2019年12月17日火曜日

北海道華僑華人連合会 焼肉交流会

 11月9日、北海道華僑華人連合会の2019年秋焼肉交流会が北海道ビール園で開催され、日中友好協会から小川勝美理事長と影浦貞宏事務局長が参加し、華僑華人連合会の皆さんや中国総領事館の孫振勇総領事夫妻と交流を深めました。
 王埼幹事長の司会で会が進行され、主催者を代表して烏日娜(オリナ・内モンゴル自治区出身)会長が挨拶されました。
 オリナさんは、「17年前から秋の交流会として焼肉パーティーを開催してきました。「当初は札幌サトランドで開催し、朝早くから準備しました。
しかし、雨天などの時は大変でした。そこで、アサヒビール園や札幌ビール園などで開催してきましたが、参加する人の交通の便を考えまして、都心の北海道ビール園での開催となりました」焼肉交流会の経緯を述べながら挨拶されました。
 来賓挨拶に立った、中国総領事館の孫振勇総領事は、「北海道華僑華人連合会の皆さんは、中日友好のために草の根で活動されていますことを高く評価します」などと祝辞を述べられました。
 乾杯を行い、楽しく焼肉パーティーが進められ、最後に、お楽しみ抽選会も行われ、全員に賞品が当たりました。
 終了後、バートル・オリナ夫妻が同じビルの4階に新しく開いた日本料理店「和縁亭」で二次会が行われ、小川、影浦の2氏も参加しました。
              挨拶されるオリナ会長
           下は来賓挨拶される孫振勇総領事

札幌支部理事会を全員参加で開催

11月20日、支部事務所で、 札幌支部理事会を全理事が出席し開催しました。
 この間の主な活動について小川勝美理事長が報告しました。
 第54回中国人殉難者全道慰霊祭に中国人留学生が最多い26人参加し、慰霊祭募金が80件、約28万円寄せられましたが慰霊祭事務局への協力金や貸し切りバス代などの支出が募金では賄いきれず支部財政から補填している状況などの報告されました。美唄への「記念碑」建立や太極拳サークル、中国語教室についても報告・討議、本部理事会から提案された、組織改革案についても話し合われました。
 今後の主な活動について討議しました。
 カレンダー36部の残数の普及を急ぐこと。年末募金の目標35万円をなしとげること。また、1月26日の新年交流会に多数参加し、在日中国人・留学生などと交流を深めることなどについて討議しました。
 23日に中国北京中央テレビが当別の劉連仁生還碑を取材に訪れるなどが報告されました。
 また、減少傾向が続く会員・準会員の拡大に力を入れて取り組むことなどが話し合われました。
 郵便料金の値上げが財政を圧迫、来年4月から振替通知書も1通100円かかり、無料のネットに変えることを討議し決めました。

歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)第3回記念碑建立等北海道実行委(準備会)

 11月20日、札幌おおぞら法律事務所で、歴史・人権・平和基金記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会の第3回準備会が開かれました。
 田中貴文弁護士から、9月26日北京で開かれた「基金」第1管理委員会について報告が行われました。
 続いて、11月9日、中国人強制連行全国弁護団会議が開催され、9月8日に美唄市に要請をした北海道の準備状況や福岡、尾去沢などの状況も報告されました。
 また、1月15日に北京で第2回管理委員会が開催され、3月に第3回管理委員会が開かれます。
 北海道実行委員会の第4回準備会は3月31日開催される予定です。
 この会議に、日中友好協会から鴫谷節夫道連会長が出席しました。

中国の中央テレビが 「劉連仁生還記念碑」と「伝える会」を取材

 中国の北京中央テレビは、来年の中国抗日戦争勝利及び世界反フャシズム戦争勝利75周年を記念して、「銃剣下の老工」というタイトルで日本に強制連行された中国人の物語をドキュメント化して放映する予定です。 制作・監督の劉海燕(女性)さん、撮影技師の韓宏壁(男性)さん、在日フリージャーナリストでガイドと引率責任者の朱弘(男性)さんの3人が秋田の花岡事件の犠牲者追悼集会の取材を終えたあと、22日、札幌入りし、翌23日、当別の劉連仁生還記念碑を集材しました。 
 当別駅で、札幌支部の小川勝美理事長と当別の「劉連仁生還碑を伝える会」の大嶽秋夫事務局長と今野一三六事務局次長が出迎え、材木沢の「劉連仁生還碑」を訪ねました。
 早速、韓技師が、ドローンのカメラで、「劉連仁生還碑」の上空や周辺状況を撮影。続いて、今野一三六さんがインタビューに答えて、劉連仁さんとの交流や生還碑建立に至る経過などを話しました。また、昨年の生還60周年記念集会や今年の記念誌発刊などについても話しました。
 伝える会が今年発行した60周年記念誌3冊を謹呈しました。
 北京中央テレビの取材チームは、「劉連仁生還碑」の斜め向かいの自宅に、劉連仁さんを保護した時の木屋路喜一郎(91歳)を訪ね、インタビューを行いました。
 木屋路さんは、1958年2月9日かんじきを履いて、袴田清治さんや巡査2人など5人で山を登り劉さんを保護した時のことを詳しく話しました。その後の劉さんとの交流なども話し、記念誌に載っている写真を示し、「この写真は、この家の座敷で撮った」と話しました。
                                          劉連仁生還記念碑
        北京中央テレビのインタビュうに答える今野一三六さん
     自宅で北京中央テレビのインタビュに答える木屋路喜一郎さん

2019年10月29日火曜日

ソウルで、 3・1独立運動と 徴用工問題の学習

 10月14日から17日までソウルで、たかさき法律事務所の皆さんなどと3・1独立運動百周年記念で、前ソウル大学の鄭在貞教授のガイドで日本の植民地支配の実態と日帝時代の建物などを時間をかけて見学しました。
 徴用工裁判の崔鳳泰弁護士の講演と懇談による実りある学習などでした。
 この学習に日中友好協会から小川勝美理事長が参加し、大変良い勉強をしてきました。

