9月27日、札幌パークホテルで、中華人民共和国成立69周年並びに中日平和友好条約締結40周年祝賀レセプションが行われました。
日本中国友好協会から鴫谷節夫道連会長、小川勝美理事長、影浦貞宏事務局長、札幌支部の三木ふみよ副理事長の4氏が参加しました。
祝賀レセプションでは、駐札幌総領事館の孫振勇総領事が主催者を代表して挨拶されました。孫総領事は、中国は今「一帯一路」に取組み、大きく発展している姿を述べられました。
中国からの道内への観光客が多くなり、温泉地だけでなく道内各地の美しい自然などを楽しみにしていますなどとも述べました。また、中国と日本の経済交流は、大きく発展、国交回復時の300倍の貿易額になっていることも話されました。中国と日本は一衣帯水の仲、2000年にわたる交流の歴史があります等と挨拶されました。
来賓として、横路孝弘元知事や高橋はるみ知事、秋元克広札幌市長などが祝賀の挨拶をされました。
レセプションでは、日頃交流のある在日華僑の皆さんと挨拶を交わしました。
舞台では二胡など中国楽器の演奏が行われ、その舞台前で孫振勇総領事とも記念撮影をしている人々が続きました。私たちも総領事を囲んで記念撮影をしました。
日本中国友好協会北海道支部連合会会長鴫谷節夫名のご祝儀の花籠を舞台横に供えました。
主催者挨拶をされる孫振勇総領事
鴫谷道連会長の祝賀の供花
影浦、鴫谷、孫総領事、小川、三木の各氏
2018年9月8日土曜日
日中友好協会札幌支部太極拳サークルの40周年祝賀会を盛大に開く
祝賀会は、ガーデンパレスホテルで行われました。 駐札幌中国総領事館から孫振勇総領事が来賓として参加され祝辞を述べられました。
また、サークル発足時より毎年来道され、熱心な指導でサークルの基礎を作っていただいた日中友好協会顧問の松田英子先生へ感謝状と記念品を贈呈しました。
祝辞を述べられる駐札幌中国領事館孫振勇総領事
松田英子先生に沖田洋子代表から感謝状と記念品を贈呈
挨拶される松田英子先生
また、サークル発足時より毎年来道され、熱心な指導でサークルの基礎を作っていただいた日中友好協会顧問の松田英子先生へ感謝状と記念品を贈呈しました。
祝辞を述べられる駐札幌中国領事館孫振勇総領事
松田英子先生に沖田洋子代表から感謝状と記念品を贈呈
挨拶される松田英子先生
太極拳サークル40周年記念表演会を開催
秋晴れの9月2日(日)かでる2・7ホールで午後1時から札幌支部太極拳サークルの40周年記念表演会が開かれました。約250名が参加し、そのうち、昼、夜、プラチナ教室から52名のサークル員が12種目を表演しました。
音楽とともに、美しいライトを浴びながら舞台上で表演するのが札幌支部の特徴です。
第一部は、功夫扇で始まり、四十八式、二十四式、自選、八十八式三十二式剣、プラチナ教室合同の二十四式、昼教室の四十八式と続き、一部の最後には、五種の禽獣を模した気功「五禽戯」をサークル員全員で行いました。観客の皆様も座席で一緒に参加し、なごやかな雰囲気となりました。
第二部は、夕陽美功夫扇、友情出演してくれた小樽・釧路支部が二十四式、昼夜合同の陳式簡化を挟んで太極拳委員長の高橋清枝氏がゆったりとした伝統楊式二十八式と四十二式剣を模範演舞されました。サークル員全員がそろいの記念Tシャツを着て定位太極拳を行い、賑やかに終了しました。
来場者の感想は「表演がきれいだった」「いろいろな種目を演じて大したものだ」「長いものを覚えてすごい」などが寄せられました。
開会挨拶をする沖田洋子サークル代表
功夫扇の演技
楊式を演舞する高橋清枝太極拳委員長
上は四十二式剣
下は、定位太極拳 その下は小樽・釧路支部の友情出演
