に発展させ、多くの人が経済発展の成果を享受できるよう努力します」と述べ、「中国は一貫して中日関係を重視してきました。この間、貿易は300倍に拡大してきました。北海道への観光客は昨年の2倍以上になっています」と紹介しました。9月3日の北京における「抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70周年」における習近平主席の演説を紹介しながら「歴史を鏡に未来を切り開いていきたい」と挨拶しました。
 来賓の挨拶の後、祝宴に入り、在日華僑の皆さんと交流し、孫総領事と記念撮影をしました。 


                                         挨拶される孫振勇総領事
                                           

                   左から伊藤理智子札幌市議、鴫谷会長、孫総領事、伊藤理事長,
    影浦事務局次長、小川理事長

 中国百科検定

 第2回中国百科検定は、
9月27日(日)、全国32か所の試験会場でいっせいに行われました。
 札幌会場は、かでる2・7で行われ、遅刻者や欠席者は無く、2級4人、3級16人の全員が受験しました。
 わずか8分で終了した人など、全員が早期に終了していました。

                                  
                                         札幌会場の受験者

 思いがけない中国大使館からの招待

大判の封筒が総領事館から届きました。一目見て、ああ今年の国慶節の招待だなと思って後で見ようと机の隅に置いて、あっという間に1週間が経ちました。
 思い出して手帳にメモしようと開封。出欠の返信用紙に交通手段(飛行機、新幹線、電車)、東京往復の交通費を負担しますと書いてあります。総領事館に行くのに、なんで飛行機?全く思いも寄らなかった招待です。事態がのみこめないまま改めてしっかり読み直しました。
 「本年は戦後70周年という記念すべき年にあたります。中国大使館は強制連行による中国人殉難者慰霊碑の設立、維持管理及び慰霊祭の開催など長年にわたってご尽力されたことに感謝し、中国と日本との永遠の平和と友好を願って、関係者の皆様と座談会及び懇親会を下記により開催します。ご多用の折と存じますが、1~2名のご臨席を賜りますようご案内申し上げます。
                                                                     中華人民共和国駐日本大使館
                                                                                    2015年8月吉日  」
 同封されていた「感謝状」には「中華人民共和国特命全権大使程永華」と署名がありました。もう間違いない。9月18日午後開催。連休を控えて切符は売切れやっとのことで日帰りで参加できました。
 座談会は時間が足りません。午後2時半定刻に始まりましたが、各団体5分で代表挨拶と慰霊碑紹介をということでしたが、それを守ったのは初めの6団体くらい(その内北海道が5団体)15分、20分などもあって全28団体の発言が終わったのは予定時刻を1時間も過ぎた午後6時半でした。予定されていた自由発言・討論も出来なくて、この中国人殉難者慰霊活動の本質的な課題は何かという討論が聞けなかったのは残念でした。
 戦後70年という節目の年に同胞のこととはいえ、中国が国家として私たちの慰霊活動を高く評価してくれたことは、大変有難く嬉しく思いました。同時にもう一つ私たちに「感謝状」を出さなければならないところがあるのではないかと心底から思いました。
 何も感謝状が欲しくてやっているわけではないが、4万人を強制連行し7千人殺した責任は日本政府にある。北海道では3047名も殺したわけだから、年一度の慰霊追悼行事を北海道として高橋知事が主宰して行うのが当然だと思います。
 そういう日本政府・北海道政を実現しなければならない。それまでこの全道慰霊祭をやめるわけにはいかないと中国大使館を出る時改めて決意しました。
                                         日中友好協会北海道連会長 鴫谷節夫

太極拳講習会

 札幌支部太極拳サークルでは、8月22日(土)、23日(日)の両日、東京本部より3年ぶり2度目の来札となる宇納めぐみ本部指導員を迎えて太極拳講習会を行いました。
 昨年は武冬北京体育大学教授、一昨年は高橋清枝院長の講習会でした。
 1日目は教育文化会館で、指導員対象に行い5人が参加しました。
 2日目は、一般の生徒さん対象に手稲区民センターにおいて行い、20人が参加しました。
 内容は二十四式でしたが、主に弓歩の足の運び方についてです。やはり、重心をうしろにひく時には、股関節の回りの筋肉(クア)を折り畳む様ににして座り、斜めに足を寄せる時にもこのクアを折り畳むことを強調されました。