日中友好協会が北京体育大学で太極拳研修

 9月29日から10月4日まで、第20回の中国北京体育大学研修に札幌支部から沖田洋子・三木ふみよ指導員が参加しました。全国から20名が参加しました。
 今回は高橋清枝本部太極拳委員長が多忙のため、札幌支部の三木ふみよ本部太極拳委員が団長を代行しました。
 今年は初めて学外のホテルに大学宿舎から変わりましたので、バス移動が心配されました。10分間で着くので便利であり、また、5分前の集合を守って何のトラブルもなく順調でした。食事もホテルも好評で、もちろん研修内容も良かったです。来年も実施できるよう、こぞって参加して頂きたく思います。北京の10月は天気も良く、国慶節のため空気も良かったです。
 講師は、陳式は武冬老師、四十二式総合は劉一鳴老師、四十二式剣は楊麗老師、です。武冬先生は札幌支部にも来られた先生で、陳式の攻防を教えるため二人で組になって行う陳式対練と陳式独特の 纒糸勁を教えるための基本功を重視します。
  劉一鳴老師は、武冬老師の愛弟子で、三十代で若く大変人気のある講師です。聞くところによると、只、膝を曲げて立つ站椿功を30分毎回させられたそうですが、とても良かったといっています。
 楊麗老師は、楊式扇でも有名な方ですが、剣の技術でもすばらしく、大きく美しく表演していました。
 参加者のアンケートは、ほとんどが良かったという結果で、団長として大変安心いたしました。(三木)


日中友好協会札幌支部  太極拳講習会を開く

日本中国友好協会札幌支部太極拳サークルは、9月22日(日)かでる2・7において、東京本部から宇納めぐみ本部指導員を迎えて午前中は五禽戯を、午後は二十四式を学びました。
 参加者は札幌支部31名、小樽支部14名、恵み野太極拳サークル3名の合計48名が参加し、熱気あふれる講習会でした。
 五禽戯は2年半前に宇納めぐみ先生が初めて教えてくださり、昨年9月の40周年表演会で発表しましたが、さらに確認の意味を込めて今回で2回目となりました。小樽でも練習を始めているようでした。
 翌23日(月)は、教育文化会館で指導員講習会を開き、札幌支部3人小樽支部3人が参加しました。楊式太極拳の基礎を学びました。
                 太極拳講習会
             下の写真は講習会終了後の記念撮影

2019年10月11日金曜日

室蘭での中国人殉難烈士慰霊の集い 中小企業センターで 懇 談 会

慰霊碑前から室蘭市中小企業センター大会議室に会場を移して懇談会が開かれ31人が参加しました。
 松原代表から「中国人強制連行~栞資料にもとづいて」報告が行われました。 1954年10月9日の「遺骨発掘時の記録」のDVDを視聴しました。
 つづいて、鴫谷会長から「三菱マテリアル 記念碑」の美唄市設地についてと題して2016年6月の和解、これにもとづき美唄市に記念碑建立が具体的に進み始めたことを報告しました。 伊達高校放送局のテレビドキュメントのDVD「平和を思う」が上映され、3年前から強制連行などの取材を受けてきたが、7月に急逝した上野先生を偲んでのドキュメント「上野志郎」の上映も行われました。 
            栞資料にもとづき報告する松原剛代表
         三菱マテリアルの記念碑を美唄に建立することを述べる鴫谷節夫会長
        下は伊達高校放送局の3年生が上野志郎について発言する

第27回 10・9中国人殉難烈士慰霊の集い

第27回
10・9中国人殉難烈士慰霊の集い

 室蘭市のイタンキ浜の中国人殉難烈士慰霊碑前で、10月6日、第27回10・9中国人殉難烈士慰霊の集いが秋晴れの好天のもとで61人が参加して開催されました。 実行委員会を代表して松原剛さんが挨拶しました。 つづいて、参会者全員で碑前の献花台に順次献花を行いました。
 来賓挨拶で、室蘭工業大学中国人留学生交友会の張月会長が「日本でこのような慰霊の集いが開催されていることは室蘭にきて知りました。3年前から参加しています。中国の友人にも伝え中日友好に努力したい」と述べました。
 中国人殉難者全道慰霊祭の鴫谷節夫事務局長(日中友好協会道連会長)は、「6月の仁木町での第54回中国人殉難者全道慰霊祭に室蘭からたくさんの方が参列をいただき感謝しています」とお礼を述べながら9月の中国への平和の旅で「中国はハルピンなどで日本軍の侵略の史跡をさらに復元しようとしている」などと述べ、また、強制連行犠牲者と三菱マテリアルのと和解に基ずく記念碑が美唄に建立されることにも触れて挨拶しました。メッセージなどの紹介の後、追悼合唱「砂に消えた人々が」披露されました。
 遅れて参加された中華人民共和国駐札幌総領事館孔多孜・玉素甫(コンドス・ユスフ)副総領事が追悼の言葉を述べました。つづいて、札幌支部の三木ふみよさんが慰霊太極拳を表演しました。
                                室蘭の中国人殉難烈士慰霊碑
               挨拶する松原剛代表
                 献花する参列者
             来賓挨拶をする鴫谷節夫会長
        来賓挨拶をする室蘭工業大学中国人留学生交友会張月会長
          追悼の言葉を述べるコンドス・ユスフ副総領事
           三木ふみよさんの慰霊太極拳の表演

2019年9月27日金曜日

中国  瀋陽とハルピンを訪ねて

 9月16日から21日までの6日間、中国の瀋陽やハルピンを訪問し、日本軍国主義者が行った中国侵略の史跡や記念館などを訪問・視察を行ってきました。当初予定していた、9・18記念式典には中国側の事情で参列がかないませんでした。
 この平和の旅には、12人が参加、旅システムの青木さんと13人が訪問しました。
 17日、撫順戦犯管理所や撫順炭鉱の露天掘りを見学しました。また、平頂山惨案遺趾記念館も見学しました。
 18日には9・18歴史博物館を見学しました。
 19日、高速鉄道でハルピンに移動し、日本軍の第731部隊の生きた人間の人体実験の遺趾を見学しました。
 また、ハルピン駅にある韓国の独立運動家・安重根記念館を見学しました。
 パルピンでは、ロシア料理を食べ、瀋陽では有名な老辺餃子を堪能しました。
 天候に恵まれた大変有意義な旅でした。
 今回の平和の旅に参加された2人の方が日中友好新聞の読者になってくれました。
           撫順戦犯管理所趾
                 瀋陽の故宮
            瀋陽の9・18歴史博物館の記念碑前で
           ハルピンの日本軍731部隊のボイラーの煙突前で
        12種類の老辺餃子とおかずの前で総括的に挨拶する鴫谷会長

