2015年7月17日金曜日

盧溝橋事件から78周年 札幌で7・7平和集会を開催

~日中戦争の戦端、
  盧溝橋事件(1937年7月7日)から78年~
   第30回 7・7平和集会
  
   戦後70年、いま植民地支配・
      侵略戦争と向き合う

 7月7日、札幌市民ホール会議室で30回目を迎えた「7・7平和集会」が、日本中国友好協会札幌支部やキリスト教団体など31団体でつくる実行委員会が主催して開かれ、160人が参加しました。


 参加者に、日中友好協会が作成した盧溝橋事件から78周年のチラシを配布しましたが、大変好評でした。 
実行委員長の今橋直弁護士が「盧溝橋事件から日中戦争、アジア太平洋戦争,第二次大戦へと突き進んだ歴史を胸に刻み二度とそういう国にならないように。いま、国会では安倍首相のもとでまた戦争に向かうのでないか、これをどう止め、彼らの野望を打ち砕いていかなければならないが」と述べ、講師の紹介をしました。
 講師の崔真碩(ちぇじんそく)広島大学教員は、「産経事件」について報告。 詳しくは現代思想の昨年10月号をお読みいただきたいと前置きしながら昨年の大学の授業で「ドキュメンタリーも客観を構成する虚構だ」として国連がつくった「終わらない戦争」というドキュメンタリー映画で韓国の慰安婦・性奴隷の証言などの映画を流しました。この映画を不快に思った学生が産経新聞に投書。産経新聞が一面トップで報道。インターネットで配信。大学に抗議の電話が殺到した。私にも抗議の電話がきた。また、ネット上で「反日テロリスト」と攻撃が続いたと紹介しながら、きょうお呼びいただいたように全国から講演依頼や激励も続いたことも紹介しました。
 私は憲法9条を守りたい。日本のため、東アジアのために。また、私が生きているうちに朝鮮戦争を終わらせたいと語りました。
  日本の滅亡について
 講演の演題「日本の滅亡について」1948年の武田泰淳著「滅亡について」岩波文庫を紹介。いまここにある滅亡について、3・12の原発の水素爆発事故。ことし4月異常に高い線量を発生させている。原発問題は、今だけ、金だけ、自分だけ、経済至上主義で未来を捨てているのでないでしょうか。と述べました。また、戦後70年日本の植民地支配を考える時、東アジアは滅亡を経験した。100年前朝鮮は日本の植民地支配で滅亡した。日中戦争で中国にも滅亡した村々がある。沖縄も地上戦で滅亡した。韓国では挨拶でアンニョン、パンモゴッソ?これは飯食ったかという意味で植民地支配や朝鮮戦争で空腹の記憶があるからだ。沖縄は命どう宝という。命の大切さを知っているから。滅亡したことがない日本、地上戦の未経験。3・12では蓋がとばなっかった。滅亡を先送りしてきたが全的滅亡が予感される。
  東アジアへの帰還
 戦争を経験した日本人の「慧知」として憲法9条を守ってきた。これを東アジアに向けて掲げ、積極的に東洋平和を構築することが重要である。冷戦下でアメリカの政策によって、台湾・韓国などの東アジアから日本は搾取し、平和と繁栄を謳歌したのでないか、反日は反日本軍国主義で反日本文化でない。と述べました。 東アジアの国際関係の中で憲法9条を立体的に捉え直すことが大事だと思います。日本の侵略戦争の痕跡(滅亡)の上にある東アジアには憲法9条が是が非でも必要、朝鮮戦争が終わっていない韓国などで平和の誓いの憲法9条に信頼があり、戦後70年、もう一度誓い直すことが必要でないか。憲法9条は東アジアのもの、東洋平和論が必要だ。東アジアの平和を希求しているから。日本は国家として滅亡し、いかにやり直すか、アメリカでなく東アジアに帰還。この道しかない。と述べ、日本が東アジアに帰還する道はいつでも開かれている、と話しました。
 質問時間で、タイトルの「日本の滅亡について」という深い意味について再度述べて欲しいと質問があり。
 崔先生は、滅亡ととことん向き合った時、強い意志が生まれる。強い希望が生まれる。いまの日本社会は経済至上主義で、簡単に希望を語ったら、政府にもっていかれる。文学者としての役割から最悪を予感して耐える。そこから強い意志が生まれる。今の国のやり方は全部お金に変える。ちょっと油断すると軽くやられてしまう。だから強く身構えてタイトルにした。と答弁しました。