2015年8月28日金曜日

8・15 反戦街頭宣伝行動

 戦後70年の2015年さっぽろ平和行動は、8月6日から9日まで、札幌地下街オーロラコーナー(大通西3丁目「道新通路」)で「戦争と平和を考える」パネル展(後援札幌市)が開催され、原爆と人間展を主体に展示しました。
 終戦記念日の8月15日は午前11時から30分間、三越前で、例年より多い50人を超える参加者で『「戦時中の召集令状」に「これが赤紙です」』と記したチラシを約千枚配布しました。
 赤紙の裏面には、憲法九条を守り、憲法違反の「戦争法案」を廃案にしようと訴えが掲載されています。 実行委員会の細川久美子委員長(平和婦人会会長)が戦争中のもんぺ姿で、「今赤紙を配布しています。手にとってご覧ください」「みんなが声をあげて戦争法案を廃案に追い込みましょう」と呼びかけました。長崎の原爆で被爆された方がその被爆体験を語りながら、戦争法案の廃案を訴えました。北海道原水協の嶋田千津子事務局長は防空頭巾をかぶり「赤紙」を配布。医労連の看護師は、右半分は今の白衣の看護師のスタイルで左半分は黒色の従軍看護婦の制服姿で、日赤の看護婦が5万人も従軍した歴史などを話し、戦争法案の廃案を訴えました。
 日本中国友好協会札幌支部からは、小川勝美理事長と影浦貞宏事務局次長が参加し、通行する市民の皆さんに「赤紙」を配布しました。
 15日正午のNHKの道内ニュースで小川勝美理事長がさっぽろ平和行動のピンクの法被姿で市民に「赤紙」を配布している映像を流し、さっぽろ平和行動の活動を報道しました。 

                 赤紙配布に参加した小川勝美・影浦貞宏の両氏

2015年8月25日火曜日

ベトナム戦争終結40年    ツーズー病院タン院長とドクさんとの市民交流集会


  8月5日、札幌の道新ホールで、「ベトナム戦争終結40年、枯葉剤の苦しみ今も」と題して、ベトナムのツーズー病院のタン院長とドクさんを迎えて、市民交流集会が開かれ、230人が参加しました。
 たかさき法律事務所の小池ちひろ弁護士の司会で始まり、6分間の映像「沖縄のベトナム村」を上映。沖縄にベトナムを模した村を作り、沖縄の人を借り立て、ベトナム人に模して、ジャングル戦の訓練を行っている映像でした。
 呼びかけ人を代表して、日本弁護士連合会の元副会長の髙﨑暢弁護士が「国民の多数が戦争法案の廃案を願っている。若者やママさんも反対に立ちあがっている。創価学会員も反対の声を上げ始めた」と紹介しながらタン院長とドクさんを迎え、さらに廃案まで頑張ろうと呼びかけました。
 タン院長は、米軍による枯葉剤の散布で、植物が枯れるだけでなく、土も水もそして汚染された魚を食べて手や足の無いこどもが生まれたことを生々しく語りました。
 10年前からアメリカを裁判で訴えているが何の回答もないと怒りを語りました。
 ツーズー病院には60人が入所する施設「平和村」がある。枯葉剤の2代目3代目です。と紹介しました。ここに海外からの訪問者、日本からもよく来られる。戦争が終わってから生まれるこどもに長く影響が出ると話し「皆で世界を平和にしましょう。世界から戦争を無くしましょう」と呼びかけました。
 ドクさんは「私は戦争の被害者で、兄のベトは2007年に死にました」と語り、「今生きているのは日本の先生のおかげです。1988年手術で2人に分けました。私はコンピューターを習い、平和村の社員になった。私は脳障害があるので3年のところを5年かけて学んだ。私は走れない。歩くのも大変です。結婚して2人のこどもがいます。上の子は小学校1年生になります。私は、日本がベトナムの病院などに支援してくれていることに感謝しています」と述べました。
 挨拶する髙﨑暢弁護士
報告する平和村のタン院長とドクさん

2015年8月4日火曜日

三笠から日中友好の灯を消せない

 故人となったった岩崎賢治さんを偲んで

           美唄支部長 供野 周夫
 十数年前の事だったと思うけれど、三笠の岩崎賢治さんが岩見沢のある総合病院で肺がんの告知を受け、場所が悪いため手術はできないので、抗がん剤を主体にした治療をしても余命3か月ということを聞きました。その後、札幌市菊水の国立がんセンターに転院して回復しました。
 毎年、日中友好協会のカレンダー普及の時期になると美唄から三笠の必要分を私が届けていました。
 退院した年の彼の姿は痛々しかった。抗がん剤の副作用で頭髪は抜け落ち、まだ、病人の顔をしていた。
 それでも彼は、三笠の日中友好協会の中心メンバーが高齢化のため次から次へと他界していったので、「三笠から日中友好の灯を消さないために生きている限り自分がやる」と力強く語っていた。
 いまは、静かにご冥福を祈るのみです。


 日本中国友好協会三笠支部長の岩崎賢治さんは、6月14日、77歳でご逝去されました。
 日中友好協会北海道支部連合会は、葬儀に当たり、生花一籠を供し、副会長・美唄支部長の供野周夫さんが葬儀に参列しました。

2015年7月17日金曜日

生きる━ 劉連仁の物語 好評発売中

    函館の児童文学作家 森越智子さんの中高生向け文学書「生きる━劉連仁の物語」
    童心社から7月5日に発売。定価 本体1,600円+税   好評発売中

 

 


