2022年2月18日金曜日

遺骨送還事業から不再戦碑建立へ   

 遺骨送還事業から不再戦碑建立へ

   協会14回大会特別決議

      道連・小樽支部の取組

        

      劉連仁さんの思い出(13)


         日中友好協会北海道連 会長 鴫谷 節夫


 日本中国友好協会は、九次にわたる中国人殉難者の遺骨送還運動が終結した1964年第14回大会で日中友好不再戦碑を建立しようという特別決議を行いました。

 前に書いたように札幌を訪れた李徳全女史一行は、到着したその日の午後、東本願寺で営まれた「中国人殉難慰霊祭」に出席しています。日本中国友好協会の特別決議「不再戦碑」建立はこの取組と一体をなすもので、以後の日中友好運動の根幹となる重要なものでした。

 日中友好協会北海道支部連合会も本部の特別決議を受けて、道内58事業場すべてに不再戦碑を建立するという方針を決め、その第一号として小樽支部が中心となって後志管内仁木町に建立する運動が始まりました。

 中国烈士園「日中友好不再戦碑建立の経過」というリーフ(日本中国友好協会北海道支部連合会・小樽支部)が残っていますので紹介します。



一、歴史的背景と殉難の経  過(省略)

二、不再戦碑建立までの調  査

 昭和三十八年五月の日本中国友好協会全国大会は、今まですすめて来た中国人俘虜殉難者の慰霊・遺骨送還事業を発展させ、日中友好不再戦友好碑の建立と全国的範囲での慰霊祭を行うことを決めました。協会は、日中友好運動は、かっての中国侵略の反省に立って、一日も早く国交回復を実現させ、日中両国人民永遠の友好を確立するという、素朴なそして厳粛な理念に立って運動をすすめてきた点から言って、それは当然なことであります。

 日本中国友好協会小樽支部(会長秋保充)は本部と道連から提供された一部資料を根拠に調査することを決定し、中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会の協力のもとに資料を集め、又戦後の国際裁判の記録などを参考に本格的な調査に入りました。

 昭和四十年三月中旬、小樽支部より派遣された田浦事務局長(現副理事長)は高橋宏忠氏(現仁木町議)の案内で仁木町役場を訪ね、担当の山口厚生係長(現教育長)に来訪の趣旨を説明したところ、山口氏が高木太市町長(故人)と打ち合わせた結果、こころよく関係資料を全部提出してくれることになりました。

これによって犠牲となった十二名の出身地・到着の年月日・死亡診断書等必要資料が全部そろったので、直ちに山口氏の案内で共同墓地に行き、幸いに火葬場の管理人伊藤孝丸さんの奥さん(先代管理人の娘さん)に会い、子供の頃父親からその箇所を知らされていたことから、一行は残雪のあるところを掘出して無縁仏を確認することができました。


                                    (つづく)           次回は企画と建立の経過

 中国と私    函館 丸尾 隆子(まるおりゅうこ )

  中国と私         函館 丸尾 隆子(まるおりゅうこ )


  私は晩年の母から、「満州に行きたい」と言われたことがありました。しかし高齢の両親を連れて中国に行く自信がなく、応えられなかったことがずっと心残りでした。

 私の両親は旧「満州」からの引揚者です。父は1917年生れ、母は1921年生れ。戦後、私は4人兄妹の末っ子として1955年に生れ、幼い頃から母の戦争の話を聞きながら育ちました。

 母は、18歳頃、姉夫婦を頼って「満州」に渡りました。「満鉄」に就職し電話交換手に。

 役所勤めの父と結婚、2人の子どもに恵まれました。その後父は現地召集されました。

 終戦、母は38度線を越えられず2歳の息子、0歳の娘と北朝鮮の収容所に入れられていました。飢えと寒さで子どもたちは次々と亡くなりました。父が母の収容所にたどり着いた時から逃避行がはじまり、京都舞鶴港に上陸しました。  

 2016年しんぶん赤旗に、「日中友好協会多摩支部・八王子支部 企画

 高句麗遺跡と大連・瀋陽・ハルピンをめぐる中国東北部・平和交流の旅」が載り、躊躇なく申込みました。

 旅行中、「満鉄」の大連の本社だった建物前で、両親の遺影を胸に写真を撮ることができ、長い間の宿題をやっと終えられたようで安堵しました。

 それ以降、同支部が企画の平和交流の旅に2019年まで連続4回参加しました。

 毎回、大学生との交流会も行われています。

 旅行先と大学は次の通りです。

 2016年 

ハルピン・瀋陽・撫順、集安、丹東、大連、旅順、遼寧大学

 2017年 

南京、蘇州、上海、南京林業大学

 2018年

西安、敦煌、陝西師範大学

 2019年 

昆明、元陽、サパ(ベトナム)、雲南大学

 遼寧大学の学生が私たちを「平和の使者」、南京林業大学の学生は「中国と日本の懸け橋になりたい」と発言したことが強く印象に残りました。

 旅行を機に私は、日中の平和と友好のために生きていきたいという思いに駆られています。

                           2020・2・1 春節を祝う会(八王子支部)
                                      雲南大学日本語学科の学生と交流