音楽とともに、美しいライトを浴びながら舞台上で表演するのが札幌支部の特徴です。
第一部は、功夫扇で始まり、四十八式、二十四式、自選、八十八式三十二式剣、プラチナ教室合同の二十四式、昼教室の四十八式と続き、一部の最後には、五種の禽獣を模した気功「五禽戯」をサークル員全員で行いました。観客の皆様も座席で一緒に参加し、なごやかな雰囲気となりました。
第二部は、夕陽美功夫扇、友情出演してくれた小樽・釧路支部が二十四式、昼夜合同の陳式簡化を挟んで太極拳委員長の高橋清枝氏がゆったりとした伝統楊式二十八式と四十二式剣を模範演舞されました。サークル員全員がそろいの記念Tシャツを着て定位太極拳を行い、賑やかに終了しました。
来場者の感想は「表演がきれいだった」「いろいろな種目を演じて大したものだ」「長いものを覚えてすごい」などが寄せられました。
開会挨拶をする沖田洋子サークル代表
功夫扇の演技
楊式を演舞する高橋清枝太極拳委員長
上は四十二式剣
下は、定位太極拳 その下は小樽・釧路支部の友情出演
劉連仁生還60周年記念集会 盛大に開催
8月26日(日)当別町の劉連仁生還碑前で、劉連仁さんの生還60周年を記念した集会が、74人の参加者を得て盛大に開催されました。 日中友好協会と旅システムの共催による「劉連仁さんを偲ぶ当別バスツアー」の参加者は20人でした。札幌から自家用車で来られた方も多数いました。
記念碑前での集会では、大沢勉「劉連仁生還記念碑を伝える会」会長が、開会の挨拶と劉連仁さんが強制連行から、中国に帰還されるまでの概略を話しました。
そして、北海道中国会の陶恵栄運営委員長の患者さん(たまたま治療で来日)の娘(丁一依)さん5歳が碑にツアー参加者を代表して献花しました。
当別町の宮司正毅町長の代理で本庄幸賢教育長が「末永く保存・整備を行っていきます」と挨拶されました。
日中友好協会を代表して鴫谷節夫道連会長が発見当時の状況を詳しく話しました。
記念碑を離れる直前、参加された一人の女性が「この丸い石は何を表しているのですか?」それに、鴫谷会長が「劉さんが枕代わりに使用していたものともとれますが、劉さんの孤独な魂の叫びを表しものかもしれません」と答えたのが印象的でした。
開会挨拶をされる「劉連仁生還碑を伝える会」の大沢勉会長
参加者を前に挨拶する鴫谷節夫日中友好協会道連会長
森越智子さんが講演
記念碑前での集会では、大沢勉「劉連仁生還記念碑を伝える会」会長が、開会の挨拶と劉連仁さんが強制連行から、中国に帰還されるまでの概略を話しました。
そして、北海道中国会の陶恵栄運営委員長の患者さん(たまたま治療で来日)の娘(丁一依)さん5歳が碑にツアー参加者を代表して献花しました。
当別町の宮司正毅町長の代理で本庄幸賢教育長が「末永く保存・整備を行っていきます」と挨拶されました。
日中友好協会を代表して鴫谷節夫道連会長が発見当時の状況を詳しく話しました。
記念碑を離れる直前、参加された一人の女性が「この丸い石は何を表しているのですか?」それに、鴫谷会長が「劉さんが枕代わりに使用していたものともとれますが、劉さんの孤独な魂の叫びを表しものかもしれません」と答えたのが印象的でした。
開会挨拶をされる「劉連仁生還碑を伝える会」の大沢勉会長
参加者を前に挨拶する鴫谷節夫日中友好協会道連会長
劉連仁生還碑を囲んで記念写真を撮るツアー参加者
開場を若葉会館に移して、約70人の参加者交流会が開かれました。
本庄教育長が「当別の各学校図書室に『生きる 劉連仁の物語』を配架したらたくさんのこども達が読んでくれています。私も読みました」と挨拶の中で紹介しました。
「生きる 劉連仁の物語」の作者、森越智子さん(児童文学作家・日友好協会会員・函館市在住)が、執筆当時を振り返って講演をしました。
