協会創立70周年に寄せて
北海道連会長 鴫谷 節夫
私は1958年4月、倶知安農業高校に採用されて北海道にやって来た。60年安保で北海道の労働組合が派遣した上京抗議団に北海道高教組の代表として参加した。同じく小樽から参加した相場実さんに勧められて、日中友好協会に加入した。これが私の人生を決定した。協会歴は60年になる。
当時の小樽支部には、すぐれた先輩がたくさんいて、しかもそれぞれが深い中国とのかかわりを持っていて日中友好について考えさせられることが多かった。
武田篤明さんは満鉄のSLの機関士で、引き揚げてきてからは小樽築港機関区の機関士をし、共産党の市議も三期務め、日中の役員をはじめ多くの民主団体の役員として活躍した人である。
1997年、84歳になって活動に一区切りつけ「あるSL労働者の旅路ー八十年かけあるき」を出版した。238頁の詳細な自伝であり理性的考察の記録である。「あとがき」に次の一節がある。
私の人生に決定的影響をもたらした「新中国」は、「文化大革命」や「天安門事件」に見られるように大きく変貌し、人々を感動させた当時の「良さ」は昔語りとなった。私は中国人民との友好は願いつつも、政権に対する信頼は、事実と道理にてらして、強い不信感に変わった。
しかし、四千年の歴史に培われた中国人民の知恵と潜在力は、何時の日か民主的政権をわが物都し、曾ては国際的評価を得た「平和五原則」に光を当てるであろうと期待される。
日本共産党は先般の党大会で綱領を一部改定して、「社会主義をめざす新しい探求が開始され」以下の部分を削除した。日中友好運動を進める私たちにとって武田さんんの指摘は深く考えさせるものがある。