私は追分から苫小牧に転勤になり、日中友好協会北海道支部連合会の事務局長を引き受け、支部の梅野勝支部長(当時)より苫小牧の支部づくりを提案され、1994年4月「会員4名・特別会員1名」で細々と活動をJRのキツイ職場の中でやっていた中、2008年2月、河野紘さんが『入会』されました。そして2008年6月鳳儀萍さんを苫小牧に迎える活動が始まり、2009年8月「沙飛写真展」、2010年12月漫画展「中国からの引き揚げ~少年たちの記憶」、さらに中国の餃子講習会を4度ほどいずれも定員(30名)を超える反響でした。
こうした活動の中、2012年2月本部の矢崎光晴事務局長を迎えて「中国問題講演会」を開催・その後支部総会を行い、正式に念願の支部結成を行い、河野さんは原動力になりました。
2015年7月映画「望郷の鐘~満蒙開拓団の落日」の上映成功のため協会として奮闘してきたことも思い出します。2017年3支部合同の平和の集いでは、河野さんがパワーポイントを使い中国旅行の報告をわかりやすく説明、その後も語り部として活躍してきました(この間何度か中国旅行にご一緒させていただき勉強させていただきました)。
2年前河野さんの病気について報告を受け、支部事務局長の任務を解き、治療に専念してもらうことにしました。2017年9月ニセコ町有島記念館へ河野健さん絵画展(河野さんの長男)展示会を9名で鑑賞、河野さんの奥さんから「一番喜んだのは紘さん」と聞き少しは手助けになったのかなと思っています。
協会の活動を支えてくれた河野さん、これからはゆっくり休んで残された家族を上から見守ってあげてください。