    開会挨拶をする今橋直弁護士




    

2015年7月2日木曜日

劉煥新さんと行く当別ツアー

慰霊祭の翌29日、日中友好協会と旅システムとの共同企画で,劉煥新さんと行く当別ツアーが開催され、47人が参加しました。
 材木沢の「劉連仁生還碑」の前には地元の「伝える会」の三上勝夫会長や劉連仁さんを保護した時の木屋路喜一郎さんと宮司正毅当別町長などが出迎え、「碑前のつどい」を開催。三上会長の挨拶、宮司町長の挨拶に続いて、煥新さんが献花をし、挨拶しました。劉煥新さんは「木屋路さんは父連仁の命の恩人」などと話しました。
 近くの若葉会館に移動し、交流会を開催しました。
 劉連仁さんを保護した当時の模様を木屋路喜一郎さんが話し、参加者からの発言で函館の児童文学作家森越智子さんが「生きる━劉連仁の物語」の取材や出版について発言し、真新しく装丁された本を劉煥新さんに贈呈しました。伝える会の大沢勉会長代行は生還碑を訪れる人々の説明役などの活動について報告しました。煥新さん・利さんは息子から観た父親像、孫から観た祖父像を話しました。
劉連仁生還記念碑前で参加者記念写真

第50回中国人殉難者全道慰霊祭を盛大に挙行

6月28日、仁木町の中国烈士園で、中国から故劉連仁さんの息子劉煥新さんと孫の劉利さんを迎えて、第50回中国人殉難者全道慰霊祭を開催しました。
 真宗大谷派5か寺の住職による読経の中、150人の参列者が順次焼香しました。慰霊のことばを佐藤聖一郎町長が、追悼のことばを中国駐札幌総領事館孫振勇総領事の名代として参列された李春首席領事が奉読されました。追悼の歌を清水紫さんが捧げました。
 代表世話人の和田健夫小樽商大学長が挨拶。劉煥新さんが挨拶で「父は13年間も野人のように逃げ続けた。北海道では多くの事業所で強制連行された中国人が強制労働させられた悲惨な歴史がある。今日は息子と一緒に来たが、憎しみを伝えるのでなく友好の大切さを伝えていきたい」と平和の尊さを訴えました。
 体調が思わしくなく欠席された華僑総会の席占明さんに代わって呉敦さんが挨拶され、仁木町議会議長山下敏二さんの挨拶が代読されました。
 最後に慰霊の太極拳表演が行われました。
 慰霊祭に先立って、町民センターで交流会が行われ、劉煥新さんが挨拶され、全道各地からの参加者紹介、また、北海道在日中国科学技術者聯盟、華僑華人婦女会、北海道中国会など在日華僑のみなさんの紹介が行われました。
   席占明さんを訪問
 劉煥新さんと劉利さんは、27日、席さん宅を訪問。席さんは、1958年2月、劉連仁さんが保護されたとき通訳を行うとともに帰国まで熱心に援助されました。煥新さんは「発見者の袴田清治(故人)さんと、保護してくれた木屋路喜一郎(90歳)さんと席占明(90歳)さんの3人は父の命の恩人だ」と話していました。体調を崩された席さんに優しい言葉をかけ、中国から持参したお土産を手渡し懇談しました。
   室蘭を訪問
 劉煥新さんと劉利さんは、26日、イタンキ浜の中国人殉難慰霊碑を訪れ、献花を行い、室蘭の日中友好協会の会員など、集まってくれた15人ほどの皆さんに挨拶をされ、会場を移して昼食・懇談会を行いました。
   当別ツアー
 29日は当別ツアーを行いました。
 30日は小樽を訪れ、小樽商科大学和田健夫学長に挨拶をされ、懇談しました。小林多喜二の文学碑を訪れ、運河周辺も散策しました。
  送別会
 30日夜は札幌駅北口で、煥新さんと利さんの身元引受人となりビザ発給にお骨折りをいただいた田中貴文弁護士を交えて、夕食送別会を行いました。
 お二人は,午後8時前のエアーポートで千歳に向かい、7月1日、早朝の便で関西空港を経由して、青島に戻られました。

