たかが俳句 竹内 狐草
俳句の奥深さは、続けるうちにどんどん深みを増していくようである。気が付けば誘われてから三十数年が経ってしまった。たかが俳句と思っていたのが、今では日常生活の一端となっている。日常の小さなことにも感慨や風情を感じるようになり、限りない句材を見つける愉しさは俳句をしなければ分らないのである。今、日本語は大きく変化しており古来の日本語は消えゆく存在では無かろうか。俳句も時代と共に変化して口語句が多くなって来ている。俳句の本来の抒情は、文語体を駆使することにより生まれるものと思っている。私に残された時間はどの位なのか知る由もないが、俳句を作れるかぎり日本語の美したを追求したいと思っている。
髪切って颯爽と行く枯葉道 狐草
三日はや常の暮らしに戻りけり 狐草
抱かれて木の芽に触るる男の子 狐草
以前、友人から中国旅行を提案されたが飛行機嫌いの私は提案に乗れなかった。でも中国の風物には関心があり、シルクロードや万里の長城・山岳民族等のテレビ映像は出来るだけ見るようにしている。中国が列車や船で行ける所であれば是非行きたいと思っているが、年々行動範囲が狭まって来ているので難しいかも知れない。亡くなった叔父は何度も中国を訪れ、思想は別にして良い所だと何度も話していたことが思い出される。
アカシア俳句会主宰
日本中国友好協会会員