     劉さん描いた本楽しみ
 7月7日付北海道新聞読者の声欄に札幌市北区の主婦 鈴木比沙子さん70歳の表題の投書が掲載されました。転載して紹介します。

 太平洋戦争中に日本に強制連行されて、過酷な労働を強いられ道内の炭鉱などで亡くなった中国人労働者を悼む「中国人殉難者全道慰霊祭」が6月28日に後志管内仁木町で催され、炭砿から脱走し終戦を知らないまま道内各地を13年間逃げ続けた故劉連仁さんの長男の劉煥新さんが参列し、焼香しました。(29日朝刊)。
 私は2002年に民間団体主催の講座「アジア侵略の痕跡」に参加して、初めて劉さんのことを知りました。
 発見された石狩管内当別町の山中近くを訪ね案内人の話を詳しく聞きました。沼田町の炭鉱では満足な食事もなく、過酷を極めた労働に加えて日常的な暴力を受けたことから脱走し、山野を逃げ続け生き延びたそうです。私は奇跡だと思いました。
 その史実を函館の児童文学作家森越智子さんが「生きる 劉連仁の物語」にまとめて今月出版するという記事を読み、私は大変うれしく思いました。
 森越さんはこうした事実を子どもたちに伝えたいという強い思いがあったそうです。出版を楽しみにしつつ、私も民間レベルで中国との友好をつないでいきたいと強く思いました。

盧溝橋事件から78周年 札幌で7・7平和集会を開催

~日中戦争の戦端、
  盧溝橋事件(1937年7月7日)から78年~
   第30回 7・7平和集会
  
   戦後70年、いま植民地支配・
      侵略戦争と向き合う

 7月7日、札幌市民ホール会議室で30回目を迎えた「7・7平和集会」が、日本中国友好協会札幌支部やキリスト教団体など31団体でつくる実行委員会が主催して開かれ、160人が参加しました。


 参加者に、日中友好協会が作成した盧溝橋事件から78周年のチラシを配布しましたが、大変好評でした。 
実行委員長の今橋直弁護士が「盧溝橋事件から日中戦争、アジア太平洋戦争,第二次大戦へと突き進んだ歴史を胸に刻み二度とそういう国にならないように。いま、国会では安倍首相のもとでまた戦争に向かうのでないか、これをどう止め、彼らの野望を打ち砕いていかなければならないが」と述べ、講師の紹介をしました。
 講師の崔真碩(ちぇじんそく)広島大学教員は、「産経事件」について報告。 詳しくは現代思想の昨年10月号をお読みいただきたいと前置きしながら昨年の大学の授業で「ドキュメンタリーも客観を構成する虚構だ」として国連がつくった「終わらない戦争」というドキュメンタリー映画で韓国の慰安婦・性奴隷の証言などの映画を流しました。この映画を不快に思った学生が産経新聞に投書。産経新聞が一面トップで報道。インターネットで配信。大学に抗議の電話が殺到した。私にも抗議の電話がきた。また、ネット上で「反日テロリスト」と攻撃が続いたと紹介しながら、きょうお呼びいただいたように全国から講演依頼や激励も続いたことも紹介しました。
 私は憲法9条を守りたい。日本のため、東アジアのために。また、私が生きているうちに朝鮮戦争を終わらせたいと語りました。
  日本の滅亡について
 講演の演題「日本の滅亡について」1948年の武田泰淳著「滅亡について」岩波文庫を紹介。いまここにある滅亡について、3・12の原発の水素爆発事故。ことし4月異常に高い線量を発生させている。原発問題は、今だけ、金だけ、自分だけ、経済至上主義で未来を捨てているのでないでしょうか。と述べました。また、戦後70年日本の植民地支配を考える時、東アジアは滅亡を経験した。100年前朝鮮は日本の植民地支配で滅亡した。日中戦争で中国にも滅亡した村々がある。沖縄も地上戦で滅亡した。韓国では挨拶でアンニョン、パンモゴッソ?これは飯食ったかという意味で植民地支配や朝鮮戦争で空腹の記憶があるからだ。沖縄は命どう宝という。命の大切さを知っているから。滅亡したことがない日本、地上戦の未経験。3・12では蓋がとばなっかった。滅亡を先送りしてきたが全的滅亡が予感される。
  東アジアへの帰還
 戦争を経験した日本人の「慧知」として憲法9条を守ってきた。これを東アジアに向けて掲げ、積極的に東洋平和を構築することが重要である。冷戦下でアメリカの政策によって、台湾・韓国などの東アジアから日本は搾取し、平和と繁栄を謳歌したのでないか、反日は反日本軍国主義で反日本文化でない。と述べました。 東アジアの国際関係の中で憲法9条を立体的に捉え直すことが大事だと思います。日本の侵略戦争の痕跡(滅亡)の上にある東アジアには憲法9条が是が非でも必要、朝鮮戦争が終わっていない韓国などで平和の誓いの憲法9条に信頼があり、戦後70年、もう一度誓い直すことが必要でないか。憲法9条は東アジアのもの、東洋平和論が必要だ。東アジアの平和を希求しているから。日本は国家として滅亡し、いかにやり直すか、アメリカでなく東アジアに帰還。この道しかない。と述べ、日本が東アジアに帰還する道はいつでも開かれている、と話しました。
 質問時間で、タイトルの「日本の滅亡について」という深い意味について再度述べて欲しいと質問があり。
 崔先生は、滅亡ととことん向き合った時、強い意志が生まれる。強い希望が生まれる。いまの日本社会は経済至上主義で、簡単に希望を語ったら、政府にもっていかれる。文学者としての役割から最悪を予感して耐える。そこから強い意志が生まれる。今の国のやり方は全部お金に変える。ちょっと油断すると軽くやられてしまう。だから強く身構えてタイトルにした。と答弁しました。

