記念碑前での集会では、大沢勉「劉連仁生還記念碑を伝える会」会長が、開会の挨拶と劉連仁さんが強制連行から、中国に帰還されるまでの概略を話しました。
そして、北海道中国会の陶恵栄運営委員長の患者さん(たまたま治療で来日)の娘(丁一依)さん5歳が碑にツアー参加者を代表して献花しました。
当別町の宮司正毅町長の代理で本庄幸賢教育長が「末永く保存・整備を行っていきます」と挨拶されました。
日中友好協会を代表して鴫谷節夫道連会長が発見当時の状況を詳しく話しました。
記念碑を離れる直前、参加された一人の女性が「この丸い石は何を表しているのですか?」それに、鴫谷会長が「劉さんが枕代わりに使用していたものともとれますが、劉さんの孤独な魂の叫びを表しものかもしれません」と答えたのが印象的でした。
開会挨拶をされる「劉連仁生還碑を伝える会」の大沢勉会長
参加者を前に挨拶する鴫谷節夫日中友好協会道連会長
劉連仁生還碑を囲んで記念写真を撮るツアー参加者
開場を若葉会館に移して、約70人の参加者交流会が開かれました。
本庄教育長が「当別の各学校図書室に『生きる 劉連仁の物語』を配架したらたくさんのこども達が読んでくれています。私も読みました」と挨拶の中で紹介しました。
「生きる 劉連仁の物語」の作者、森越智子さん(児童文学作家・日友好協会会員・函館市在住)が、執筆当時を振り返って講演をしました。
体調の関係から一度は断ったが、東京の出版社から茨木のり子さんの「りゅうりぇんれん物語」という詩集が送られてきて、それを読み心が動かされ、今書かなければと決意した」と述べ、「ありとあらゆる資料を集め、外務省外交資料館で『華人労働者報告書』からコピーを取って調査も行う。その中から、4万人もの強制連行者の中に、15歳以下が157人も、また、78歳の人や11歳の子ども含まれるなど大変な実態が克明に記録してあった」「沼田町の現場や当別町の現場に赴き、関係者の話を聞き取り、原稿が出来上がったが、日中関係が悪化していて発行が延び延びなっている時に、日中友好協会の劉連仁墓参ツアーがあり参加しました。これも本を充実させるうえで貴重でした」などと講演しました。
また、森越さんの「生きる・」が第62回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選定され、入賞作品52篇のうち「生きる」が27篇も入賞しました。
森越さんはそれらを紹介しながら、入賞しなかったが感動を呼んだ1篇を朗読して講演を終えました。
劉連仁生還60周年のスライド上映の後、感想交流の中で、生還碑の前にお住いの木屋路喜一郎さんが、劉さんの発見・保護について第一発見者の袴田清治さんから聞いた時のメモや「かんじき」を集めまわった自らの体験を交え、劉さんの保護に向かった時の話などを詳しく語られました。
当別町は明治4年、仙台藩岩出山の領主 伊達邦直によって開拓された所。当時のゆかりの品が展示されている資料館と伊達邸別館なども見学しました。