2017年1月10日火曜日

 台湾歴史と文化の旅  札幌支部事務局次長 影浦 貞宏

 12月7日(水)から5日間、(株)旅システムの企画で台湾旅行が開催されました。
 参加者は札幌4名、室蘭から2名、函館から1名、そして旅システムから添乗員として青木久美子さんの総勢8名のコンパクトな旅でしたが和気あいあいの楽しい旅でした。日中友好協会札幌支部から小川勝美理事長と事務局次長の私影浦貞宏が参加しました。
 出発当日札幌は氷点下2度、到着地の桃園空港はプラス18度。片側4車線のラッシュアワーに見舞われながらようやく初めての夕食会。まずお互いの自己紹介。
 「金爪石黄金博物園」と結局使用されなかった太子賓館を見学
 2日目は、1890年鉄道橋工事の作業員が、渓流から砂金を発見、1893年九份で金鉱を発見。1895年台湾統治国となった日本政府が簡単に言えば採掘し持ち帰る。
 当時のトロッコや線路、一部採掘現場が残され、高級幹部が居住した四連棟を見学。そして後の昭和天皇が視察に来られるために建てられた「太子賓館」はゴルフの練習場や弓道場があることから、当時としてはいかに立派な建物であったか想像できます。しかし、結局は使われなかったそうです。
 「千と千尋の神隠し」のモデルと言われる「九份」と天燈飛ばしの十分を観光
 九份の茶房で本格的なウーロン茶を体験。赤い提灯が居並ぶ夜でなかったのが少し残念でした。その後日本の統治時代、石炭を運ぶために敷かれた「平渓線」瑞芳駅から汽車に乗ってランタン(天燈)飛ばしで有名な「十分」へ。電車は満席で立っている客もいましたが私たちが乗り込むと若い人たちが立ち上がって席を譲ってくれ、お蔭で全員が座ることができました。さて天燈飛ばしですが、清朝道光時代この地は盗賊が多く、偵察に赴いた青年が盗賊が去ったことを知らせるために揚げたとか。今は各々が天上の神に願い事を書いて届けます。私たち一行の中には「〇〇はすぐ辞めろ」とか、もっと過激な願い事を書いた人もいたようです。
 中山公園では日本の植民地時代の歴史見分
 中国や台湾に行くと「中山〇〇」という地名があります。中山は国父孫文の号で孫中山が一般的とか。公園内には日本海軍の通信施設の防空壕や日本軍忠霊塔が保存されていましたが、現地ガイドの陳さんによると台湾人日本兵が戦地のフィリピンの山中で、終戦も知らず長い間逃亡生活を余儀なくされたが、戦後補償は一切なかったと話されました。
 3日目は日本人観光客があまり行かないところも視察
  最初に「総統府」を見学。驚いたのは施設内に「農亡国亡」などの旗が展示されていたことです。特にTPPをごり押しするお偉いさんに見せてやりたいと思いました。これは民主進歩党の蔡英文総統になってから展示物が入れ替えられたとのこと。その後「中正記念堂」「白色テロ政治受難者記念碑」「龍山寺」「原住民博物館」「忠烈詞」を見て廻りました。当初から懸念されていた「慰安婦記念館」はやはり工事中で話を聞くことができませんでした。
   228記念館では貴重な記録と体験談を
 4日目は「故宮博物院」を見学。1949年10月1日に中国共産党が北京で中華人民共和国の成立を宣言したが、故宮などにあった宝物等は蒋介石軍がすでに持ち出し、台湾に運び込んでいたものが
展示されていました。当時台湾に住んでいた人は、日本の敗戦と中国復帰を大喜び、国府軍の到着を待ちわびました。ところが国の重要ポストは大陸の中国人が占め横暴極まるものがあって、民衆の恨みつらみは爆発寸前のところまで来ていたのです。そのような中 2・28事件はほんの些細なことから始まりました。27日夕刻繁華街の露店でヤミタバコを販売していた女性が取り締まっていた外省人の警官に押収されようとしました。生活のために必死になって取りすがる女性を銃床で殴打しました。それを見ていた群衆が抗議、制圧のために発砲し一人を射殺しました。抗議の民衆は台湾放送局を通じて全島に総決起を呼びかけました。結果、国府の援軍が入り鎮圧され、弾圧で死傷した文化人や知識人を含め1万人を超えるとされていますが、正確な数字は今もって明らかにされていません。
 1949年5月20日~1987年7月14日戒厳令が布かれ、政府に関する言動は一切禁止、夜間の外出など台湾の歴史上最悪の時代と言われています。
 228記念館には日本統治時代の遺品も数多く展示されていました。その中でこんなスローガンが「毎月1日は興亜奉公日・勤労奉仕・資源愛護・大和協力・・・等々」。
 ボランティアの張さんから説明を聞き、当時勤労奉仕で塹壕堀などを経験した陳さんの話を聞くことができました。お父さんは台北の公学校の先生(彼ものちに教師)「話は日本語で、名前は日本名」を強要され、彼は福永益次郎。にもかかわらず「日本に悪い感情は持っていません」と話され、少し救われた気持ちになりました。
                    太子賓館の入り口で
ランタン飛ばし  十分で
仇分の階段と赤ちょうちん

