2017年10月20日金曜日

 日中友好協会札幌支部の新会員紹介   札幌市白石区の木無 喜太郎さん  72歳

 木無さんは、1月15日の大西広慶応義塾大学教授・本部副理事長の学習会に参加、6月25日の第52回中国人殉難者全道慰霊祭にも参加し、当日入会しました。
 木無さんは石狩郡当別村生まれ。当別町といえば劉連仁さんが1944年9月、中国から突然強制連行され、翌年7月に脱走して1953年3月発見された町(当時は村)です。
 連仁さんの息子煥新さんは父親が連行された翌月の10月16日生まれ、木無さんは10月29日生まれとほぼ同い年です。浅からぬ因縁もあって、若い時から戦時中の強制連行・強制労働に関心を抱いていたそうです。
 木無さんは今演劇に情熱を傾けています。そして現在角田炭鉱を題材にした演劇「ツーヤンクイ」を制作準備中です。角田炭鉱は夕張郡栗山町にあり、1944年9月14日に151人、29日に143人の中国人が強制連行・強制労働をさせられたところです。当時の様子を中国の三国志になぞらえて17層の地獄のさらに下に地獄を描こうとされています。
 彼の子どものころの思い出といえばいじめでした。その頃、学校公演で劇団新制作座の「泥かぶら(どろにまみれた大根の意)」を鑑賞。自分にオーバーラップして感激したのが、今日の原点とのことでした。             (インタビュー 影浦)
                                       木無喜太郎さん、札幌支部の事務所で