《武漢支援募金》の経緯と
皆様へのお礼
吉田邦彦(北海道大学大学院法学研究科教授、
南京師範大学兼職教授)
これまで偶然武漢大学などで、報告・講演の機会があり、武漢市武正街については、論文を書いていて(拙著・都市居住・災害復興・戦争補償と批判的「法の支配」(有斐閣、2011,98頁以下)、中国の諸都市の中でも武漢は、私には、もっとも縁が深い場所になっていました。今年1月23日の都市封鎖以来、華中師範大学に赴任した教え子の李雯静さんには、メールが届かなくなり、ようやく1ケ月ほどして、2月中旬、たまたま手帳に書き付けてあった電話番号で彼女に繋がりました。その時李さんは、辛い生活をしていて、絶句して電話の向こうで泣いており、こちらも胸が詰まり、「武漢は今大変です。でも何も心配しないでください。郵便物など届きませんですから」との片言の返事でした。そして、「札幌では長い間お世話になりました」と過去形で話すのを聴き、ものすごい恐怖にさらされていることを察知し、涙が止まりませんでした(李さんとはそれまで屡々メールでやり取りしており、眼科医のお母様が、乳癌に倒れられ、看病・介護で昨年は本当に疲れたので、もう故郷の長沙に戻りたいと言っていた矢先の、春節直前の都市封鎖でした)。
「何もするな」と言われても、では一体何を彼女にしてあげられるのだろうか、と途方に暮れました。間もなく上海の弁護士の許晨君から連絡があり、「寄付くらいしかできないだろう」とアドバイスを受けましたが、無力な自分でもできるのかと躊躇しました。しかしそこで思い出されたのは、個人的にも面識があった、昨年凶弾に倒れた故中村哲医師の『吉田さん、思いついたら、どんな小さなことでも自分からやり出さなければいけない』という言葉でした。そこで札幌中国領事館の兪昂さんに電話してこの事情を申し上げたら、領事館としても応援すると仰ってくださり、何といっても、日中友好協会札幌支部の小川勝美理事長が二つ返事で、全面的に協力して下さいました。お礼の言葉もなく、草の根の市民の皆さんの善意を間近に見る思いで、嫌なことが多い昨今、李さんのおかげでよい思いをさせていただき、逆に私は、彼女に感謝しています。
ほぼ同時期に、南京師範大学の趙莉教授から、僕の教え子の蘇州で弁護士をしている何天宏君(南京大学卒)ら上海圏の弁護士仲間で(彼も仁木の慰霊祭に行っているので、小川さんはご存じだと思います)、北大に沢山のマスクを送ってくれたことを知らされて、彼らの思いの深さに感銘を受けるとともに、こうした草の根の日中友好の連帯が広がっているのを実感しています。(同君は、日中友好協会の我々の動きを知っており、おそらくそれに呼応する動きだと思います)。
今やコロナウイルス問題は、世界的なパンデミックをもたらし、楽観を許さない状況です。武漢も4月8日に都市封鎖が解除されても、従来通り制約の多い都市生活は何も変わっていないことは報ぜられています。 駐米中国大使の崔天凱氏が強調されるように、今コロナウイルスと立ち向かうために求められているのは、《米中、そして世界の連帯》ではないでしょうか。武漢からは数多くの学ぶところがあると思います。我々が行ったことはごくささやかなことでしたが、今後長期戦を強いられるこの世界的試練にどう対処したら良いのかを、これを機縁に皆様とともに考えたいです。
日中友好協会の皆様、ご協力、本当に有り難うございました。
武漢大学で李さんたちと
下は華中師範大学での講演後に李さんたちと