2021年6月8日火曜日

・中国を知るために・「中国を知るための日本語総合月刊誌」【人民中国】を読みましょう

 ・・中国を知るために・・

「中国を知るための日本語総合月刊誌」

【人民中国】を読みましょう

   月が変わる度に札幌市の豊平にある「北海道中華書店」から定価400円の雑誌が郵送されて来る。1956年12月第3種郵便物認可の「人民中国」だ。 

 発行者は「人民中国雑誌社(北京市)」。発売元は中国国際図書貿易集団有限公司(北京市)。発行所は東方書店(東京都千代田区神保町)。前記の「北海道中華書店」が北海道での取扱書店で、札幌華僑総会の席占明さんが経営者であった。亡き後は夫人の周玉蘭さんが引き継いでいる。

 昨年の6月号にはスペシャルリポート「武漢で闘った3人の物語」が載った。パート2「家族を説得し増援に駆け付け」は、武漢に全国各地から派遣された340以上の医療チームに所属する4万2600人余りの医療従事者たちの「秩序立った50日間の死闘」の記録だ。

 武漢を閉鎖し全国から医療チームを結集して感染を抑え込んだ中国の底力を知って、中国革命の伝統が生きていると感動した。

 年間購読料4800円は嘘みたいに安い。

             申し込みはFAⅩでお願いします。

                011(823)6380

                        北海道中華書店


劉連仁さんが語ったこと

  劉連仁さんが語ったこと

         劉連仁生還記念碑を伝える会 
         顧問・前会長 大澤 勉
 
   劉連仁さんが、当別の山中で保護され、中国に生還後33年振りに当別町を訪れたのは、1991年10月22日でした。
 劉さんは駅の人波の中から、文字通り聳え立つ様に姿を現したのですが、見上げる様な長身で、あたりを払う風貌に心うたれたことが深く印象に残っています。日程のメインになったのは町民との歓迎交流会で、司会をしたのは今は亡き山崎幸さんでした。
 劉さんは御子息の煥新さんも同席され、参加者からの熱心な質問にも丁寧に答えてくれました。劉さんは山東省の方言を母語としているため、随行した通訳が理解できず、御子息の煥新さんが翻訳して伝えるという、いわば通訳二人を介しての応答になりました。
 私は一言も聞き漏らすまいとメモに集中していました。以下はその時の劉連仁さんが語ったことの一部です。(要約文責、大澤)
 「昨日、私は沼田の昭和炭鉱跡を訪れた。確かに見覚えが在った。そして何故、私がここまで来なければならなかったのが、誰の責任なのか、と問わずには居られなかった。
 こういう歴史の事実を、若い人達はしっかりと知ってほしい。逃亡中は苦しい事ばかり。今思い出しても涙が出る。何度も自殺を考えたが、それでは誰にもわからない。
 何としても生き抜いて、家族のいる祖国へ帰り、この事実を伝えねばと心に決めた。
 それだけが逃亡中の支えとなった。
 帰国して初めて見る息子(煥新)は13歳になっていた。私は再会した家族と、ただ抱き合って泣いた。今、若い人達に伝えておきたい事は、『かっての歴史を未来の為に忘れないで欲しい』ということだ。山の中での13年半の年月は、人間の生活ではなかった。戦争さえなければ・・・戦争はいつも起こす者ではなく、罪なき人、弱き者が犠牲になるのだ。この事だけは肝に銘じてほしいと心から願っている。」
 劉連仁さんは、この年を初回としてその後2度にわたって当別町を訪れ、町民との草の根交流を深めましたが、その中から生還記念碑建立の気運が高まり、2002年の完成へと発展していったのです。只、劉連仁さんは2000年9月に、碑の完成を見ることなく逝去されました。本当に痛恨の極みでした。
 初来町から30年を経た今でも、あの大きな手の部厚く柔らかい温もりがリアルによみがえるのです。

6月27日に予定していた 第56回中国人殉難者全道慰霊祭は 9月26日に延期します

  5月19日に予定していた日中友好協会北海道連理事会は、コロナの感染拡大で札幌・北海道に緊急事態宣言が発令中であり中止し、文書理事会としました。

 19日は、鴫谷節夫会長、小川勝美理事長、影浦貞宏事務局長の3氏で会議を開き、文書理事会の議案を検討しました。

 差し迫った課題である、第56回中国人殉難者全道慰霊祭は、9月26日に延期して開催します。

 室蘭の第29回中国人殉難者慰霊の集いなどを予定しています。

 6月12日開催の第70回日中友好協会オンライン大会には、鴫谷節夫道連会長と蔦保収苫小牧支部事務局長が代議員として、伊藤貞市苫小牧支部長、原聰釧路支部長、影浦貞宏道連事務局長の3氏は評議員として、小川勝美理事長は本部役員としてこの大会に参加します。

 太極拳サークル活動や中国語教室などについても、ワクチン接種による感染状況を見ながら取り組んでいきます。

 また、昨年度の決算は、コロナ禍で思うような活動ができず、旅費を始め各種支出が減少し、黒字決算となりました。予算もコロナ禍を想定して抑えた予算になりました。

【雑誌「世界」 昭和35年5月号の特集

 【雑誌「世界」】昭和35年5月号の特集

          劉連仁さんの思い出(5)

               日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫

中国人強制連行の問題は終戦直後米占領軍によって摘発された秋田県花岡事件によって知られています。

 1953年3月に結成された「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」は多くの民間団体が結集し、中国人強制連行殉難状況の調査・中国人殉難者の慰霊・遺骨の収集、送還などに取組み、その成果は雑誌「世界」昭和35年5月号に特集「戦時中における中国人強制連行の記録」として発表されました。特集の中心となる【報告】戦時下における中国人強制連行の記録は、38ページもあり衝撃的な内容でした。


 中野好夫氏は「この報告を読んで」という4ページの文章を寄せ、花岡事件とともに劉連仁事件についても触れています

・・また本稿にも出る秋田県花岡における中国人虐殺事件などについても、詳細はともかく、一応その輪郭は知っていた。さらに一昨年明らかになった、ほとんど事実とは思えないほどの劉連仁事件なども、この問題のもつ戦慄すべき深刻さをわたしたちに反省させないではおかなかったはずだ。

・・・いまこの詳細な総合的報告を読んでみて思うことは、わたしなどが知っていると考えていたことなどは、このおそるべき巨大な事実の実に九牛の一毛というか、片鱗というか、ほとんど知っていたなどとは言えるものでないことを、いまさらながら教えられたからである。しかも加害者である日本人のわたしたちが知らなかったというところに、実に大きな問題があると思う。・・・


 劉連仁事件の本質が約百人が虐殺された花岡事件と匹敵するという中野氏の指摘は、今回読み返してみて私自身深く考えさせられました。劉連仁さんが東京地裁に提訴した真意を改めていま考えています。

 なおこの特集を受けて、「世界6月号」には、【座談会】われわれは中国人に何をしたか❘「中国人強制連行の記録を読んで」❘も載っています。聞く人が谷川徹三氏で、元軍人の藤田茂、国友俊太郎、五十嵐基久の3氏が話し合っています。