2021年8月10日火曜日

「草の墓標」ついに出た! (新日本出版社 刊) 劉連仁さんの思い出(7)

 「草の墓標」ついに出た!(新日本出版社 刊)

    劉連仁さんの思い出(7)

                    日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫

 六十年安保の山場で「世界」に発表された中国人強制連行事件は、B6判320ページの単行本「草の墓標❘中国人強制連行事件の記録❘」として新日本出版社から刊行されました。

 一九六四年三月初版(定価三八〇円)で何判重ねたか不明ですが、相当数普及されたと思われます。

 出版の事情は「本書は中国人強制連行事件の記録である」から始まる「まえがき」の部分に次のように明記されています。


 本書の内容はその基礎となった「資料」の1%にもならない。その膨大な「資料」は何千何万という日本人民によって集められたものである。従って本書の本当の著者は何千何万という日本人民である。

 しかし本書の内容は、中国人強制連行事件の事実のわずかな一部分を現しているにすぎない。一層多くの「資料」と「証言」によって補われることを希望します。

 一九六三年十一月

 中国人俘虜殉難者慰霊事 業十周年記念全国的慰霊 祭のなかで

   中国人強制連行事件資料 編纂委員会


 全体は二十六章から成り、劉連仁事件も一章割当てられています。目次は各章の内容が判る見出し・小見出しがあり、興味を持った所から読み始めるよう工夫されています。例示すると、



 二二 美唄、夕張地区にお     ける闘争

 その一 美唄、夕張にお     ける中国人連行

  その二 中国人の闘争

  その三 日本人労働者との     友好


 また、基礎的資料はもちろんですが、証言を多く採用し、読みやすくリアルな内容です。

 中国人殉難者全道慰霊祭は、今秋第五六回を迎えますが、なぜ私たちが慰霊祭に取り組むのか、この「草の墓標」を再刊普及して、北海道の人々に知って貰いたいと切望します。

       (つづく)


「日中友好協会」と私   札幌支部 旗手 繁雄

 「日中友好協会」と私           札幌支部   旗手 繁雄

   1965年3月、20代の私は、ひどく緊張して北京の人民大会堂にいました。

 当時アメリカのベトナム侵略は、泥沼化し核兵器の使用も考えられていました。 中国平和委員会会長・郭沫若さんの招待で日本原水協代表団(12名)の一員として参加し、最初の会談が人民大会堂でした。

 テーマは「アメリカがベトナムで核兵器を使わせないために、日・中両国人民は何をすべきか」でした。

 中国9都市の平和・婦人団体や職場で交流し貴重な1ヶ月でした。中国の歴史や文化に触れたこと、何よりも誠実で真剣な多くの人々と話し合いができたことです。

 帰国してすぐ「日中道連」を訪ね入会し、56年になります。


 訪中の翌年から毛沢東派の「文化大革命」が始まり、日本の民主運動、特に、日中友好協会への攻撃が暴力を伴って行われました。

 毛沢東派が作った「日中友好協会(正統派)」へ走った身近な人もいました。それから30年以上「中国から相手にされない日中友好協会」と誹謗される中「日中不再戦」を掲げ、平和を求める中国国民との「真の友好」のために、中国共産党や政府の指導者がどうであれ、地道に運動をすすめてきた日中友好協会の一員であることを誇りに思っています。

 いま、南シナ海などにみられる膨張主義的行動にたいし、日本の菅首相は日米共同声明で、自衛隊の強化と共に、台湾海峡で事がおこればアメリカと一緒に自衛隊も出動すると言い、きわめて危険な状況になっています。

 いまこそ、日中両国民は力を合わせ「日中不再戦」の声を広げ、アジアの平和を守らなければなりません。

 「日中友好協会」の一員として頑張りたいと思っています。

旗手繁雄さんには、新年度から札幌支部の理事を務めていただいております。