中華人民共和国成立70周年祝賀 レセプションが盛大に開催される

 9月26日、札幌市のパークホテルで、中華人民共和国成立70周年祝賀レセプションが盛大に開催されました。
 主催者を代表して駐札幌総領事館の孫振勇総領事が挨拶をされました。
 日本中国友好協会から鴫谷節夫道連会長、小川勝美理事長、影浦貞宏事務局長、三木ふみよ札幌支部副理事長がご招待を受け参加しました。
 孫総領事は、49年10月1日の新中国成立時とこんにちを比較し大きな発展を遂げたことを述べました。
 「2018年、GDPで90兆元を超え、世界経済の15%以上に達し、世界第2位の経済大国になっている。外貨準備高は第1位、貿易額も第1位に達している。世界経済発展の原動力の役割を果たしている。世界170か国と国交関係を結び、国交を通じて世界の平和と発展に努めている。しかし、世界最大の発展途上国であることに変わりがない」などと述べました。「昨年は李克強総理が来道し、道民と交流を深めました。中日関係が新たな発展をするよう期待しています。ご参会の皆さんのご協力で両国の友好関係がさらに発展するようご協力をお願いします」と挨拶を結びました。
 たくさんの来賓挨拶のあと乾杯の音頭で祝宴が進められました。
          挨拶をされるちゅか人民共和国駐札幌総領事館孫振勇総領事
         孫振勇総領事夫妻と左から周玉蘭のお孫さんと鴫谷節夫会長
 お二人をおいて、小川勝美理事長、三木ふみよ札幌支部副理事長、影浦貞宏事務局長

劉連仁生還60周年記念誌 発刊集会

「劉連仁生還60周年記念誌
   発刊集会」が開かれる

 9月1日(日)当別町若葉会館で、「劉連仁生還60周年記念の記録」の発刊を祝って、「伝える会」が集会を開きました。
 昨年の8月26日開催された「劉連仁生還60周年記念集会」において、60周年の記念すべき節目に何か残せないかという提案があり、約1年をかけて資料や写真を集めて、ようやく完成したのが「劉連仁生還60周年記念の記録」でした。
 会は伝える会会員のほか当別町や札幌などから約60人が参加。会場はほぼ満杯状態でした。
 大嶽秋夫事務局長の司会で進行され、大澤勉会長から集会参加者へのお礼と、記念誌発刊の経緯が話されました。
 日本中国友好協会から5人が参加し、影浦貞宏道連事務局長が北海道支部連合会を代表して来賓の挨拶を行いました。
 記念誌とともに製作されたDVDが放映され、劉連仁さんが強制連行から本国送還までの記録や伝える会のこれまでの取り組みが詳しく放映されました。
 特に、会場に感動を呼び起こしたのは、茨木のり子 さんの「劉連仁物語」を教育大生他3人の方々による朗読でした。
 また、会場には大澤勉会長の劉連仁さんの強制連行から生還・本国への帰還まで見事な水彩画が展示されていました。
 大変中身の充実した集会で、また、再会を誓い合いました。
 「記念の記録」には、昨年の森越智子さんの記念講演の内容や劉連仁さんを発見・保護した時の故袴田清治さんや木屋路喜一郎さんの回顧録などが収録されています。また、7月7日の北海道新聞の「異聞風聞『劉連仁さんが教えること』」なども掲載されています。
 この「記録」は、1冊5百円以上の協力金が必要です。
 申込みは、今野一三六さんへ、電話090❘9755❘8576まで。
日中友好協会北海道連を代表して挨拶する影浦貞宏事務局長

 美唄市の坂東知文市長に要請  「受け入れることに問題はない」と回答

三菱マテリアル 「記念碑」設置で
  美唄市の坂東知文市長に要請
    「受け入れることに問題はない」と回答

 9月3日(火)、三菱マテリアル基金の記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会(準備会)は、美唄市の坂東知文市長に、三菱マテリアル「記念碑」設置について、我路ファミリー公園内に設置したいので受け入れられますように要請しました。
 この要請に参加したのは、田中貴文弁護士、小坂祥司弁護士、日中友好協会北海道連から鴫谷節夫会長、供野周夫副会長・美唄事務局長、小川勝美理事長の3人が、北海道日中から八島氏、北海道フォーラムの小林氏、彫刻を制作する安田侃さんのご子息である安田琢氏の計8人。
 田中貴文弁護士から、中国人強制連行・強制労働犠牲者と西松建設などの和解について説明し、三菱マテリアルとも2016年6月に和解解決と和解内容を説明しました。
 この和解に基ずき「三菱マテリアル基金」よる記念碑建立・追悼事業北海道実行員会(準備会)で協議を重ねてきた。①北海道関係の強制連行被害者は、6事業場1637名であるが、記念碑は、美唄市に1基建立する。②記念碑は、美唄市出身の安田侃さんに制作を依頼する。③記念碑を、我路ファミリー公園内に設置する。などを説明し、記念碑設置を要請しました。
 坂東市長は、「美唄の歴史に関するものであり、じん肺のモニュメントも既にあり、記念碑を受け入れることには問題がないと思いますが、関係団体と相談・話し合いをすすめ、早急に決めたい」と回答しました。
     写真、手前右が美唄坂東知文市長、向かい側、右から供野副会長、田中弁護士、小坂弁護士、鴫谷道連会長、八島氏。

2019年8月30日金曜日

 暁 鐘 ❘革命家 李大釗の物語❘

    釧路支部の協会会員である大川純彦(よしひこ)さんが著書出版
          ぎょう しょう               り たいしょう
      暁 鐘      革命家  李大釗の物語

  8月15日付の日中友好新聞書評欄で紹介がありました、『暁鐘❘「五・四運動」の炎を点けし者』、副題に「革命家 李大釗の物語」がありました。
 大川さんは釧路支部の会員で、日中友好協会北海道連の理事も務められたことのある方です。
 東北大学文学部修士課程修了後、北海道、大阪などで高校の先生をされていた方です。
 中国共産党の創立者の一人で、北京の責任者で、北京大学の著名な教授であった李大釗は、ソ連大使館にかくまってもらっている時、北京政府総司令の張作霖によって逮捕され、短時日に絞首刑で処刑された。
 会員の皆さん、是非ご一読ください。書店に注文されることをお勧めします。
     