 平和・友好運動の前進を! 日本中国友好協会札幌支部理事長 小川 勝美

準会員の皆様、太極拳サークルや中国語教室にご参加の皆様、新年明けましておめでとうございます。
 一昨年の「戦争法」の強行に加え、昨年は南スーダンに派遣されている自衛隊に新たに駆けつけ警護の任務が加えられ、自衛隊員が殺し殺される事態も作り出されようとしています。
 このような中、北海道各地で平和を守る運動が一層広がってきています。
 会員でもある髙崎暢弁護士を先頭に「安保法制違憲訴訟北海道の会」が結成され、1月16日に提訴します。会員の皆様も是非、原告や支援者になっていただくようお願いします。
 昨年の衆議院5区補欠選挙に続いて参議院選挙ではすべての1人区で野党と市民の共闘が実現し、大きな前進を勝ち取ることができました。 
 今年は総選挙が予想されています。是非、道内12のすべての小選挙区で「市民と野党の共闘」が実現され、悪政の限りを尽くす安倍政権を倒す年にしようではありませんか。
 日本中国友好協会も平和団体として「憲法改悪を許すな、平和を守れ」と多くの皆さんと力を合わせて頑張る決意です。
 昨年の第51回中国人殉難者全道慰霊祭は雨天のため仁木町民センターで多数の皆さんの参列のもと成功させることができました。今年も6月25日日曜日第52回慰霊祭を開催します。今年も皆さんの参加で成功させましょう。
 3月20日(月祝日)午後3時からかでる2・7で「第3回中国百科検定」が行われます。
この百科検定に向けて、1月15日午後3時から、かでる2・7を会場に、慶応大学の大西広教授を講師に「今の中国をどう見るか」と「中国の地理、民族、宗教(+歴史)」と題して中国問題講演会を開催します。
多数の参加をお待ちしていますし、多数の方が百科検定を受検してくださるようお願いします。
 昨年は、中国東北地方の平和の旅を行いました。今年も皆さんの希望を聞きながら計画をしたいと思います。是非ご参加ください。
 会員の減少傾向に歯止めがかかっていません。会員・準会員(日中友好新聞読者)の拡大にお力添えをお願いします。
 年末募金にご協力をいただき有り難うございます。約50人の会員・準会員の皆様から約13万円の募金が寄せられました。心から感謝申し上げます。
 カレンダー「中国悠久の旅」も好評で年末を待たずに完売しました。ご協力ありがとうございました。
 引き続き札幌支部の財政活動にご協力を宜しくお願い致します。
  2017年1月1日
昨年の慰霊祭の模様

2016年12月6日火曜日

札幌支部のホームページを ご覧ください

日本中国友好協会札幌支部は、支部のホームページを、2015年10月に開設しました。
 日中友好新聞札幌版を中心に掲載しています。札幌版の新聞では紙面の関係で写真は1枚か2枚などになっていますが、ホームページでは、枚数制限がないので多数載せています。
 ぜひご覧ください。
また、札幌支部のホームページから中国語教室のホームページ、太極拳サークルのホームページにアクセスできますし、日中友好協会本部のホームページや北海道支部連合会のホームページにアクセスし、各支部の連絡先から苫小牧支部のホームページにもアクセスできます。
 ホームページ開設いらいのページビュー履歴は、7861件です。
 11月のページビューは423件です。
 閲覧者は、日本が多いですが、アメリカ14件、スペイン5件、フランス3件、ウクライナ1件などです。

