突然7月16日、追分支部の水間淳一支部長から元支部長梅野勝さんの訃報が入り、ご家庭の事情により葬儀は家族葬と聞きました。
僕と梅野勝元支部長は日中友好運動での付き合いで始まり、一言振り返ると追分支部の結成は1965年で中国文化革命の前日でした。結成当時は町内各層、各界の人たちが名を連ねており、中国民芸品の即売会など多彩な催物を開催していました。
僕が結成2年目に支部事務局長に推薦され、梅野さんとの付き合いが始まりました。
しかし、追分支部の最大の危機は、1974年集金体制の乱れと国鉄職場での動労分裂の厳しい情勢と組合事務所の再建のときでもあったので、どうしても「訪問集金体制組織」ができないとの問題があり、また、会員も激減したことから掘り下げて討論し、1、組合員の会員・読者の集金は職場で行い、2、他は訪問集金で合意。事務局長の活躍もあり以後順調に進みました。 団体の活動に欠かせない情報活動も定期発行しようとの気運も高まり1979年支部ニュースの名称も変わり1980年から「ほんりゅう」を月4回発行し100号記念で会員に親しまれる支部ニュースでした。
国鉄の分割・民営化(1980年)で追分支部は残ったが役員は梅野勝支部長はじめ3人だけでした(伊藤も苫小牧に転勤)。梅野支部長の「日中友好という平和運動に残る人生をささげたい」との想いは、現在もJR東日本を退職され追分に戻られた人たちに引き継がれ、「伝統ある日中友好協会追分支部」も会員の高齢化の中で奮闘しております。 梅野さん、後輩がこれまでどおり協会を守り続けますので安らかにお休みください。
2016年8月5日金曜日
第15回東アジア青少年歴史体験キャンプ 北海道を舞台に
第15回東アジア青少年歴史体験キャンプが、7月28日から8月2日まで北海道を舞台に行われました。
中高生の参加者は、中国から30人、韓国から29人、日本から32人、そして今回初めて台湾から7人の参加がありました。通訳やボランティアスタッフなど総勢161人です。
1日目は午後に千歳空港に着き、バス3台での幌加内町朱鞠内に移動し、開会式とグループ交流を行いました。
2日目は、深川市の一乗寺殿平善彦住職の朱鞠内ダム建設時の朝鮮人や日本人のタコ部屋労働などと朝鮮人の遺骨の発掘。昨年、韓国に遺骨を届けてきた内容などの講演を聞き、フィールドワークで、雨龍ダム(朱鞠内湖)や共同墓地などを見学しました。
3日目は芦別市でフィールドワークで強制連行・強制労働が行われた芦別炭鉱跡を見学しました。
午後、札幌の隣の当別町に移動し、中国人強制連行の劉連仁さんが戦後13年間も道内の山野を逃げ回り当別の穴の中で発見。無事に生還した地域に建立された劉連仁生還碑を見学しました。
劉連仁生還碑を伝える会の大沢勉副代表から、中国に帰国した劉連仁さんと町民との交流、1000人を超える人々からの善意の募金500万円で劉連仁生還碑を建立したことなどについて説明を受けました。参加者から「碑の中に丸い球があるが何か」との質問を受け、「彫刻家丸山隆先生が穴ぐらでの枕と劉連仁さんの魂を兼ねて丸い球にしたものです」と大沢さんが答えました。
4日目は札幌の北海商科大学で、「強制連行・強制労働」の共同授業が行われました。
最初に、室蘭工業高校の松本徹先生が、18歳で室蘭に来た少年と題して中国人・趙冠英さんの強制連行・強制労働について、18歳の時自宅で日本軍に捕らえられ連行され、鹿部、室蘭、計根別の各地で強制労働させられ、日本の敗戦で横浜に移られた。生前、室蘭に講演に来られたこともある。1954年10月9日から室蘭市民によるイタンキ浜で遺体の発掘をし、毎年慰霊の集いを開催してきていると授業をしました。
中国の南京師範大学付属高校の徐拙品先生が日本に強制連行されたのは3万8935人、ほかに日本が占領した満州に309万人など華北地域から強制労働者は700万に上る。ニューベルグ裁判でナチスの強制労働は戦争犯罪と裁いたが東京裁判は犯罪にならなかった不十分なものなどと授業をしました。
韓国の李慶勲先生は、明治の日本産業革命遺産と端島炭鉱などについて、朝鮮人労働者の内122人が死亡。負の世界遺産だなどと授業をしました。