記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会(準備会)第2回を開催

 美唄への三菱マテリアル基金の
  記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会(準備会)第2回を開催

 7月23日、札幌おおぞら法律事務所で、歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)の記念碑建立・追悼事業北海道実行員会(準備会)の第2回が開催され、日本中国友好協会北海道連から鴫谷節夫会長と小川勝美理事長が参加しました。
 中国人強制連行・強制労働事件北海道弁護団から髙崎暢、小坂祥司、田中貴文、猪野亨の各弁護士。北海道日中友好協会から八島氏ら2人、北海道フォーラムの小林久三氏、北海道大学法学部の吉田邦弘教授の10人が出席しました。
 田中弁護士から7月13日に開催された全国連絡会の会議報告が行われました。
 三菱の事業場があった北海道、秋田、福岡、宮崎、長崎の代表者と東京の弁護団・支援が集まって、「全国連絡会」を開催した。
 北海道の提案(安田侃氏に記念碑の制作を依頼すること、記念碑の設置場所を美唄にすること)は概ね受け入れられた。
 通常の記念碑ではなくモニュメントとすることについて中国側の意見を聞くことが必要との意見が出された。
 ↓中国側の朱春立さん、劉煥新さんの意見を聞く。「日本側の意見にまったく賛成します」(7月21日)。
 記念碑建立・記念式典費用(1億円)については、北海道3千万円、秋田千万円、福岡2千万円、宮崎千万円、長崎2・5千万円とする。このような配分については北京の「管理委員会」で決める。管理委員会は8月か9月に開催する予定。
 美唄の碑文の内容について協議しました。
  三菱の謝罪文をベースに考案する。日本語と中国語で刻む。作品とのバランスを考慮する。などを協議しました。
 美唄市への要請を9月上旬に行うことを確認しました。次回は、8月か9月に北京で開催される「管理委員会」の後に開催することを決めました。
 
 美唄市長への要請は3日に

 美唄市への要請は9月3日に行う予定です。道連から鴫谷会長、供野周夫(かねお)副会長・美唄事務局長、小川理事長の3人が参加を予定しています。
 市長への要請内容は次号で報告します。
右側手前が鴫谷会長、左側手前が猪野亨弁護士、壁を背にする田中弁護士

市電、平和号も走る

    市電、平和号も走る

市電すすきの駅を12時30分に出発して、14時にすすきの駅に一周して帰る「貸し切り市電8・15平和号」が走りました。
 貸し切り市電の中では、被爆者や今年の原水爆禁止世界大会に参加した方からの話を聞き、平和への誓いを新たにしていました。
 貸し切り市電の車内には、千羽鶴やちぎり絵、絵手紙を所狭しと飾り、親子など60人が参加しました。
 5歳の時に広島で被爆した金子廣子さんが被爆の実相などを証言しました。
 「被爆者との結婚はいいが、子どもは生むな」と医師に宣告された夫は2年前、「『子供は生むなと言えなかった』と告白しました」「孫に被爆体験を話すと、とても興味を持って聞いてくれます。平凡な生活が一番いい。二度と戦争はあってほしくない」と廣子さんは証言しました。ガタゴトと線路がきしむ中、参加者は真剣に聞き入りました。
 「平和の行動をしたいと、初めて乗りました」と高校三年生の女子生徒(18歳)「被爆者の話を今までも聞いてきたけれど、被爆したら人生は簡単に変わってしまう。つらい過去を「語り部」として話してくれ感謝します」と力を込めました。
 「若者が集まり、伝えることは難しいけれど、何ができるか考えました」語る、世界大会に参加した西穂波さん(22歳)「1歳で被爆した人が母親からの体験を聞き、語り継いでいました。より多くの若い人たちに考えてもらえるよう行動してきます」と話されました。

さっぽろ平和行動 「赤紙(召集令状)」を千枚配布    協会から3人が参加

 さっぽろ平和行動
「赤紙(召集令状)」を千枚配布
            協会から3人が参加

 8月15日(木)、さっぽろ平和行動実行委員会(77団体加盟・日中友好協会札幌支部も加盟)は、市内中心街の丸ヨ池内前で90人が参加して赤紙(戦時中の召集令状)を約1,000枚を配布しました。
 この赤紙配布行動に、日中友好協会札幌支部から、小川勝美理事長、影浦貞宏事務局長、小川美智子会員の3人が参加しました。
 宣伝カーで、実行委員会のメンバーが交代で、「安倍九条改憲」を許すな。核兵器を廃絶しようなどと次々と訴えが行われました
 戦争中のモンペ姿や防空頭巾をかぶっての赤紙配布などを行いました。
 マスコミの関心も高く、ほとんどのテレビ局や新聞社が取材に訪れ、赤紙を受け取った若い人などにインタビューを行っていました。  
15日の昼のニュースや夕方のニュースで報道されました。 
                                   配布した赤紙(召集令状)
         赤紙配布に参加した小川勝美、小川美智子貞宏の各氏と
               取材中のテレビカメラ

