「日中友好協会」と私 札幌支部 旗手 繁雄
1965年3月、20代の私は、ひどく緊張して北京の人民大会堂にいました。
当時アメリカのベトナム侵略は、泥沼化し核兵器の使用も考えられていました。 中国平和委員会会長・郭沫若さんの招待で日本原水協代表団(12名)の一員として参加し、最初の会談が人民大会堂でした。
テーマは「アメリカがベトナムで核兵器を使わせないために、日・中両国人民は何をすべきか」でした。
中国9都市の平和・婦人団体や職場で交流し貴重な1ヶ月でした。中国の歴史や文化に触れたこと、何よりも誠実で真剣な多くの人々と話し合いができたことです。
帰国してすぐ「日中道連」を訪ね入会し、56年になります。
訪中の翌年から毛沢東派の「文化大革命」が始まり、日本の民主運動、特に、日中友好協会への攻撃が暴力を伴って行われました。
毛沢東派が作った「日中友好協会(正統派)」へ走った身近な人もいました。それから30年以上「中国から相手にされない日中友好協会」と誹謗される中「日中不再戦」を掲げ、平和を求める中国国民との「真の友好」のために、中国共産党や政府の指導者がどうであれ、地道に運動をすすめてきた日中友好協会の一員であることを誇りに思っています。
いま、南シナ海などにみられる膨張主義的行動にたいし、日本の菅首相は日米共同声明で、自衛隊の強化と共に、台湾海峡で事がおこればアメリカと一緒に自衛隊も出動すると言い、きわめて危険な状況になっています。
いまこそ、日中両国民は力を合わせ「日中不再戦」の声を広げ、アジアの平和を守らなければなりません。
「日中友好協会」の一員として頑張りたいと思っています。