井上勝生北海道大学名誉教授の「北海道の歴史と東アジア」と題した講演。井上先生は、『金大中自伝』Ⅰ・Ⅱを引用しながら小泉首相との会見で「総理に冗談を話そうと思います」といって「教科書、靖国神社参拝などを話し、これらの問題を解決すれば、あなたを『一生の最上の友人』として尊敬するするが、うまく扱えないのであれば、こんご会っても挨拶もしないつもりです」と述べたのです。自伝では「冗談といったが、実際は冗談ではなかった。最後の頼みだった」と記していますと紹介。井上先生は「教科書のなかの、日清戦争と東学農民戦争」「東学農民戦争の現地調査など」「討伐日本軍と東学農民軍、また、アイヌ民族近代史など」の項を起こして講演しました。
5日目はパネルディスカッションが行われ、日本、在日朝鮮人、中国、台湾、韓国の青年と札幌青年ユニオン委員長がそれぞれ発言し、質疑応答もしました。午後、全体交流会やオープンカフェなどを行い閉会しました。
説明する大沢勉副代表
宣言文を検討・討議
中高生の参加者は、中国から30人、韓国から29人、日本から32人、そして今回初めて台湾から7人の参加がありました。通訳やボランティアスタッフなど総勢161人です。
1日目は午後に千歳空港に着き、バス3台での幌加内町朱鞠内に移動し、開会式とグループ交流を行いました。
2日目は、深川市の一乗寺殿平善彦住職の朱鞠内ダム建設時の朝鮮人や日本人のタコ部屋労働などと朝鮮人の遺骨の発掘。昨年、韓国に遺骨を届けてきた内容などの講演を聞き、フィールドワークで、雨龍ダム(朱鞠内湖)や共同墓地などを見学しました。
3日目は芦別市でフィールドワークで強制連行・強制労働が行われた芦別炭鉱跡を見学しました。
午後、札幌の隣の当別町に移動し、中国人強制連行の劉連仁さんが戦後13年間も道内の山野を逃げ回り当別の穴の中で発見。無事に生還した地域に建立された劉連仁生還碑を見学しました。
劉連仁生還碑を伝える会の大沢勉副代表から、中国に帰国した劉連仁さんと町民との交流、1000人を超える人々からの善意の募金500万円で劉連仁生還碑を建立したことなどについて説明を受けました。参加者から「碑の中に丸い球があるが何か」との質問を受け、「彫刻家丸山隆先生が穴ぐらでの枕と劉連仁さんの魂を兼ねて丸い球にしたものです」と大沢さんが答えました。
4日目は札幌の北海商科大学で、「強制連行・強制労働」の共同授業が行われました。
最初に、室蘭工業高校の松本徹先生が、18歳で室蘭に来た少年と題して中国人・趙冠英さんの強制連行・強制労働について、18歳の時自宅で日本軍に捕らえられ連行され、鹿部、室蘭、計根別の各地で強制労働させられ、日本の敗戦で横浜に移られた。生前、室蘭に講演に来られたこともある。1954年10月9日から室蘭市民によるイタンキ浜で遺体の発掘をし、毎年慰霊の集いを開催してきていると授業をしました。
中国の南京師範大学付属高校の徐拙品先生が日本に強制連行されたのは3万8935人、ほかに日本が占領した満州に309万人など華北地域から強制労働者は700万に上る。ニューベルグ裁判でナチスの強制労働は戦争犯罪と裁いたが東京裁判は犯罪にならなかった不十分なものなどと授業をしました。
韓国の李慶勲先生は、明治の日本産業革命遺産と端島炭鉱などについて、朝鮮人労働者の内122人が死亡。負の世界遺産だなどと授業をしました。
井上勝生北海道大学名誉教授の「北海道の歴史と東アジア」と題した講演。井上先生は、『金大中自伝』Ⅰ・Ⅱを引用しながら小泉首相との会見で「総理に冗談を話そうと思います」といって「教科書、靖国神社参拝などを話し、これらの問題を解決すれば、あなたを『一生の最上の友人』として尊敬するするが、うまく扱えないのであれば、こんご会っても挨拶もしないつもりです」と述べたのです。自伝では「冗談といったが、実際は冗談ではなかった。最後の頼みだった」と記していますと紹介。井上先生は「教科書のなかの、日清戦争と東学農民戦争」「東学農民戦争の現地調査など」「討伐日本軍と東学農民軍、また、アイヌ民族近代史など」の項を起こして講演しました。
5日目はパネルディスカッションが行われ、日本、在日朝鮮人、中国、台湾、韓国の青年と札幌青年ユニオン委員長がそれぞれ発言し、質疑応答もしました。午後、全体交流会やオープンカフェなどを行い閉会しました。
説明する大沢勉副代表
劉連仁生還碑を囲んで記念撮影 |
北海道大学井上勝生名誉教授の講義 各班ごとに車座になって班ごとの平和宣言案と |
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