2016年8月5日金曜日

元日中友好協会追分支部長 梅野勝氏を偲んで   苫小牧支部 伊藤 貞市

突然7月16日、追分支部の水間淳一支部長から元支部長梅野勝さんの訃報が入り、ご家庭の事情により葬儀は家族葬と聞きました。
 僕と梅野勝元支部長は日中友好運動での付き合いで始まり、一言振り返ると追分支部の結成は1965年で中国文化革命の前日でした。結成当時は町内各層、各界の人たちが名を連ねており、中国民芸品の即売会など多彩な催物を開催していました。
 僕が結成2年目に支部事務局長に推薦され、梅野さんとの付き合いが始まりました。
 しかし、追分支部の最大の危機は、1974年集金体制の乱れと国鉄職場での動労分裂の厳しい情勢と組合事務所の再建のときでもあったので、どうしても「訪問集金体制組織」ができないとの問題があり、また、会員も激減したことから掘り下げて討論し、1、組合員の会員・読者の集金は職場で行い、2、他は訪問集金で合意。事務局長の活躍もあり以後順調に進みました。 団体の活動に欠かせない情報活動も定期発行しようとの気運も高まり1979年支部ニュースの名称も変わり1980年から「ほんりゅう」を月4回発行し100号記念で会員に親しまれる支部ニュースでした。
 国鉄の分割・民営化(1980年)で追分支部は残ったが役員は梅野勝支部長はじめ3人だけでした(伊藤も苫小牧に転勤)。梅野支部長の「日中友好という平和運動に残る人生をささげたい」との想いは、現在もJR東日本を退職され追分に戻られた人たちに引き継がれ、「伝統ある日中友好協会追分支部」も会員の高齢化の中で奮闘しております。 梅野さん、後輩がこれまでどおり協会を守り続けますので安らかにお休みください。