2019年7月19日金曜日

 第34回7・7平和集会

  日中戦争の先端・盧溝橋事件(1937年7月7日)から82年

    第34回7・7平和集会

    いま、日本を「戦争前夜」にさせないために
      ━日本国憲法の原点を解明━
    講師 笠原十九司(都留文科大学名誉教授)氏が記念講演

 7月7日(日)札幌のかでる2・7の大会議室で、第34回7・7平和集会が開催され180人が参加しました。
 青年法律家協会の今橋直弁護士が、実行委員会を代表して開会挨拶と講師紹介を行いました。
 講師の笠原十九司都留文科大学名誉教授が「いま、日本を『戦争前夜』にさせないために安倍改憲を問う❘平和憲法の原点の解明」と題して1時間50分の記念講演を行いました。
 笠原講師は、Ⅰ、安倍改憲を問うの項を立て、憲法改悪に「命を掛ける」安倍首相と題して、
(1)「憲法9条はGHQが押し付けた」という安倍首相ら改憲派の嘘について、豊富な資料を示して解き明かし、憲法改正への岸信介の執念を継承している安倍晋三氏を明らかにしました。
(2)アメリカが最初に圧力をかけた憲法改正❘岸信介❘安倍晋三の対米従属の「憲法改正}の系譜を解き明かしました。
(3)安倍政権によって埋められた憲法9条の「外堀」❘「戦争前史」から「戦争前夜」への項では、安保関連法の強行可決や共謀罪法の公布など2018年が戦争「前夜」となる危険性を指摘。今年度の軍事費の膨張を示しながら、ハワイの米軍基地を守るために秋田に、グアムの基地を守るために山口にイージス・アショアの配備やF35ステルス戦闘機などをあげ、安倍首相とトランプは同じで嘘が通る政治を強行していると強調し、第4の権力といわれるメディアが、これに追随し危機的状況にあり、司法・最高裁も官邸の意向をくんで判決を出す状況になっていると指摘しましました。
 Ⅱ 幣原喜重郎の外交官としての生き方の項を立て、1、幣原外交の再評価
(1)大正デモクラシーと幣原協調・平和・軍縮外交では、戦前の幣原外交を再評価しました。
(2)昭和ファシズムへと転換させた田中義一内閣❘戦争「前夜」への転換点となった1928年では、首相が外相も兼任し、幣原協調外交から田中強硬外交に転換したことを明らかにし、治安維持法体制の確立や3・15事件などをあげました。
(3)戦争違法化をめざした不戦条約の締結  1928年8月 パリ不戦条約調印をあげ、第1条【戦争放棄】締約国は国際紛争の解決の為戦争に訴えることを非とし、且つ其の相互関係に於いて国家の政策の手段としての戦争を放棄することを其の各自人民の名に於て厳粛に宣言す。(→日本国憲法第九条)
(4)満州事変による幣原外交(第二次)の終焉と十五年戦争 【幣原外交】国際協調、恒久平和、共存共栄、対支那不干渉  1930年4月ロンドン海軍軍縮条約調印 浜口内閣の幣原外相、条約調印と批准に奮闘する 11月浜口首相狙撃され重傷、幣原喜重郎首相臨時代理に就任。31年9月18日、関東軍の謀略により柳条湖事件・満州事変、十五年戦争の開始。
2、憲法9条の原点となった「8月15日」の体験
 8月15日の体験は、後に首相になった幣原が「世界に例のない戦争放棄、軍備全廃」の新しい憲法を起草する原点となった。幣原は自ら口述した『外交五十年』に次のように述べている。
 「玉音放送で無条件降伏を知って唖然とした気持ちで家に帰る電車の中で、三十代ぐらいの男が向かい側の乗客に『俺たちの知らん間に戦争に引き入れられて、知らん間に降参する。怪しからんのはわれわれを騙し続けた当局の連中だ』と盛んに怒鳴っていたが、しまいにはおいおい泣き出した。車内の群衆もこれに呼応して、そうだそうだとワイワイ騒ぐ。私はこの光景を見て深く心が打たれた。彼らのいうことはもっとも至極だと思った」と。
 「私は図らずも内閣組閣を命ぜられ、総理の職に就いたとき、すぐに私の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった。これは何とかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくてはいかんと、堅く決心したのであった。それを憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり、戦争を放棄し、軍備を全廃してどこまでも民主主義に徹しなければならない。他の人は知らないが、私に関する限り前に述べた信念があった。こんどの新憲法というものは、日本人の意思に反して、総司令部の方から迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私に関する限りそうではない。決して誰からも強いられたものではないのである。」
 3、幣原喜重郎内閣の組閣 1945年10月9日~46年8月15日 
Ⅲ 幣原喜重郎による憲  法九条発案
(1)憲法9条発案者を めぐる論争に終止符を
 幣原は、46年1月24日にマッカーサーを総司令部に訪ねて2人だけの秘密会談を行い、新憲法に戦争放棄と軍備全廃の条項を入れるよう申し入れ、マッカーサーも意気投合して、二人の間に「密約」が成立し、それが、象徴天皇制、戦争放棄・軍備全廃、封建制度廃止の新憲法三原則を指示した「マッカーサー・ノート」となり、新憲法GHQ民生局の作成した憲法草案の第九条になった。
(2)幣原喜重郎の「遺言」を聞き取った「平野文書」
 幣原が、49年2月から急逝した51年3月10日まで衆議院議長を務めていた時に幣原衆議院議長の秘書役であった平野三郎が54年2月に憲法調査会に提出した「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(通称、平野文書)平野は、49年から衆議院議員を5期連続努め、66年から3期岐阜県知事を務めた。
 平野三郎は、51年2月下旬、世田谷にあった幣原邸を訪ねて、「戦争放棄条項等の生まれた事情」について2時間にわたって聞き取りを行い、メモをもとに記録をまとめた。その10日あまり後の3月10日に急逝したから「平野文書」は幣原が憲法九条を発案した真実を「遺言」として語ったと言ことができる。聞き取った平野三郎は「幣原先生からは口外しないようにいわれた」のであるが、54年3月自由党憲法調査会(会長岸信介)が発足して、11月には日本国憲法改正案要綱を発表するなど、保守派の改憲論議が活発化するようになった政治状況にかんがみて、あえて「平野文書」を公にすることにした。
 1、幣原喜重郎とマッカーサーの憲法九条の「密約」
 ①幣原喜重郎がマッカーサーと1946年1月24日に秘密会談を持った理由
 「そのことだけは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、実はあの年(昭和20年)の暮れから正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心したのはその時である。元来、憲法九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものでない。ましてや天皇の問題に至っては尚更である。この二つは密接にからみあっていた。実に重大な段階であった。(中略)この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。天皇制存続といってもシンボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。天皇は日の丸を維持する神主のようなものであって、むしろ天皇本来の昔に還ったものであり、そのほうが天皇のためにも日本のためにもよいと僕は思う。この考えは僕だけでなかったが国体に触れることから、仮にも日本側から口にすることはできなかった。憲法は押し付けられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でしか実際にできることではなかった。
 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自ら国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。したがって誰にも気づかれぬようにマッカーサーに合わねばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からもらったペニシリンというアメリカの新薬を貰い全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。
②平和を守ることが天命
 僕は軍縮の困難さを身をもって体験してきた。世の中に軍縮ほど難しいものはない。世界が一せいに一切の軍備を廃止する。ここまで考えを進めてきた時に第九条というものが思い浮かんだのである。
③核軍拡競争を阻止し、 核軍縮を可能にする突 破口として日本が自発 的戦争放棄国になる
④幣原とマッカーサーと 意気投合
 僕の案は元帥の立場を打開するものだから渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。
2「憲法九条」の発案者は幣原喜重郎❘「羽室メモ」による証明
 国会図書館の憲政資料室にマイクロフィルムで保管されている。
3、憲法草案をめぐる議会答弁による幣原発案の裏付け
4、マッカーサーの記録による幣原発案の証明
 連合国対日理事会におけるマッカーサー元帥の挨拶などや米国議会での証言など多数ある。
 これらの講演のあと若干の質疑応答が行われた。
 特別報告として、天皇の代替わり❘何が問題かと題して浦瀬佑司(靖国神社国営化阻止キリスト者グループ)氏が約20分の報告行いました。
 最後に、「第34回7・7平和集会宣言」案を札幌支部の三木ふみよ副理事長が朗読して提案。全員の拍手で確認されました。
 笠原先生の「日中戦争全史上・下」セットが10セット完売し、「日本は中国でなにをしたか」は17冊普及しました。また、協会作成の「もうひとつの七夕」のチラシを参加者に配布しました。
 笠原十九司先生は、「憲法九条と幣原喜重郎━日本国憲法の原点の解明━」を出版準備中です。
    実行委員会を代表して青年法律家協会北海道支部の今橋直弁護士が挨拶
             記念講演を行う笠原十九司講師
             特別報告を行う浦瀬佑司氏
「第34回7・7平和集会宣言」案を提案する三木ふみよ副理事長

