中国と私 函館 丸尾 隆子(まるおりゅうこ )
私は晩年の母から、「満州に行きたい」と言われたことがありました。しかし高齢の両親を連れて中国に行く自信がなく、応えられなかったことがずっと心残りでした。
私の両親は旧「満州」からの引揚者です。父は1917年生れ、母は1921年生れ。戦後、私は4人兄妹の末っ子として1955年に生れ、幼い頃から母の戦争の話を聞きながら育ちました。
母は、18歳頃、姉夫婦を頼って「満州」に渡りました。「満鉄」に就職し電話交換手に。
役所勤めの父と結婚、2人の子どもに恵まれました。その後父は現地召集されました。
終戦、母は38度線を越えられず2歳の息子、0歳の娘と北朝鮮の収容所に入れられていました。飢えと寒さで子どもたちは次々と亡くなりました。父が母の収容所にたどり着いた時から逃避行がはじまり、京都舞鶴港に上陸しました。
2016年しんぶん赤旗に、「日中友好協会多摩支部・八王子支部 企画
高句麗遺跡と大連・瀋陽・ハルピンをめぐる中国東北部・平和交流の旅」が載り、躊躇なく申込みました。
旅行中、「満鉄」の大連の本社だった建物前で、両親の遺影を胸に写真を撮ることができ、長い間の宿題をやっと終えられたようで安堵しました。
それ以降、同支部が企画の平和交流の旅に2019年まで連続4回参加しました。
毎回、大学生との交流会も行われています。
旅行先と大学は次の通りです。
2016年
ハルピン・瀋陽・撫順、集安、丹東、大連、旅順、遼寧大学
2017年
南京、蘇州、上海、南京林業大学
2018年
西安、敦煌、陝西師範大学
2019年
昆明、元陽、サパ(ベトナム)、雲南大学
遼寧大学の学生が私たちを「平和の使者」、南京林業大学の学生は「中国と日本の懸け橋になりたい」と発言したことが強く印象に残りました。
旅行を機に私は、日中の平和と友好のために生きていきたいという思いに駆られています。
2020・2・1 春節を祝う会(八王子支部)雲南大学日本語学科の学生と交流