1月26日、日中友好協会北海道支部連合会の顧問(元会長・札幌支部理事長)、斉藤康治様がご逝去されました。享年96歳でした。
葬儀は家族葬でしたが、日中友好協会北海道道連から生花を捧げました。
27日のお別れの夕べには、鴫谷節夫道連会長、小川勝美札幌支部理事長、三木ふみよ副理事長が参列し、28日の告別式には影浦貞宏事務局長が参列し、お見送りをしました。
斉藤康治さんは、小樽で板金工をしていた1943年召集され、満州(当時)の陸軍衛生兵として従軍しました。敗戦後、46年9月、北安附近にいた日本人1200人は帰国させるということで列車は南下しました。しかし、途中で東に進み、着いたところは東満の鶴崗炭鉱でした。
中国側から「国共内戦で危険」ということで鶴崗炭鉱で働きました。49年10月1日、新中国が成立。「こうした中で生産を高め、学習に励み、新しい国の主人公としての自覚を高めていく姿を見ることができた。
残留した鶴崗を第二の故郷と思い、新しい生き方をもつことができたことは幸せであったと思っている」と日中友好新聞に書いています。
58年7月、最後の引き揚げ船白山丸で帰国、同船には故山崎幸さんも。59年日中友好協会に加入。89年から道連常任理事、札幌支部理事長等を務め、2013年から道連会長、16年から顧問に就任していました。