体調の関係から一度は断ったが、東京の出版社から茨木のり子さんの「りゅうりぇんれん物語」という詩集が送られてきて、それを読み心が動かされ、今書かなければと決意した」と述べ、「ありとあらゆる資料を集め、外務省外交資料館で『華人労働者報告書』からコピーを取って調査も行う。その中から、4万人もの強制連行者の中に、15歳以下が157人も、また、78歳の人や11歳の子ども含まれるなど大変な実態が克明に記録してあった」「沼田町の現場や当別町の現場に赴き、関係者の話を聞き取り、原稿が出来上がったが、日中関係が悪化していて発行が延び延びなっている時に、日中友好協会の劉連仁墓参ツアーがあり参加しました。これも本を充実させるうえで貴重でした」などと講演しました。
また、森越さんの「生きる・」が第62回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選定され、入賞作品52篇のうち「生きる」が27篇も入賞しました。
森越さんはそれらを紹介しながら、入賞しなかったが感動を呼んだ1篇を朗読して講演を終えました。
劉連仁生還60周年のスライド上映の後、感想交流の中で、生還碑の前にお住いの木屋路喜一郎さんが、劉さんの発見・保護について第一発見者の袴田清治さんから聞いた時のメモや「かんじき」を集めまわった自らの体験を交え、劉さんの保護に向かった時の話などを詳しく語られました。
当別町は明治4年、仙台藩岩出山の領主 伊達邦直によって開拓された所。当時のゆかりの品が展示されている資料館と伊達邸別館なども見学しました。
2018年8月7日火曜日
太極拳サークル40周年記念表演会
5年ごとに開催している太極拳サークルの表演会
~天空に舞う~
太極拳サークル40周年記念表演会
2018年9月2日(日)開場12:30 開演13:00 かでる2・7ホール
参加費500円 日本中国友好協会札幌支部
9月2日(日)午後1時より、かでる2・7ホール(札幌市中央区北2条西7丁目)において、日本中国友好協会札幌支部太極拳サークルの40周年記念表演会を行います。
入場券(500円)は当日会場入口でお求めできますので、会員・準会員の皆様、知人友人をお誘いあわせて、是非、お越しください。
今までは、かでる2・7と小体育館と5年ごとに交互に行ってきましたが、日頃練習会場(毎週金曜日・水曜日)にしているかでる2・7の中の大ホールで継続して行っていくことになりました。
サークル会員約60名は、7月22日(日)と8月5日(日)にリハーサルを行い、猛特訓中です。
種目は、ゆったりとした二十四式、八十八式、四十八式太極拳や動きの速い陳式太極拳、扇や剣を使った功夫扇、三十二式剣、五種類の禽獣を模した気功の五禽戯等を表演します。
今回、サークル創建時、何度も来道され指導された松田英子先生をお迎えします。また、現在、東京で本部太極拳委員長をされている高橋清枝氏に楊式太極拳等の模範演技をしていただく予定です。
三十二式剣
五禽戯
~天空に舞う~
太極拳サークル40周年記念表演会
2018年9月2日(日)開場12:30 開演13:00 かでる2・7ホール
参加費500円 日本中国友好協会札幌支部
9月2日(日)午後1時より、かでる2・7ホール(札幌市中央区北2条西7丁目)において、日本中国友好協会札幌支部太極拳サークルの40周年記念表演会を行います。
入場券(500円)は当日会場入口でお求めできますので、会員・準会員の皆様、知人友人をお誘いあわせて、是非、お越しください。
今までは、かでる2・7と小体育館と5年ごとに交互に行ってきましたが、日頃練習会場(毎週金曜日・水曜日)にしているかでる2・7の中の大ホールで継続して行っていくことになりました。
