「エッ、こんなに大きく!」
劉連仁さんの思い出(8)
(番外編)
日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫
道新記者Aさんから掲載の予告を聞いていたが、まさかこんな大きな記事になるとは、全くの想定外だった。しかも第一社会面。
「加害の歴史 直視して」「強制連行の故劉連仁さん 潜伏生活13年」「交流の歴史を回顧録に」と3つ見出しがあった。
8月2日早朝6時すぎ、「こんな大きな記事になるとは あなたのおかげ 慰霊祭を支えている仲間が喜びます感謝 お元気で!鴫谷」メールを送った。最後の一言は、Aさんが7月の末に札幌に転勤になったからだ。
道新小樽支社のA記者は4年前に新卒で小樽にやってきた。夏の「おたる平和展」の取材で知合って、私に話を聞きたいと我が家に来ていろいろ話した。
ちょうどその年のおたる平和展では、小樽市内の山田さんという方が「物置で戦時中の旧日本軍が発行した冊子を見つけた」と事務局に届けてくださった。
これがまた大変な代物で陸軍が発行した少年兵募集のパンフレットだった。
表紙は「わが陸軍の少年兵」とあり、「陸軍少年飛行兵学校」などさまざまな兵種の募集内容や給料まで記載されている。発行年月日はなく、発行元もない。
私はその冊子をA記者に渡して、提供者の山田さんに会って話を聞いたらいいよ勧めた。私が意図したものと違ったが、彼女は見事な記事をまとめ、8月15日の「地域の話題」面を大きく飾ったのである。
A記者に「回顧録」と命名された「劉連仁さんの思い出」は当初の予定を遥かに越え、何時完結するか見通せない。書き始めて構想(大袈裟だが)が変わったのだ。まだ仲間にも話していないし、了解も取り付けていないが「中国人殉難者全道慰霊祭のあゆみ」のその一部として書いておきたいと切に思うのである。