2023年2月17日金曜日

3・1ビキニデー北海道集会を開催

      3・1ビキニデー北海道集会を開催

 

  2月4日、北海道クリスチャンセンターにおいて、3・1ビキニデー北海道集会が開催されました。

 主催は、北海道原水協など。日中友好協会札幌支部も参加団体です。

 集会では、主催者を代表して、北海道宗教者平和協議会理事長で一条寺住職の殿山善彦実行委員長が挨拶しました。殿山氏は世界は戦争の時代に突入してしまった。新たな危機感を持たざるをえない。戦争を始めるのは簡単だ。どう終わらせるのか、見通しを持っているものは誰もいないなどと述べました。

  殿山氏は、本日の3・1ビキニデーを機に、平和への危機を共有し、核兵器の廃絶、原発の廃止に向け力を合わせましょうと呼びかけました。

 追悼の部では、殿山住職の読経の中、参加者を代表して北海道被爆者協会の代表が、原水爆犠牲者と全戦争犠牲者の御霊に献花しました。続いて、北海道キリスト者平和の会の黒田靖氏が、平和の願いを朗読提案、被災船元乗組員の証言を紹介しました。

 講演の部では、『「ビキニ事件」と日本の戦後』『私たちは「核時代に生きる当事者」』と題して岡村啓佐太平洋核被災センター副代表が、1時間強の講演を豊富な資料使って行いました。

 ヤルタ会談後の6日、ソ連の参戦前に広島にウラン型原爆を投下。ソ連参戦の9日長崎にプルトニュウム型原爆を投下。 ビキニ事件ではアメリカが日本に200万ドルを見舞金として支払うことで政治取引を行う。また、ビキニ被爆船員訴訟裁判は、まだ各地で闘われている。支援をと呼びかけました。
 集会は「日本政府へ 核兵器禁止条約に参加を」の決議を行い、原爆の火を守る募金の訴えが行われ終了しました。
        上は、講演される岡村啓佐太平洋核被災センター副代表。
     下は、主催者代表の北海道宗教者平和協議会理事長の殿山善彦実行委員長

文革終結宣言から8年  第20回慰霊祭を迎える 劉連仁さんの思い出(22)   

  文革終結宣言から8年

 第20回慰霊祭を迎える 

          劉連仁さんの思い出(22)

        日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫


  第20回中国人殉難者全道慰霊祭は日曜日となった7月7日に挙行しました。

 例年どおりの次第でしたが、読経は小樽仏教会、世和人代表挨拶・藤井栄一商大学長、仁木町長挨拶は島本虎三氏でした。

 仁木町と小樽仏教会に感謝状が贈呈され、慰霊として太極拳表演のほかに「おたる潮太鼓」の演奏がありました。

    

     栞に載った島本町長の

   メッセージ

  島本町長は挨拶とは別に次のようなメッセージを寄せています。


 第20回の慰霊祭を迎えて

   仁木町長 島本虎三

 日中不再戦友好碑が仁木町に建立されてから、すでに20年たちました。今、第20回中国人殉難者全道慰霊祭を行うに当たり、今こそ強い反省が必要であると痛感されます。

 政府は専守防衛、平和に撤すると言いながら国防優先の言葉が次々と流れてくるのはどうしたことでしょう。

 私たちは満州事変から盧溝橋事件へと日本の軍国主義が全中国に侵略の戦火を広げ、中国人民千数百万人を殺傷したことを深く反省しなければなりません。

 「日中不再戦友好碑」のもとに、この過去を懺悔し、平和こそ何ものにも代え難い貴重な資産であることを肝に銘じ、その為の誓いの碑にしてこれを守っていきたいと考えます。


 「その為の誓いの碑にしてこれを守っていきたい」という決意は、その後の慰霊祭の基本理念としてしっかり受け継がれています。

 岸田内閣は「閣議決定」という国会を無視した独裁的手法によって、米国に組み込まれた敵基地攻撃という戦争へ進もうとしています。絶対にその道を許してはなりません。

                          (つづく)

「日中不再戦」の声を今年こそ 大橋 晃

 「日中不再戦」の声を今年こそ

                  大橋 晃

 「日中不再戦」ーー日中友好運動の原点であるこの言葉が、今年は現実味を持ったものになろうとしています。

  岸田首相は、「敵基地攻撃能力」の保有、軍事費の倍化などを手土産に訪米し、バイデン大統領と「敵基地攻撃」の運用で協力することを約束しました。これは「台湾有事」などに際して、自衛隊が米軍の指揮のもとに中国に攻め込むことを可能にするものです。

 今年を「新たな戦前の年になる」としたタモリの発言が話題となりましたが、これも現実味を帯びたものになってきています。

 私は1940年に北京で生まれ、5歳の時石家荘で終戦を迎え、翌年引き揚げました。  幼少時でしたが、戦争末期の空襲の記憶は鮮明に残っており、ウクライナの地下壕で恐怖に震える幼子を見ると、当時の記憶がフラッシュバックします。

 同時に、歴史を学ぶ中で、日本が中国の人々に与えた「加害」についても深く考えるようになりました。私の父は民間人で、中国の人々に差別的なことはしていませんでしたが、私たちの存在自体が「侵略者」の一員であったことは紛れもない事実です。

  「2度と被害者にも加害者にもならない」――これは生涯を貫く私の原点です。

 最近の中国の軍拡や一連の理不尽ともいえる行為は確かに問題です。しかし「軍事に対して軍事」がエスカレートしていけば行きつく先は明らかです。福田康夫元首相も「日中互いに軍備を強化しあう関係でいいのか」(毎日デジタル1月1日)と言っています。

 憲法9条を持つ国として、いまこそ外交的努力こそ強めるときです。そして「日中不再戦」の声を国民の間で大きく広げるときです。

          〈勤医協中央病院名誉院長〉

             (元道議会議員)