2017年7月21日金曜日

東欧平和の旅 札幌支部 小川勝美

日中友好協会の会員企業の旅システムの6月28日から7月6日までのアウシュビッツなどを訪ねるツアーに参加しました。
 協会から私と妻の美智子、江別の鈴木豊実さんと小樽の加藤多一さんが参加。ツアーは10人と旅システムの内山社長と添乗員の片川さんの総勢12人でした。
 ワルシャワではショパンが洗礼を受けた聖ロハ教会を見学して、教会の玄関を出ると庭にある高い巣に一つがいのコウノトリが立っていた。すぐしゃがみ下からは見えなくなった。写真を撮れたのは私だけだった。その後ショパンが育った家を見学。博物館になっていた。キュリー博物館は臨時休館であった。旧市街のゲットー跡・コルチャックの墓や蜂起記念碑なども見て回った。
 クラクフでシンドラーの工場跡の博物館を見学した。 アウシュヴィッツ第一収容所と第二収容所・ビルケナウを見学。総面積191ヘクタールで、1947年7月2日ポーランド国会が元収容所の敷地及び物件の永久保護と国立博物館に決定した。丁度70年目の7月2日に見学しました。
 ガス室に送られるまえに女性は髪を切られ、その数2トン。髪を使って絨毯が織られ展示されていました。 
 人間の皮で作った紙巻煙草のケースが展示されていました。
 第一収容所はポーランド軍の兵舎などを活用したもので入り口には「働けば自由になれる」との看板があるが、アルバイトのBの文字がさかさまになっていた。自由になったものは一人もいない。第ニ収容所と合わせて、110万人のユダヤ人を始め、ポーランド人、ソ連軍捕虜など約130万人が収容所に送られ、110万人が殺害された。
 ドイツ人医師が貨物車から降ろされたユダヤ人などを親指を右に倒せば働ける男と判断し収容所に。女・子ども等は左に倒し、即ガス室送りになった。
 プラハでは、リディツェという村を訪ねた。ナチスによって男は全員殺害、女性や子どもは収容所に送られ、村は破壊されていた。いま記念館と公園になっていた。

            聖ロハ教会の庭にコウノトリの巣と一つがいのコウノトリ
              聖ロハ教会のの正面入り口
            
ショパンが育った家、博物館になっていた
ガス室送り前に切られた女性の髪の毛と
髪の毛で織られた絨毯が展示してあった。

第2収容所・ビルケナウの中央監視塔とその下を
         くぐるようになっていた鉄道線路の引き込み線

2017年7月18日火曜日

 北海道華僑華人連合会第14期総会懇親会  協会から鴫谷会長等3人が参加

 7月1日、プレミアムホテル中島公園に於いて、北海道華僑華人連合会の第14期総会が開催され、総会後の懇親会に、日中友好協会北海道支部連合会から鴫谷節夫会長、影浦貞宏事務局長、札幌支部の三木ふみよ副理事長の3人が参加しました。
 今期4年間務められたバートル会長が任期満了となり、後任に汪志平氏が就任されました。
 汪氏は就任挨拶で、1、連合会の団結、2、中国総領事館との交流、3、道内の各華僑団体との交流、4、ちゅうごくぶんかの普及、5、日本国内の企業と中国企業とのパイプ役、6、会員への連合会の情報公開をあげました。
 孫振勇中華人民共和国総領事は、総会が成功裏に終えられたことへの祝辞と、同時に今年は日中国交回復45周年と香港返還20周年の年。北海道華僑華人連合会の役割が益々重要になりますと祝辞を述べられました。