真宗大谷派5か寺の住職の読経





焼香する劉煥新さんと劉利さん

世話人代表のの挨拶をする和田健夫小樽商大学長






2015年6月16日火曜日

日本中国友好協会第64回全国大会で発言

  2015年6月13日14日の両日、東京で、第64回全国大会が開かれ、北海道から、小樽支部の鴫谷節夫道連会長、苫小牧支部の伊藤貞市支部長・本部常任理事・道連理事長、高井幸子代議員、札幌支部から小川勝美全国理事・道連事務局長・札幌支部理事長、影浦貞宏道連監事・札幌支部事務局次長が参加しました。

 第1日目の全体会議で、鴫谷道連会長が、6月28日(日)に開催される、第50回中国人殉難者全道慰霊祭について発言しました。
 戦後70年のことし、全道慰霊祭も50回目を迎え、一度も休むことなく開催してきたことを報告。
特に、今年は、節目の年に当たり、中国山東省から故劉連仁さんの息子の劉煥新さんと孫の劉利さんの2人を招聘し、開催することを報告しました。

 また、近年は、在日の中国人や中国からの留学生の参加が多くなっていることも紹介しました。

 2日目の午前中には、1から4の分散会・役員選考委員会などが行われ、役員選考委員会に影浦代議員、第1分散会では伊藤常任理事が議長を務め、苫小牧の高井代議員が参加。第2分散会には小樽の鴫谷代議員が参加。
 
 第3分散会には小川代議員が参加、札幌支部の太極拳サークルと中国語教室がホームページを数年前から開設して参加者が増えてきていることを紹介。
 札幌支部としても遅ればせながら昨年から準備を始め、ホームページを開設したことを紹介しました。

   発言する鴫谷会長。
                

2015年6月9日火曜日

第2回中国百科検定を札幌会場で受けましょう。

第2回中国百科検定が9月27日(日)午後に札幌でも受けれる。

昨年から始まった中国百科検定。ことしは全国32会場で行われます。
北海道では、札幌のかでる2・7を会場にして行われます。

申込受付期間は    6月1日から8月7日まで。
受験料        3級3,500円  2級4,500円
実施都市    全国32にカ所    北海道は札幌会場のみ 
                      道庁の施設 かでる2・7(札幌市中央区北2条西7丁目)    

「中国百科検定問題集」(定価1,000円+税)や 公式テキスト「中国百科」(定価2,800円+税)は書店にあります。
  日本中国友好協会札幌支部事務所にもあります。電話011-814-8658(FAⅩ兼用) 
 問題集、テキスト、中国百科検定の資料は、お気軽に電話をしてください(午前10時~午後4時 までに)。(FAⅩは24時間)。

2015年6月4日木曜日

第50回 中国人殉難者全道慰霊祭を 6月28日(日)に行います。

今年の慰霊祭は50回目の節目であり、中国山東省草泊村から劉連仁さんのご子息の劉煥新さんとお孫さんの劉利さんを招聘して開催されます。多数の参加をお待ちしています。
札幌から参列者用の送迎の貸し切りバスを運行します。