2019年7月2日火曜日

 大会に北海道から5人参加

6月1・2の両日日本中国友好協会第68回大会が開かれ、北海道から代議員と役員で5人が参加しました。
 小川理事長は、資格審査委員を務め、大会が成立していることを報告しました。
 2日目は21グループに分かれて分散会が開かれ、同時に役員選考委員会と財政小委員会も開かれ、影浦事務局長が財政小委員会に
所属しました。
 今年の分散会は10人程度のため、参加者全員が発言し・交流を深めました。
 会員50年表彰や物故者顕彰が行われ、50年では札幌支部の橋本順子、斉藤啓治、小沢伸治、小川勝美の各氏が、物故者顕彰は、苫小牧支部の河野紘、帯広支部の山田勲二、美唄支部の大沼晶の3氏の故人が顕彰されました。

高井、三木、鴫谷、影浦、小川の各氏

 第54回中国人殉難者全道慰霊祭  日中不再戦友好碑参拝と交流会

第54回中国人殉難者全道慰霊祭に先立ち、札幌から貸し切りバスで参加した皆さんは、仁木町中国烈士園の日中不再戦友好碑を参拝し、札幌支部の小川勝美理事長から中国人強制連行犠牲者の遺骨発掘・遺骨送還運動や碑の建立についての簡単な説明を受けて、皆で参拝しました。
 碑をバックにして参加者の記念撮影を行い、また、バスで慰霊祭が行われる仁木町民センターに移動しました。
 仁木町民センターでの交流会では、寺本千名夫専修大学短期大学元学長が挨拶されました。参加した北海道華僑華人婦女会や北海道中国会、26人の中国人留学生の皆さんの紹介や協会各支部の皆さんの紹介、旅システム青木久美子さんの中国平和の旅へのお誘いなども行われました。
          日中不再戦友好碑を参拝した皆さんが記念撮影

北大法学部の吉田邦彦教授の院生から感想文

北大法学部の吉田邦彦教授の院生から感想文が、先生に寄せられました。ごく一部を紹介します。
 「戦後補償問題に関して、研究会やフィールドワークなど、いろいろな活動に参加して、いろいろな感銘をいただいたけど、「日中友好の草の根の交流」という形は、初めての体験でした。そして、いままでにない深い感銘を受けました}(桑さん)
「私は初めて日本の仏法法事の儀式を拝見しました。被害者たちのご冥福を祈り、この光景を見て感動し、涙を流す方もいました」「戦争の痛苦を実感し、不再戦の決心と平和への憧れを持っています」「美しい町の善良な町民の方々がこの歴史を銘記し、定期的に中国人殉難者を追悼していることに私は誠に尊敬し、感謝します」(趙さん)

第54回中国人殉難者全道慰霊祭 仁木町民センターで盛大に開催

 6月23日(日)、第54回中国人殉難者全道慰霊祭を仁木町民センターで開催し、135人が参列しました。
その中に、北海道大学から16人、室蘭工業大学から9人、駒澤大学1人、計26人の中国人留学生の大学生や大学院生などが参列しました。また、仁木町で働く中国とベトナムからの2人の技能実習生も参列しました。
 慰霊祭は、浄土真宗大谷派北海道後志北3組の5か寺の住職によって執り行われ、読経に続き、北海道教区北3組組長 正覚寺住職 釈秀円様の「表白」(別掲)が述べられました。引き続いて読経の中、参列者が順次焼香を行いました。
 仁木町の佐藤聖一郎町長が慰霊のことばを、中華人民共和国駐札幌総領事館孫振勇総領事の追悼のことばを孔多孜(コンドズ)玉素甫(ユフス)副総領事が代読しました。
 北海道知事などの弔文報告の後、慰霊の詩吟が日本詩吟学院小樽しりべし岳風会佐藤岳毖さんが吟じました。
 世話人代表の小樽商科大学和田健夫学長が、参列者に御礼と感謝を述べられました。
 地元、仁木町の町議会議長横関一雄様のご挨拶を上村智恵子副議長が代読しました。
 在日華僑・華人を代表して北海道在日科学技術者連盟顧問の呉敦さんが述べられました。
 最後に、余市太極拳の会、釧路太極拳サークル、札幌太極拳サークル、小樽太極拳サークルの皆さんによる慰霊の太極拳表演が行われました。第19回慰霊祭から絶えることなく続いている太極拳表演です。 
                      浄土真宗大谷派北海道後志北3組5か寺住職の読経
            「表白」を述べる釈秀円住職
   表 白
 
