3月9日(金)から11日(日)まで、沖縄の那覇市内の空手会館で太極拳種目別合宿が行われ、全国から102人が参加しました。北海道からは三木が参加しました。
種目は、二十四式、四十二式総合、陳式簡化の3種目です。
1日目の練習後、琉球大学名誉教授の上里賢一沖縄支部長が「日本の琉球併合と中国・台湾」と題して講演しました。
日米同盟によって、日本の安全は維持できるいう「常識」は、沖縄では却って「軍事基地は経済発展の阻害要因」であり「軍事基地があるゆえに攻撃される」という認識になっている。また、沖縄独立を掲げる「琉球民族独立総合研究会学会」が活発化しているが、私は支持していない。
1879年の明治政府の琉球併合は武力によるものであった。沖縄本島以北を日本へ、以南を中国清朝にという分割案もあった。
この時、武力併合ではなく、もっとおだやかな併合の仕方であればよかったと考えている。
現在、普天間の基地を辺野古へ移すという政策も、もう沖縄の人々の我慢の限界を越えている。沖縄は、これから東アジア文化交流拠点として、軍事基地を撤去し、尖閣諸島周辺の非軍事化を目指すべきでないか、と展望を述べました。
3日間の合宿後、4日目は、1日コースとして辺野古移転反対の座り込みグループと、半日コースの南部戦跡めぐりコースに分かれました。
三木は帰札の最終飛行機の関係上、やむをえず半日コースに参加しました。
半日コースは、平和祈念公園での平和の礎を見学しながら、若い平和ガイドの方から色々な方の亡くなった状況を聞きました。
4月1日米軍上陸後、首里城下にあった司令部が南部の摩文仁に撤退して、6月23日司令官牛島満が何の命令も下さず自決してしまい、配下の部隊は戦いを止めることができなかった。 特に印象深いのは、1万人の人が住む久米島に40人部隊やってきて、島の人々を支配するために、アメリカのスパイ容疑で郵便配達夫や海で海草を拾っていた朝鮮人一家を殺害した話である。
無責任に自決した牛島司令官の名も礎の中に刻まれていました。沖縄の人々の寛大さでありましょうか。
(三木ふみよ)