    開会挨拶をする今橋直弁護士




    

2015年7月2日木曜日

劉煥新さんと行く当別ツアー

慰霊祭の翌29日、日中友好協会と旅システムとの共同企画で,劉煥新さんと行く当別ツアーが開催され、47人が参加しました。
 材木沢の「劉連仁生還碑」の前には地元の「伝える会」の三上勝夫会長や劉連仁さんを保護した時の木屋路喜一郎さんと宮司正毅当別町長などが出迎え、「碑前のつどい」を開催。三上会長の挨拶、宮司町長の挨拶に続いて、煥新さんが献花をし、挨拶しました。劉煥新さんは「木屋路さんは父連仁の命の恩人」などと話しました。
 近くの若葉会館に移動し、交流会を開催しました。
 劉連仁さんを保護した当時の模様を木屋路喜一郎さんが話し、参加者からの発言で函館の児童文学作家森越智子さんが「生きる━劉連仁の物語」の取材や出版について発言し、真新しく装丁された本を劉煥新さんに贈呈しました。伝える会の大沢勉会長代行は生還碑を訪れる人々の説明役などの活動について報告しました。煥新さん・利さんは息子から観た父親像、孫から観た祖父像を話しました。
劉連仁生還記念碑前で参加者記念写真

第50回中国人殉難者全道慰霊祭を盛大に挙行

6月28日、仁木町の中国烈士園で、中国から故劉連仁さんの息子劉煥新さんと孫の劉利さんを迎えて、第50回中国人殉難者全道慰霊祭を開催しました。
 真宗大谷派5か寺の住職による読経の中、150人の参列者が順次焼香しました。慰霊のことばを佐藤聖一郎町長が、追悼のことばを中国駐札幌総領事館孫振勇総領事の名代として参列された李春首席領事が奉読されました。追悼の歌を清水紫さんが捧げました。
 代表世話人の和田健夫小樽商大学長が挨拶。劉煥新さんが挨拶で「父は13年間も野人のように逃げ続けた。北海道では多くの事業所で強制連行された中国人が強制労働させられた悲惨な歴史がある。今日は息子と一緒に来たが、憎しみを伝えるのでなく友好の大切さを伝えていきたい」と平和の尊さを訴えました。
 体調が思わしくなく欠席された華僑総会の席占明さんに代わって呉敦さんが挨拶され、仁木町議会議長山下敏二さんの挨拶が代読されました。
 最後に慰霊の太極拳表演が行われました。
 慰霊祭に先立って、町民センターで交流会が行われ、劉煥新さんが挨拶され、全道各地からの参加者紹介、また、北海道在日中国科学技術者聯盟、華僑華人婦女会、北海道中国会など在日華僑のみなさんの紹介が行われました。
   席占明さんを訪問
 劉煥新さんと劉利さんは、27日、席さん宅を訪問。席さんは、1958年2月、劉連仁さんが保護されたとき通訳を行うとともに帰国まで熱心に援助されました。煥新さんは「発見者の袴田清治(故人)さんと、保護してくれた木屋路喜一郎(90歳)さんと席占明(90歳)さんの3人は父の命の恩人だ」と話していました。体調を崩された席さんに優しい言葉をかけ、中国から持参したお土産を手渡し懇談しました。
   室蘭を訪問
 劉煥新さんと劉利さんは、26日、イタンキ浜の中国人殉難慰霊碑を訪れ、献花を行い、室蘭の日中友好協会の会員など、集まってくれた15人ほどの皆さんに挨拶をされ、会場を移して昼食・懇談会を行いました。
   当別ツアー
 29日は当別ツアーを行いました。
 30日は小樽を訪れ、小樽商科大学和田健夫学長に挨拶をされ、懇談しました。小林多喜二の文学碑を訪れ、運河周辺も散策しました。
  送別会
 30日夜は札幌駅北口で、煥新さんと利さんの身元引受人となりビザ発給にお骨折りをいただいた田中貴文弁護士を交えて、夕食送別会を行いました。
 お二人は,午後8時前のエアーポートで千歳に向かい、7月1日、早朝の便で関西空港を経由して、青島に戻られました。