6月28日(日)午前8時40分 札幌テレビ塔前NHK前に集合。9時のバスが出発します。
          11時00分 に仁木町民センターに到着。交流会・昼食・休憩。
          12時50分 バスで中国烈士園日中不再戦友好碑前へ移動
          13時50分 慰霊祭開始 浄土真宗5か寺の5人の住職が読経の中、世話人代表の小樽商科大学の学長先頭に、中国領事館代表、各華僑団体代表、中国からの留学生、各民主団体代表や日中友好協会の各支部代表など参列者全員が焼香します。
世話人代表の挨拶、中国領事館総領事の追悼の言葉、地元仁木町長の追悼の言葉、議長の歓迎の挨拶、劉煥新さんの挨拶などが行われます。
最後に奉納太極拳の表演が行われます。

貸し切りバス代と美味し御飯、豚汁、地元農家提供のゆで卵とトマトが昼食にでます。参加者に1,000円のご負担をお願いしています。留学生は無料です。

ぜひ多数のご参加をお待ちしています。

          慰霊祭事務局 日本中国友好協会札幌支部理事長 小川 勝美
   
昨年の慰霊祭の写真です。

2015年5月25日月曜日

札幌支部が総会

日本中国友好協会
 札幌支部が総会


  理事長に小川勝美氏 、
 事務局長に三木ふみよ氏
5月24日、日曜日、午後1時30分から支部事務所で総会を開催しました。
 三木ふみよさんを議長に選出し、斎藤康治理事長から安倍政権の戦争法案などの暴走を批判してあいさつがありました。
 影浦貞宏事務局次長が、詳しい2014年度活動日誌及び経過報告を作成し、活動の総括案を提案、小川勝美事務局長が2014年度決算を提案、コピー機の購入とパソコンの導入で繰越金が大幅に減少したことを報告しました。
 今年度の活動では、中国人殉難者全道慰霊祭が節目の50回を迎えるのを始め、
劉煥新さんと行く当別ツアーの成功などに取り組むことを決めました。
 今年初めて中国百科検定を札幌市のかでる2・7で開催することになり、多数の受験者がでるよう宣伝などに取り組むことを確認しました。
 太極拳サークルのホームページを見て新しいサークル員が増えていることなどの発言もありました。
 斎藤理事長は、戦前、陸軍衛生兵として従軍したが、銃を撃ったり、戦病兵の看護などはほとんどなく内部の事務などの仕事に終始したことなどを話しました。
 役員選出では、斎藤理事長が退任し、小川勝美事務局長が理事長に、三木ふみよ事務局次長が事務局長に選出され、他は、全員留任されました。


『生きる 劉連仁の物語』を出版
       劉さんからの伝言
               児童文学者 森越 智子(函館在住) 


 劉連仁さんについて中高生向けのノンフィクションを書いてほしい、児童図書出版社の編集者からそんな依頼があったのは2010年春のことでした。折しも入院手術後の療養中の身であった私には、とても大役を果たせる体力も気力もなく、一旦辞退したものの、送られてきた茨木のり子さんの長編詩『りゅうりぇんれんの物語』を読んで気持ちが変わりました。厳冬の北海道に13年間も生き延びた劉さんの強靭な精神を支えていたものはなんであったのか、なによりもなぜそんなことが起きたのか、加害国としての日本と、強制労働の歴史を子どもたちにしっかり伝えなければならないと強く思ったからでした。
 それから劉さんを追う私の長い旅が始まりました。始まりの地、沼田町から留萌へ、終わりの地である当別町、そして故郷中国山東省草泊村へ。劉さんの姿を訪ねて歩くほど、人としての尊厳を踏みにじった時代の姿と、今の私たちの社会とがあまりに似通っているように思えてならないのです。
 戦後70年の今年、この劉さんの苦難の月日を辿った物語がようやく一冊の本になりました。生き抜き闘い続けた劉さんの思いと願いを、未来を担う子どもたちへ届けたいと思います。
 童心社刊、
 定価1600円 
 A5判240頁 
 2015年7月3日発行