 敬って大恩教主釈迦如来 極楽能化弥陀善逝 十方三世一切の三宝に白して言さく
 本日ここに 有縁参集の人々と共に 恭しく尊前を荘厳し 懇ろに聖教を拝読して第五十四回中国人殉難者全道慰霊祭に於いて全殉難者追弔法要を勤修し奉る
 それ殉難者追弔法要は 故人の慰霊鎮魂にとどまらず 永く強制連行犠牲者の歴史を心に刻み 再び民族の横暴 国家の侵犯を許さぬ決意を新たにする法要なり
 顧みれば 総そ国家の侵犯は あい憎める国の闘争にあらず あい怨める人の支配にあらず 人間の貪瞋愚痴 真実昏きにより起こるものなり しかれども ひとたび起こらば 人は鬼となり 狂気はあらゆる生存を奪い尽くさんとす 真に自害害彼 彼此俱害の教え いたく身に沁み 如来の遺教を慕う思い 甚だ切なり
 慰霊祭おこりて ここに五十有余年 今にその傷痕に苦しむ人少なからずと雖も かえって中国人強制労働の悲惨を知らざる者 その数を加う 今や長く その殉難の歴史を記憶に留め 謹んで迷界の愚昧を恥じて とこしなえ兵戈用いざることを誓いつつ 仏思報尽のつとめに勤しまんことを
 時に 令和元年六月二十三日 真宗大谷派北海道教区北三組  組長 正覚寺住職 釈秀円  敬って申す
        
追悼のことばを述べる孔多玉素甫副総領事
世話人代表の小樽商科大学、和田健夫学長が挨拶
慰霊の太極拳表演

2019年6月4日火曜日

日本中国友好協会 札幌支部が総会

札幌支部は、5月26日(日)午後1時30分から支部事務所で総会を開催しました。
 総会では三木ふみよさんを議長に選出して議事を行いました。
 影浦貞宏事務局長が、2018年度の活動日誌を詳細に文書にして報告しました。
 2018年度のまとめを小川勝美理事長が報告。また、決算についても小川理事長が報告。会計監査報告は、菅原健太、宍戸健の両氏から文書で報告が行われ、小川理事長が紹介しました。
 中国語教室や太極拳サークルの活動について三木副理事長から補足報告が行われ討議が行われました。
 いろいろ討議が集中したのは、会員・準会員の減少傾向が続き、支部財政に深刻な影響が出てきていることについてです。
 4月から郵便振替手数料が、窓口130円が200円に、ATMが80円が150円に値上げになりました。
 新年度から事務所当番に通う事務局役員の交通費もゼロにするなどの努力もしていきます。
 また、昨年10月からのカレンダーの郵送料300円が500円に値上げされたのが大きく、郵送が多い札幌支部のカレンダー事業は赤字になり、今後、郵送は、送料の負担をお願いすることに決まりました。
 それらを含めた方針案と予算案が可決され、役員は全員留任が決まりました。

 日本中国友好協会北海道支部連合会第53回総会 兼北海道ブロック会議

 5月22日(水)札幌の北大植物園前のかでる2・7で、日本中国友好協会北海道支部連合会総会、兼北海道ブロック会議を開催しました。
 協会本部から大田宣也副理事長が出席する予定でしたが体調不良で参加できませんでした。
 議長に札幌の三木ふみよ、小樽の鴫谷洋美の両氏を選出して進められました。
 鴫谷節夫会長が挨拶と共に大田副理事長が用意したレジメに沿って要点を報告しました。
 小川勝美理事長が昨年度の活動の総括を報告、影浦貞宏事務局長が昨年度の決算を報告し、重本雅江会計監査が監査報告を行いました。
 討議では昨年の総会で、道連財政が厳しいので各支部で自主的にカンパをしてはどうかと提起され、そのカンパが約3万円となり道連財政が少し前進したことをめぐって討議が行われました。
 仁木町の慰霊祭について、今年から町民センターに固定して開催することが確認されました。 
 新年度の活動方針案や予算案などが全員一致で可決されました。
 新年度の役員について、鴫谷会長から提案がなされ、全員が留任することで承認されました。
 最後に、参加者全員で記念撮影を行いました。
           開会挨拶と報告をする鴫谷節夫会長
               総会審議の模様
          記念写真、上は小川理事長が入り、下は原理事が入る

~日中戦争の戦端、盧溝橋事件から82年~ 第34回 7・7平和集会

   ~日中戦争の戦端、盧溝橋事件から82年~
      第34回 7・7平和集会
時7月7日午後5時30分開場・6時開始。ところ かでる2・7 820研修室。
講師 笠原十九司 都留文科大学名誉教授。日中友好協会顧問。
演題 「いま、日本を『戦争前夜』にさせないために安倍改憲を問う━
                   平和憲法の原点の解明━」   日中友好協会のブックレット「日本は中国でなにをしたか」の概説・監修。
             「日中戦争全史、上・下」(高文研刊、2,300円+税)の著者。
      会員・準会員に皆さん、知人・友人を誘って参加しましょう!
       多数の参加を 。資料代 500円。

第54回中国人殉難者全道慰霊祭 6月23日(日)のご案内

第54回中国人殉難者全道慰霊祭
6月23日(日)のご案内と募金のお願い
  苫小牧発(60人乗り)
 仁木町へ   札幌から貸し切りバスを運行します。

あなたのご参列を
 お待ちしています。
第54回中国人殉難者全道慰霊祭が6月23日(日)13時30分から仁木町町民センターで開催されます。
 日本軍国主義政府の中国侵略戦争・植民地支配によって中国人千数百万人を殺し、約4万人を日本に強制連行し、劣悪な条件で強制労働に従事させ、6800人余を死に至らしめました。
 生きて再び祖国に帰ることが出来なかった中国人犠牲者3047人を供養します。
 私たちは日本政府に二度とこのような悲劇を起こさせないと心に刻み、草の根の日中友好運動を進めています。
 会員・準会員の皆様、友人・知人をお誘い合わせのうえご参列をお願いします。
 また、この慰霊祭は、市民・道民の皆様の貴重な募金によって執り行われています。皆様の特段のご支援・ご協力をお願いします。
 貸し切りバスをご利用の方はお早めに札幌支部事務所に電話かFAⅩでお申し込みをお願いします。
 昨年は、貸し切りバスが満席でした。
 行程(慰霊祭日程とバスの運行予定時刻)

     8:40 テレビ塔北側NHK前集合
  9:00 バス出発
 11:00  仁木町民センター着
     交流会・昼食・休憩
  13:30 中国人殉難者全道慰霊祭開始
 14:20 慰霊祭終了
 14:30 仁木町出発
 14:45 ニッカウヰスキー記念館見学
 17:30 札幌着

