名実伴う中国人殉難者全道慰霊祭を ━第20回をめざして━
劉連仁さんの思い出(21)
「慰霊祭のしおり」
日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫
慰霊祭当日、参列者に配る「栞」が作られたのは、第16回です。ガリ版印刷の6ページですが、当時のやり方が判って興味深いところがあります。
日本・中国友好協会札幌支部太極拳サークルによる慰霊太極拳がこの栞に載っています。例年事前に配布するチラシに「慰霊祭のあゆみ」では第19回(1984年7月1日)に慰霊太極拳の記載がありますが、それより3年前に始まっていたわけです。
強制連行された中国人の要求書
この栞の5ページと6ページには、小樽の菅原組と日本港運業会に強制連行された中国人が、米軍の荷役要請を拒否した次のような「要求書」が掲載されています。
要求書(訳文)
一、我等は俘虜として来たのであって、華労としてきたのでない。自ら願って日本の牛馬の如き仕事をしに来たのにあらず。此れ日本軍隊が強力に中国の数十箇村を包囲、青壮年を問わず全部捕らえ、一部を捕虜とし、一部を農民として捕らえたのである。これを以て我等は俘虜待遇を受くべきで、華労待遇ではない。
二、日本に来て受けた損失に対する賠償
1、労力と精神上の損失(以下略)
2、残留家族の生産財上の損失(以下略)
3、由って、我等俘虜として日本に来たる一年間家族の音信不通(我等に通信を許さず)、故に家族の生活は維持できない。又、生死を知らず、毎日心配している。すべからく一刻も早く帰国し、以って家族の意を安んぜん。
小樽華人代表
常金才、張玉林、税憲巧、韓明徳、武済津、王付臣、嚇土傑
この資料は「小樽民衆史を語る会事務局長・琴坂尚氏の資料集」から引用したものです。
宝物❘参列者名簿
16回はこの外に、「中国人殉難者全道慰霊祭参列者名簿」を用意し、参列者に記帳を求めました。直筆で56名分があります。57回まで延べ参列者数はどのくらいになるか、名簿を数えてみたいと思っています。 (つづく)