慰霊祭の基礎固まる
第10回慰霊祭
劉連仁さんの思い出(20)
日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫
早くも維持管理費の問題
1975年中国人慰霊祭は第10回目を迎えました。
これに先立って第8回では活版印刷の案内状が作られています。しかし文面は次の通り補修のため「募金」も呼びかける内容で、中国烈士園の維持が大きな課題となる前兆でした。
中国人殉難者全道慰霊祭への参加と「日中友好碑」の補修のための募金にご協力のお願い
和田理事長を迎えて
第10回慰霊祭の世話人は次の八名でした。
実方正雄・小樽商科大学学長
稲垣 祐・小樽市長
岡 武夫・仁木町長
小柄義信・余市町長
島 悳・小樽仏教会会長
松浦一・北大名誉教授
戸谷富之・北大教授・日中道連会長
秋保 充・医師・日中小樽支部会長
次の通りメモが残っているので掲載します。
日中不再戦友好碑建立十周年記念 中国人殉難者全道慰霊祭次第
(A)
1開会
2地元代表挨拶 仁木町長
3読経 仏教会
4焼香 氏名読み上げ
5弔電披露
6世話人代表挨拶戸谷会長
7閉会
会場移動三十分
(B)記念パーティー
1開会❘進行係(道連)
2感謝状贈呈❘
壇上 和田、補助田浦
3日中友好協会代表挨拶
本部和田理事長 十分間
4仏教会代表挨拶
5乾杯❘道連
6受賞者代表挨拶❘井上
7スピーチ
8閉会挨拶❘秋保
この行事を担当した役員は約二十名でしたが、当然のことながらほとんど鬼籍に変わり、生存者は私を含め三名です。
(つづく)