3回とも上映前に山田火砂子監督が挨拶に立ち「戦争の映画でなく平和のための映画を作った」と挨拶しました。また、山本滋昭の娘役の上野神楽ちゃん8歳も挨拶しました。
日中友好協会札幌支部は、会員や準会員の協力を得て、前売り券の普及に務めました。前売り券は95枚普及し、昨年制作協力券を10枚普及していました。
午後の部の試写会には、中国領事館の総領事夫人趙海藍さんも参加しました。
4月14日の北海道新聞の「読者の声」欄では「満蒙開拓団 悲劇の思い」の見出しで、渡島管内鹿部町の主婦中東信子さん73歳の投書を掲載しました。
紹介します。
映画「望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」を見た。
昭和20年5月日本政府から旧満州へ開拓のために送り込まれた長野県住民がいた。ところが3カ月後に終戦。ソ連軍の侵攻で開拓団は逃避行を強いられ、幸い帰国できたのは2割ほどだったという。
開拓団に同行した長岳寺の住職、山本滋昭さんは、捕らわれてシベリアの抑留された。後に無事帰国できた時、開拓団に参加した人を訪ね、彼らのたどった運命を1冊の本にまとめた。
また、多くの子どもたちが優しい中国人に育てられいた事実を知り、残留孤児の帰国運動を始めた。 その生涯が山田火砂子監督によって映画になった。
終戦間近な時に、なぜ満州へ送られたのか?国策とはいえ、住民に戦況の詳細が伝わっていなかったことが悲しい。
1972年、日中国交正常化後に帰国できた孤児もいたが、戦後70年たった今なお、戦禍の苦悩を引きずっている人たちがいることを私たちは知るべきであり、戦争を語り継ぐべきであると強く思った。