真宗大谷派5か寺の住職の読経





焼香する劉煥新さんと劉利さん

世話人代表のの挨拶をする和田健夫小樽商大学長






2015年6月16日火曜日

日本中国友好協会第64回全国大会で発言

  2015年6月13日14日の両日、東京で、第64回全国大会が開かれ、北海道から、小樽支部の鴫谷節夫道連会長、苫小牧支部の伊藤貞市支部長・本部常任理事・道連理事長、高井幸子代議員、札幌支部から小川勝美全国理事・道連事務局長・札幌支部理事長、影浦貞宏道連監事・札幌支部事務局次長が参加しました。

 第1日目の全体会議で、鴫谷道連会長が、6月28日(日)に開催される、第50回中国人殉難者全道慰霊祭について発言しました。
 戦後70年のことし、全道慰霊祭も50回目を迎え、一度も休むことなく開催してきたことを報告。
特に、今年は、節目の年に当たり、中国山東省から故劉連仁さんの息子の劉煥新さんと孫の劉利さんの2人を招聘し、開催することを報告しました。

 また、近年は、在日の中国人や中国からの留学生の参加が多くなっていることも紹介しました。

 2日目の午前中には、1から4の分散会・役員選考委員会などが行われ、役員選考委員会に影浦代議員、第1分散会では伊藤常任理事が議長を務め、苫小牧の高井代議員が参加。第2分散会には小樽の鴫谷代議員が参加。
 
 第3分散会には小川代議員が参加、札幌支部の太極拳サークルと中国語教室がホームページを数年前から開設して参加者が増えてきていることを紹介。
 札幌支部としても遅ればせながら昨年から準備を始め、ホームページを開設したことを紹介しました。

   発言する鴫谷会長。
                

2015年6月9日火曜日

第2回中国百科検定を札幌会場で受けましょう。

第2回中国百科検定が9月27日(日)午後に札幌でも受けれる。

昨年から始まった中国百科検定。ことしは全国32会場で行われます。
北海道では、札幌のかでる2・7を会場にして行われます。

申込受付期間は    6月1日から8月7日まで。
受験料        3級3,500円  2級4,500円
実施都市    全国32にカ所    北海道は札幌会場のみ 
                      道庁の施設 かでる2・7(札幌市中央区北2条西7丁目)    

「中国百科検定問題集」(定価1,000円+税)や 公式テキスト「中国百科」(定価2,800円+税)は書店にあります。
  日本中国友好協会札幌支部事務所にもあります。電話011-814-8658(FAⅩ兼用) 
 問題集、テキスト、中国百科検定の資料は、お気軽に電話をしてください(午前10時~午後4時 までに)。(FAⅩは24時間)。

2015年6月4日木曜日

第50回 中国人殉難者全道慰霊祭を 6月28日(日)に行います。

今年の慰霊祭は50回目の節目であり、中国山東省草泊村から劉連仁さんのご子息の劉煥新さんとお孫さんの劉利さんを招聘して開催されます。多数の参加をお待ちしています。
札幌から参列者用の送迎の貸し切りバスを運行します。

6月28日(日)午前8時40分 札幌テレビ塔前NHK前に集合。9時のバスが出発します。
          11時00分 に仁木町民センターに到着。交流会・昼食・休憩。
          12時50分 バスで中国烈士園日中不再戦友好碑前へ移動
          13時50分 慰霊祭開始 浄土真宗5か寺の5人の住職が読経の中、世話人代表の小樽商科大学の学長先頭に、中国領事館代表、各華僑団体代表、中国からの留学生、各民主団体代表や日中友好協会の各支部代表など参列者全員が焼香します。
世話人代表の挨拶、中国領事館総領事の追悼の言葉、地元仁木町長の追悼の言葉、議長の歓迎の挨拶、劉煥新さんの挨拶などが行われます。
最後に奉納太極拳の表演が行われます。

貸し切りバス代と美味し御飯、豚汁、地元農家提供のゆで卵とトマトが昼食にでます。参加者に1,000円のご負担をお願いしています。留学生は無料です。

ぜひ多数のご参加をお待ちしています。

          慰霊祭事務局 日本中国友好協会札幌支部理事長 小川 勝美
   
昨年の慰霊祭の写真です。

2015年5月25日月曜日

札幌支部が総会

日本中国友好協会
 札幌支部が総会


  理事長に小川勝美氏 、
 事務局長に三木ふみよ氏
5月24日、日曜日、午後1時30分から支部事務所で総会を開催しました。
 三木ふみよさんを議長に選出し、斎藤康治理事長から安倍政権の戦争法案などの暴走を批判してあいさつがありました。
 影浦貞宏事務局次長が、詳しい2014年度活動日誌及び経過報告を作成し、活動の総括案を提案、小川勝美事務局長が2014年度決算を提案、コピー機の購入とパソコンの導入で繰越金が大幅に減少したことを報告しました。
 今年度の活動では、中国人殉難者全道慰霊祭が節目の50回を迎えるのを始め、
劉煥新さんと行く当別ツアーの成功などに取り組むことを決めました。
 今年初めて中国百科検定を札幌市のかでる2・7で開催することになり、多数の受験者がでるよう宣伝などに取り組むことを確認しました。
 太極拳サークルのホームページを見て新しいサークル員が増えていることなどの発言もありました。
 斎藤理事長は、戦前、陸軍衛生兵として従軍したが、銃を撃ったり、戦病兵の看護などはほとんどなく内部の事務などの仕事に終始したことなどを話しました。
 役員選出では、斎藤理事長が退任し、小川勝美事務局長が理事長に、三木ふみよ事務局次長が事務局長に選出され、他は、全員留任されました。