  ◎札幌からの参加者は、バス代と昼食代を含めて
         1,000円のご負担をお願いします。
                        (学生・留学生は無料)
    ◎参加申し込みは、6月20日(木)までに。
   お早めに申し込み願います。
 日本中国友好協会札幌支部 電話 011-814⁻8658
                        昨年の慰霊祭。 5か寺の住職の読経の中、参列者が焼香
           昨年の慰霊祭、正覚寺住職が表白を述べる

2019年4月2日火曜日

河野紘さんを偲んで  日中友好協会苫小牧支部  支部長 伊藤貞市

 私は追分から苫小牧に転勤になり、日中友好協会北海道支部連合会の事務局長を引き受け、支部の梅野勝支部長(当時)より苫小牧の支部づくりを提案され、1994年4月「会員4名・特別会員1名」で細々と活動をJRのキツイ職場の中でやっていた中、2008年2月、河野紘さんが『入会』されました。そして2008年6月鳳儀萍さんを苫小牧に迎える活動が始まり、2009年8月「沙飛写真展」、2010年12月漫画展「中国からの引き揚げ~少年たちの記憶」、さらに中国の餃子講習会を4度ほどいずれも定員(30名)を超える反響でした。
 こうした活動の中、2012年2月本部の矢崎光晴事務局長を迎えて「中国問題講演会」を開催・その後支部総会を行い、正式に念願の支部結成を行い、河野さんは原動力になりました。
 2015年7月映画「望郷の鐘~満蒙開拓団の落日」の上映成功のため協会として奮闘してきたことも思い出します。2017年3支部合同の平和の集いでは、河野さんがパワーポイントを使い中国旅行の報告をわかりやすく説明、その後も語り部として活躍してきました(この間何度か中国旅行にご一緒させていただき勉強させていただきました)。
 2年前河野さんの病気について報告を受け、支部事務局長の任務を解き、治療に専念してもらうことにしました。2017年9月ニセコ町有島記念館へ河野健さん絵画展(河野さんの長男)展示会を9名で鑑賞、河野さんの奥さんから「一番喜んだのは紘さん」と聞き少しは手助けになったのかなと思っています。
 協会の活動を支えてくれた河野さん、これからはゆっくり休んで残された家族を上から見守ってあげてください。

河野紘さんがご逝去

協会の元道連理事・元苫小牧支部事務局長をされていた河野紘(73歳)さんが3月7日ご逝去されました。
 協会北海道連から葬儀に生花を捧げました。小樽の鴫谷節夫さんから香典。札幌支部の小川勝美理事長、影浦貞宏事務局長、三木ふみよ副理事長は告別式、通夜と分担し参列、ご遺族に哀悼の意を述べました。

歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)記念碑建立・追悼事業  北海道実行委員会(第一回準備会)を開く

 歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)記念碑建立・追悼事業
 北海道実行委員会(第1回準備会)を開く

 3月27日、おおぞら法律事務所の会議室で、田中貴文弁護士、髙崎暢弁護士、猪野亨弁護士、小坂祥司弁護士、日中友好協会北海道支部連合会の鴫谷節夫会長と小川勝美理事長、北海道日中友好協会八島はるみ事務局長が7人が参加して、記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会(準備会)が開かれました。
 田中弁護士から1、経過報告が行われ、この3月に中国に「歴史・人権平和基金(三菱マテリアル基金)が作られる。この基金の「管理委員会」が、基金を管理し、事業内容を決定し、それぞれ支出を行う(意思決定・執行機関)。
 日本弁護団や支援団体で日本国内準備会を発足、3月10日と18日に準備会を開く。国内は、北海道、福岡、宮崎、秋田・尾去沢、長崎の5か所で準備が始まる。
 準備会の構成メンバーなどについて協議し、1、記念碑建立・慰霊祭費用の使途の確認などを行い、2、今後の進め方ついて協議。どこに、どのような記念碑を建立するか、その費用はいくらかかるかなどを検討。
 6月1日に中国で「管理委員会」が開催される。その前に、日本国内で事前に調整しておく必要がある。そのため、連絡調整機関を設置(5月に協議会を開催する)5月22日の予定。
 碑文については、全国で統一する必要があるのではないか(日文と中文)。などについて話し合われました。いずれにしても予算が決まらなければ、すすめられない等と話し合われ、次回準備会を5月28日に開催することに決めました。

2019年3月22日金曜日

平和と教育を考えるツアー連絡会  2019年懇談会が開催される

 3月19日、ANAクラウンプラザ札幌において、平和と教育を考えるツアー連絡会が行われ、連絡会の鴫谷節夫会長が、昨年の中国への平和の旅について述べながら、開会挨拶を行いました。
 出席団体から、昨年の取り組みなどが報告されました。
 たかさき法律事務所9条の会の髙崎暢弁護士から3月に行われた、8年目の福島の旅について報告されました。日中友好協会から、小川勝美理事長が参加し、昨年9月の天津烈士陵園の在日殉難労工記念館の訪問や、11月の南京虐殺記念館の見学などについて報告しました。
 北海道平和委員会の石田明義弁護士から長沼平和ツアーや道央圏の自衛隊の基地調査などについて報告がありました。また、新日本婦人の会、高教組、高退教、道教組などからも報告・発言が行われました。
 旅システムの青木久美子さんから昨年のそれぞれのツアーについての報告が行われ、2019年の平和の旅の開催計画についても報告がありました。 
 日中友好協会との共同で開催を計画しているツアーについても報告がなされました。
 9月16日から21日の予定で中国の瀋陽とパルピンを計画し、特に瀋陽では「日本は中国でなにをしたか」で満州事変を学ぶとして、9・18記念館の見学だけでなく、毎年開催されている9・18記念式典にも参列する計画で現地旅行会社と打ち合わせを行っていることが報告されました。また、10月31日から11月3日の予定で南京虐殺記念館と日本軍の慰安婦施設が保存・展示されている施設の見学なども行い、南京の方々との交流も行う計画で進めていきたいとの報告がありました。
 昼食を食べながらも懇談を行いました。
 旅システムから内山社長や片川さんも参加し、片川が司会を務め、内山社長は閉会の挨拶を行いました。
 この懇談会で報告・検討が行われたツアーについては、「平和の旅 26号」に掲載を予定しています。
 
            ツアー連絡会で挨拶する鴫谷節夫会長
参加者に皆さん