2019年4月2日火曜日

河野紘さんを偲んで  日中友好協会苫小牧支部  支部長 伊藤貞市

 私は追分から苫小牧に転勤になり、日中友好協会北海道支部連合会の事務局長を引き受け、支部の梅野勝支部長(当時)より苫小牧の支部づくりを提案され、1994年4月「会員4名・特別会員1名」で細々と活動をJRのキツイ職場の中でやっていた中、2008年2月、河野紘さんが『入会』されました。そして2008年6月鳳儀萍さんを苫小牧に迎える活動が始まり、2009年8月「沙飛写真展」、2010年12月漫画展「中国からの引き揚げ~少年たちの記憶」、さらに中国の餃子講習会を4度ほどいずれも定員(30名)を超える反響でした。
 こうした活動の中、2012年2月本部の矢崎光晴事務局長を迎えて「中国問題講演会」を開催・その後支部総会を行い、正式に念願の支部結成を行い、河野さんは原動力になりました。
 2015年7月映画「望郷の鐘~満蒙開拓団の落日」の上映成功のため協会として奮闘してきたことも思い出します。2017年3支部合同の平和の集いでは、河野さんがパワーポイントを使い中国旅行の報告をわかりやすく説明、その後も語り部として活躍してきました(この間何度か中国旅行にご一緒させていただき勉強させていただきました)。
 2年前河野さんの病気について報告を受け、支部事務局長の任務を解き、治療に専念してもらうことにしました。2017年9月ニセコ町有島記念館へ河野健さん絵画展(河野さんの長男)展示会を9名で鑑賞、河野さんの奥さんから「一番喜んだのは紘さん」と聞き少しは手助けになったのかなと思っています。
 協会の活動を支えてくれた河野さん、これからはゆっくり休んで残された家族を上から見守ってあげてください。

河野紘さんがご逝去

協会の元道連理事・元苫小牧支部事務局長をされていた河野紘(73歳)さんが3月7日ご逝去されました。
 協会北海道連から葬儀に生花を捧げました。小樽の鴫谷節夫さんから香典。札幌支部の小川勝美理事長、影浦貞宏事務局長、三木ふみよ副理事長は告別式、通夜と分担し参列、ご遺族に哀悼の意を述べました。

歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)記念碑建立・追悼事業  北海道実行委員会(第一回準備会)を開く

 歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)記念碑建立・追悼事業
 北海道実行委員会(第1回準備会)を開く

 3月27日、おおぞら法律事務所の会議室で、田中貴文弁護士、髙崎暢弁護士、猪野亨弁護士、小坂祥司弁護士、日中友好協会北海道支部連合会の鴫谷節夫会長と小川勝美理事長、北海道日中友好協会八島はるみ事務局長が7人が参加して、記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会(準備会)が開かれました。
 田中弁護士から1、経過報告が行われ、この3月に中国に「歴史・人権平和基金(三菱マテリアル基金)が作られる。この基金の「管理委員会」が、基金を管理し、事業内容を決定し、それぞれ支出を行う(意思決定・執行機関)。
 日本弁護団や支援団体で日本国内準備会を発足、3月10日と18日に準備会を開く。国内は、北海道、福岡、宮崎、秋田・尾去沢、長崎の5か所で準備が始まる。
 準備会の構成メンバーなどについて協議し、1、記念碑建立・慰霊祭費用の使途の確認などを行い、2、今後の進め方ついて協議。どこに、どのような記念碑を建立するか、その費用はいくらかかるかなどを検討。
 6月1日に中国で「管理委員会」が開催される。その前に、日本国内で事前に調整しておく必要がある。そのため、連絡調整機関を設置(5月に協議会を開催する)5月22日の予定。
 碑文については、全国で統一する必要があるのではないか(日文と中文)。などについて話し合われました。いずれにしても予算が決まらなければ、すすめられない等と話し合われ、次回準備会を5月28日に開催することに決めました。