『生きる 劉連仁の物語』を出版
       劉さんからの伝言
               児童文学者 森越 智子(函館在住) 


 劉連仁さんについて中高生向けのノンフィクションを書いてほしい、児童図書出版社の編集者からそんな依頼があったのは2010年春のことでした。折しも入院手術後の療養中の身であった私には、とても大役を果たせる体力も気力もなく、一旦辞退したものの、送られてきた茨木のり子さんの長編詩『りゅうりぇんれんの物語』を読んで気持ちが変わりました。厳冬の北海道に13年間も生き延びた劉さんの強靭な精神を支えていたものはなんであったのか、なによりもなぜそんなことが起きたのか、加害国としての日本と、強制労働の歴史を子どもたちにしっかり伝えなければならないと強く思ったからでした。
 それから劉さんを追う私の長い旅が始まりました。始まりの地、沼田町から留萌へ、終わりの地である当別町、そして故郷中国山東省草泊村へ。劉さんの姿を訪ねて歩くほど、人としての尊厳を踏みにじった時代の姿と、今の私たちの社会とがあまりに似通っているように思えてならないのです。
 戦後70年の今年、この劉さんの苦難の月日を辿った物語がようやく一冊の本になりました。生き抜き闘い続けた劉さんの思いと願いを、未来を担う子どもたちへ届けたいと思います。
 童心社刊、
 定価1600円 
 A5判240頁 
 2015年7月3日発行



2015年5月11日月曜日

日中友好協会北海道連第49回総会

日本中国友好協会北海道支部連合会
      
      第49回総会を開催
      会長に鴫谷氏、理事長に伊藤氏を選出

5月10日(日)小樽市生涯学習プラザで、日中友好協会北海道支部連合会第49回総会兼北海道ブロック会議を開催しました。
 議長に苫小牧支部の蔦保収氏と室蘭支部の松原剛氏を選任し、道連斎藤康治会長の挨拶と本部の丸山副理事長から北海道ブロック会議への報告を兼ねた挨拶を受けました。
 丸山副理事長は、憲法改悪と「戦争する国づくり」を許さない運動、安倍政権による日米新ガイドラインや「戦争立法」など国のあり方を根本的に変える危険な動きの急速な進行などを詳しく述べ、協会の役割と責任などについて侵略戦争の加害の事実を語り伝えること、憲法改悪、歴史修正主義を許さない不再戦平和活動の提起などを行いました。
また、日中両国の関係改善をめざして、友好交流、文化交流の大切さなどを報告。
 第64回大会に向けて組織財政の強化について報告、この中で、1200人の仲間づくりの目標を引き続き追求することや日中友好新聞の刷新とwebの強化などについて報告しました。

 鴫谷節夫理事長から2014年度活動の総括について、日中不再戦・平和の活動で、第49回中国人殉難者慰霊祭や第4回劉連仁墓参ツアーなどについて報告、また、3月に新聞の浮き部数を解消する減紙を本部に申請したことなどの報告が行われました。
 伊藤貞市事務局長から決算報告、影浦貞宏会計監査から会計監査報告が行われ、本部提起の報告も含めて質疑が行われました。
 北海道が日中友好新聞の浮き部数を解消したことが全国的な減紙に繋がったことや浮きを抱えることの問題点などが質疑で出されました。
 午後に、鴫谷理事長から2015年度の活動方針、第50回中国人殉難者全道慰霊祭に劉煥新、劉利父子を招聘することなどや9月27日午後札幌での「中国百科検定」受験者を広げること、協会の拡大・発展を大いに進めようと提案され、伊藤事務局長から予算案が提案されました。
 この報告を受け、各支部の活動報告や各種の取り組みなどについて発言されました。特に室蘭での「望郷の鐘」の映画会に続いて帯広での開催が決まり、小樽と苫小牧でも開催の検討が行われていることが報告されました。
 小川勝美事務局次長から新年度の役員の提案がされ、全員一致で新役員を承認しました。
 道連会長に鴫谷節夫氏、理事長に伊藤貞市氏、事務局長に小川勝美氏などを選出、各支部からの理事も確認しました。斎藤康治さんは山崎幸さんとともに道連顧問になりました。
 斎藤さんは退任挨拶で「93歳を超え身体に不安を感じるようになり退任させていただきました。長い間有り難うございました」と挨拶しました。
 最後に、参加者全員で記念写真を撮りました。