サークル会員約60名は、7月22日(日)と8月5日(日)にリハーサルを行い、猛特訓中です。
種目は、ゆったりとした二十四式、八十八式、四十八式太極拳や動きの速い陳式太極拳、扇や剣を使った功夫扇、三十二式剣、五種類の禽獣を模した気功の五禽戯等を表演します。
今回、サークル創建時、何度も来道され指導された松田英子先生をお迎えします。また、現在、東京で本部太極拳委員長をされている高橋清枝氏に楊式太極拳等の模範演技をしていただく予定です。
三十二式剣
五禽戯
2018年8月3日金曜日
劉連仁さんを偲ぶ 当別ツアー
劉連仁さんを偲ぶ 当別ツアー
8月26日(日) 生還60周年記念ツアー
旅行代金 5,800円 バス代、昼食代、資料代
集合場所 地下鉄北12条駅2番出口 8:50集合
(当日は北海道マラソンのため、変更しました)
申し込み締切り 8月20日(金)(延長中)
申込み先 旅システム
電話 011-742-2260 FAⅩ 742-2265
8月26日(日) 生還60周年記念ツアー
旅行代金 5,800円 バス代、昼食代、資料代
集合場所 地下鉄北12条駅2番出口 8:50集合
(当日は北海道マラソンのため、変更しました)
申し込み締切り 8月20日(金)(延長中)
申込み先 旅システム
電話 011-742-2260 FAⅩ 742-2265
劉連仁生還碑を 一度は訪ねてほしい訳
(密林と山野に潜んだ2人の軍人と1人の民間人)
劉連仁さんを語るときに、同じような境遇とされる?小野田寛郎大日本帝国陸軍少尉と横井庄一軍曹のことを思い出します。
陸軍中野学校を卒業後少尉となった小野田氏はその年の1944年12月フィリピンのルバング島に着任しました。それから発見される1974年までの30年間密林に潜んでいました。そのニュースは帰国前から連日報じられました。
その前々年、密林を28年間さまよい続けた横井庄一氏との比較を「日本帝国軍人として最後まで戦った小野田と逃げ回った横井」と、一部で評価分けをした。しかし、これはまったくの見識違いです。小野田氏は「わがルマング島の30年戦「という手記に、「自身は30人以上の島民を殺害した」と証言しています。
殺傷し物資を奪った彼は、島民に山賊として恐れられました。一方横井氏は生きんがためにわずかな食料を闇にまみれて盗み出すというものです。
(帰国後の小野田寛郎氏)
横井氏は赤紙一枚で徴用された軍曹であったのに対し、小野田氏は職業軍人で少尉。帰国後は軍歴を32年間とみなされ(直属の上官の命令が無い限り軍務続行とみなされる)日本政府から100万円の見舞金を贈呈され軍人恩給を受けましたが、見舞金は辞退。が結局義援金と合わせて靖国神社に寄付しています。
その後身内との折り合いが会わず、帰国後結婚した町枝夫人とブラジルに移住し1800頭もの肉牛酪農家になりました。
帰国後、妻の町枝さんは日本会議の女性組織の「日本女性の会」の会長安西愛子氏の後任として就任。また、夫婦とも田母神元航空幕僚長を支持し、慰安婦問題を否定し続けました。
(さて劉連仁さんはどうであったか)
1944年9月中国山東省高蜜県草泊村で突然拉致され、雨竜郡沼田村(当時)にあった明治鉱山の昭和鉱業所に連行。粗末な衣食住と極悪な環境での苦役。翌年の7月、耐えかねて便槽からの脱走。以来、当別町材木沢で発見されるまでの十三年間、食べるものも無く山野をさまよい、時には畑や農家の納屋から盗み出したのもで命を繋ぎました。北海道の冬は冷凍庫よりも寒い日も多く、積雪も背丈を超えることもあります。
(非人道的な国の対応)