2015年4月24日金曜日

 望郷の鐘 の試写会が成功

 4月3日、札幌エルプラザホールで、映画「山本滋昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」の有料試写会が、10時30分、14時、18時の3回行われ、330人が入場し成功しました。当日は、北海道議会議員と札幌市議会議員の選挙告示日と重なり、また、1日中強風と雨が降り続く悪天候の中での成功でした。
 3回とも上映前に山田火砂子監督が挨拶に立ち「戦争の映画でなく平和のための映画を作った」と挨拶しました。また、山本滋昭の娘役の上野神楽ちゃん8歳も挨拶しました。
 日中友好協会札幌支部は、会員や準会員の協力を得て、前売り券の普及に務めました。前売り券は95枚普及し、昨年制作協力券を10枚普及していました。
 午後の部の試写会には、中国領事館の総領事夫人趙海藍さんも参加しました。
 4月14日の北海道新聞の「読者の声」欄では「満蒙開拓団 悲劇の思い」の見出しで、渡島管内鹿部町の主婦中東信子さん73歳の投書を掲載しました。
 紹介します。
 
 映画「望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」を見た。
 昭和20年5月日本政府から旧満州へ開拓のために送り込まれた長野県住民がいた。ところが3カ月後に終戦。ソ連軍の侵攻で開拓団は逃避行を強いられ、幸い帰国できたのは2割ほどだったという。
 開拓団に同行した長岳寺の住職、山本滋昭さんは、捕らわれてシベリアの抑留された。後に無事帰国できた時、開拓団に参加した人を訪ね、彼らのたどった運命を1冊の本にまとめた。
 また、多くの子どもたちが優しい中国人に育てられいた事実を知り、残留孤児の帰国運動を始めた。 その生涯が山田火砂子監督によって映画になった。
 終戦間近な時に、なぜ満州へ送られたのか?国策とはいえ、住民に戦況の詳細が伝わっていなかったことが悲しい。
 1972年、日中国交正常化後に帰国できた孤児もいたが、戦後70年たった今なお、戦禍の苦悩を引きずっている人たちがいることを私たちは知るべきであり、戦争を語り継ぐべきであると強く思った。 

”精衛填海”を思う

 ”精衛填海”を思う
「この日本、愛すればこそ━新華僑40年の履歴書」を読んで
  道連理事長 鴫谷 節夫
 
 今年の「日中友好協会新年交流会」は殊の外楽しかった。思いがけなく内モンゴルのお酒や紹興酒があって年がいもなく手を出して、いささか酩酊、反省したが手遅れとなった。

 しかしこれとは別に大きな収穫があった。北海道中国会の陶さんに勧められて「この日本、愛すればこそ━新華僑40年の履歴書」(莫邦富著岩波現代文庫)を入手したことである。
 
 私達長年日中友好に携わってきた者には、この思うように行かない日中関係について、つい愚痴が出るものである。
 口には出さないが中国側は一体どうなっているんだという思いも無いではない。
 
 自分の心に問い掛けながらこの本を読んだ。わが心中の思い上がりが隅無く照らし出された。
 日中道連の皆さんにお薦めしたい。日中友好運動に係わる人々の必読書です。

春節を祝う集い

 学友会の集い
 北海道地区中国留学人員友好聯議会(学友会)の2015春節聯歓晩餐会が、2月18日、中国駐札幌総領事館で開かれました。

 滕安軍総領事が、北海道は中国からの留学生が多い地区と紹介しながら、「勉学に励み、この日本で就職したり祖国に帰って活躍したりするでしょうが、中日友好の懸け橋の役割を果たして欲しい」と激励の挨拶をしました。
 
 学友会の王堃壘(おうこんるい)会長が挨拶し、北海道大学などの留学生が、歌や踊り、書などを披露しました。
 
 その後楽しく美味しい晩餐会が始まりますが、日中友好協会札幌支部から参加した小川勝美事務局長と影浦貞宏事務局次長は次の春節の集いに駆け付けるため途中で退席しました。
 留学生担当の張毅領事が領事館の玄関外まで丁重にお見送りに出てくれました。

2015年2月10日火曜日

第2回  新年太極拳交流会

札幌支部太極拳サークルは、1月25日(日)10時より2時間、かでる2・7レクレーション室で、昨年に続き、太極拳交流会を開きました。昼教室、夜教室、プラチナ教室合同で26人が参加し、浦河より太極拳愛好者の一力敏昭ご夫妻ら4人が見学に来られました。
 サークル員がやったことのない種目でも見よう見まねでも全員参加を基本に、練習場いっぱいを使って、のびのびと表演しました。種目は、定位、24式、88式1段・2段、48式、42式総合、陳式、カンフー扇、32式剣の10種目に加え、2人1組の推手の練習も短時間行いました。白やピンクや青の表演服を着ている人も多く、華やいだ雰囲気の中、よい汗をかいた半日でした。
    三木ふみよ本部太極拳委員

中国領事館 滕安軍総領事と新年のご挨拶

斎藤康治日中友好協会北海道連会長・札幌支部理事長と小川勝美札幌支部事務局長は、1月13日、駐札幌中国領事館に滕安軍総領事と曹帥領事を訪ね、新年のご挨拶をしました。

特に、昨年12月で道連結成60周年を迎え、また、今年6月には、中国人殉難者全道慰霊祭が50回目の節目を迎えることを述べ、特段のご支援とご協力をお願いしました。

2015年日中友好協会新年交流会

 日本中国友好協会北海道支部連合会と札幌支部の共催により、1月25日、KKRホテル札幌で、道連結成60周年祝賀会を兼ねて新年交流会を開催しました。
 中国領事館から張毅領事、曹帥領事の2人が参加、在日華僑の皆さんや中国人留学生の皆さんなど多数の来賓と札幌支部、小樽支部、苫小牧支部、室蘭支部の会員の皆さんなど40人が参加しました。

 新年交流会の開会に先立って、新芸能集団乱拍子の4人が獅子舞を演じてくださり、おひねりもあがりました。

斎藤康治道連会長・札幌支部理事長は、開会挨拶で、中国領事館や民主団体などの来賓の皆さんに感謝と御礼を述べ、道連結成60周年、札幌支部再建20周年、中国人殉難者全道慰霊祭が50回目の節目の年で一層のご支援・ご協力をお願いします、と述べました。 

 来賓の皆さんを代表して、田中貴文弁護士からご挨拶をいただきました。強制連行裁判弁護団事務局長の田中弁護士は、日本の裁判では最高裁ですべて敗訴になったが、中国北京でこの3月から裁判が始まることを紹介されました。

 大橋晃勤医協中央病院名誉院長の乾杯の音頭で祝宴に入りました。
 札幌支部の三木ふみよさんが剣を使った太極拳を表演しました。
 来賓の皆さんからテーブルスピーチをいただきました。

 日本共産党札幌市議団の小形香織市議は、昨年の総選挙で躍進したことを報告しながら春の地方選挙でのご支援を訴えました。

 北海道原水協の嶋田千津子事務局長は、広島、長崎被爆70年の今年、4月末にニューヨークの国連本部で「核不拡散条約(NPT)再検討会議」が開かれ、道民の核兵器廃絶の強い要求を携えて参加するすることを明らかにして支援を訴えました。

 日本共産党北海道委員会の小川健次さん、北海道革新懇の小泉孝義事務室次長、北海道華僑華人婦女会の周玉蘭会長は司会者から紹介がありました。

  晋南貿易の曲健三社長は、父は中国人、母は日本人で日中友好のために日本で生まれ育った。最近、雪が多く除雪のことで、会社周辺の住民から苦情があった。その中で「中国へ帰れ」と理不尽なことを言われたことを紹介しました。

 北海道中国会からは3人が参加され、田義之代表は会を作って1周年立ったことを紹介し、第40回の慰霊祭、昨年の慰霊祭にも参加した、今年も参加すると挨拶されました。陶恵栄運営委員長は、莫邦富著「この日本、愛すればこそ❘新華僑40年の履歴書」という本を紹介しました。

 中国語教室の楊志剛先生や中国人留学生学友会から3人が参加しました。
 旅システムの青木さんは6月の当別ツアーを紹介。 道連の鴫谷節夫理事長・小樽支部、苫小牧支部の河野紘事務局長、室蘭支部の松原剛支部長などが支部の活動などを紹介しながら挨拶されました。

 この新年交流会にむけて、札幌支部の影浦貞宏事務局次長が、事務所の古い資料や新聞綴りなどからA4判9頁の「北海道における日本中国友好運動60年略史」を作成。1952年内山完三(日本中国友好協会理事長)氏が道内12ケ所で日本中国友好協会の役割と設立について講演、組織づくりを始めたことから書き出し、今年1月13日、斎藤康治会長と小川勝美札幌支部事務局長が中国領事館に滕安軍総領事を訪ね、新年のご挨拶を行ったまでが記載されています。参加者全員にこの略史を配布しました。

 中国語教室の楊志剛先生が立派なアコーデオンで素晴らしい演奏を行ってくださいました。

 また、うたごえの黒沢薫さんが、アコーデオンを演奏しながら「しあわせのうた」を歌ってくれました。また、黒沢さんは、楊先生が左手のボタンキーでメロデーを演奏されたことを高く評価され、アコーデオン自体も立派ですと褒めました。

 中国領事館の滕安軍総領事から、新年交流会参加者皆さんで飲んでくださいと、瓶の紹興酒2本と甕の紹興酒1甕、また、これも領事館から楊先生がいただいた、モンゴル自治区療通市人民政府接待専用酒1本、計4本を、参加者みんなで美味しくいただきました。
 今年も全員で「東京・北京」を大合唱しました。
 最後に、参加者全員で記念撮影を行いました。