そうした中ようやく生き延びた劉連仁さんに対して、東条内閣の時、商工大臣で強制連行の指揮者であった岸信介総理は、こともあろうに「劉連仁は不法入国・不法滞在者」として扱いました。
2001年7月、東京地方裁判で請求金額2千万円を全額認めさせる勝利の判決を得ましたが(日本政府が控訴し、東京高裁、最高裁で逆転敗訴)、その前の年の9月劉さんは87歳で亡くなりました。
藍綬褒章・勲六等単光旭日章を授与された小野田寛郎氏と何故このような差になるのでしょう。理不尽の何物でもありません。
せめて私たちが、至らない過去と現在の政治家になり代わり、花の一輪でも手向けたいと皆様をお誘いしました。 (影浦記)
劉連仁さんを語るときに、同じような境遇とされる?小野田寛郎大日本帝国陸軍少尉と横井庄一軍曹のことを思い出します。
陸軍中野学校を卒業後少尉となった小野田氏はその年の1944年12月フィリピンのルバング島に着任しました。それから発見される1974年までの30年間密林に潜んでいました。そのニュースは帰国前から連日報じられました。
その前々年、密林を28年間さまよい続けた横井庄一氏との比較を「日本帝国軍人として最後まで戦った小野田と逃げ回った横井」と、一部で評価分けをした。しかし、これはまったくの見識違いです。小野田氏は「わがルマング島の30年戦「という手記に、「自身は30人以上の島民を殺害した」と証言しています。
殺傷し物資を奪った彼は、島民に山賊として恐れられました。一方横井氏は生きんがためにわずかな食料を闇にまみれて盗み出すというものです。
(帰国後の小野田寛郎氏)
横井氏は赤紙一枚で徴用された軍曹であったのに対し、小野田氏は職業軍人で少尉。帰国後は軍歴を32年間とみなされ(直属の上官の命令が無い限り軍務続行とみなされる)日本政府から100万円の見舞金を贈呈され軍人恩給を受けましたが、見舞金は辞退。が結局義援金と合わせて靖国神社に寄付しています。
その後身内との折り合いが会わず、帰国後結婚した町枝夫人とブラジルに移住し1800頭もの肉牛酪農家になりました。
帰国後、妻の町枝さんは日本会議の女性組織の「日本女性の会」の会長安西愛子氏の後任として就任。また、夫婦とも田母神元航空幕僚長を支持し、慰安婦問題を否定し続けました。
(さて劉連仁さんはどうであったか)
1944年9月中国山東省高蜜県草泊村で突然拉致され、雨竜郡沼田村(当時)にあった明治鉱山の昭和鉱業所に連行。粗末な衣食住と極悪な環境での苦役。翌年の7月、耐えかねて便槽からの脱走。以来、当別町材木沢で発見されるまでの十三年間、食べるものも無く山野をさまよい、時には畑や農家の納屋から盗み出したのもで命を繋ぎました。北海道の冬は冷凍庫よりも寒い日も多く、積雪も背丈を超えることもあります。
(非人道的な国の対応)
そうした中ようやく生き延びた劉連仁さんに対して、東条内閣の時、商工大臣で強制連行の指揮者であった岸信介総理は、こともあろうに「劉連仁は不法入国・不法滞在者」として扱いました。
2001年7月、東京地方裁判で請求金額2千万円を全額認めさせる勝利の判決を得ましたが(日本政府が控訴し、東京高裁、最高裁で逆転敗訴)、その前の年の9月劉さんは87歳で亡くなりました。
藍綬褒章・勲六等単光旭日章を授与された小野田寛郎氏と何故このような差になるのでしょう。理不尽の何物でもありません。
せめて私たちが、至らない過去と現在の政治家になり代わり、花の一輪でも手向けたいと皆様をお誘いしました。 (影浦記)
劉連仁生還碑と長男の劉煥新さんと孫の劉利さん(2015年)
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