年末募金と会員拡大のお願い

 日中友好協会札幌支部は、12月6日、支部理事会を開催し、室蘭での中国人殉難者慰霊の集いや会員の増減など主な活動について総括し、12月、1月の活動について討議しました。
 2月の元道連会長の山崎幸さんのご逝去や、会員の転勤などで全体として、会員の減少傾向が続いてきています。全国大会や11月全国理事会でも会員の拡大にとる組むことが決定されています。札幌支部としても減少傾向に歯止めをかけるとともに会員や準会員の拡大に取り組むことを確認し、会員の皆さんへご協力をお願いすることにしました。
 また、例年のことでありますが、支部財政の強化のために、年末募金を会員・準会員の皆様に特段のご支援・ご協力をお願いします。
 12月分の会費や準会費の納入・送金にあわせてくださると大変助かります。
 12月の課題で特別重要なのは、日中友好協会のカレンダーの普及です。あと残数が5本になりました。
 中国百科検定問題で論議が集中しました。
 1月15日、日曜日、午後3時からかでる2・7の730研修室で慶応大学法学部の大西広教授(日中友好協会副理事長)を講師に中国問題講演会を開催します。
 多数の会員・準会員の皆さんが友人・知人をお誘いあわせてご参加されることをお願いします。3月20日に行われる第3回中国百科検定にむけて行いますが、中国百科検定を受けない方も是非ご参加くださるようお願いします。
 1月29日12時からKKRホテル札幌で開催します「日中友好協会新年交流会」にも多数ご参加されますようにお願いします。中国総領事館から毎年領事が参加されますし、在日華僑の皆さんも参加されます。有意義な交流会にしましょう。

2016年12月2日金曜日

 中国問題学習会 ~第3回中国百科検定にむけて~

 慶応大学大西広教授(京都大学名誉教授)は日中友好協会副理事長を務められていますが、来年の1月に札幌に来られる機会がありますので、1月15日(日)、先生の空いた時間にあわせて学習会の講師をお願いしました。
 大西先生には以前にも「中国問題講演会」の講師をお願いしましたが、今回も「中国問題学習会」の講師をお願いしました。
 大西広先生は、協会の中国百科検定の中心的な役割を果たしてきています。3月に「第3回中国百科検定」が行われますが、この検定にむけての講座的役割も含めてお願いをしました。
 お誘いあわせのうえ、多数の皆さんが参加されますようお願いします。
と き 1月15日(日) 15:00~17:00
ところ かでる2・7  730研修室
   (札幌市中央区北2条西7丁目)参加費無料

しめやかに 席占明さんを偲ぶ会を開催

日本中国友好協会と親しかった華僑の長老・席占明さんが、昨年11月12日、90歳で亡くなられ、一周忌として偲ぶ会が、11月11日、ホテルガーデンパレスで開催されました。

 孫振勇さん(中国駐札幌総領事館総領事)を顧問として、発起人は、華僑の呉敦さん(株・ノーステクノロジー代表取締役)、曲健三さん(株・晋南貿易代表取締役)、張相律さん(株・北海道チャイナワーク代表取締役)、張豫濱さん(在日中国科学技術者連盟北海道分会会長)、巴特尓さん(北海道華僑華人連合会会長)、田義之さん(北海道中国会会長)、そして、私共の小川勝美さん(日本中国友好協会札幌支部理事長)、青木雅典さん(北海道日中友好協会会長)、古川隆之さん(日中友好道民運動連絡会議議長)が加わり、約30人が参列し、献花、献杯のあと、席占明さんの思い出などを語り合いました。
 
 協会からは、鴫谷節夫道連会長、小川札幌支部理事長、三木ふみよ事務局長、影浦貞宏事務局長の4人が参列しました。
 呉さんは席さんの経歴を紹介しました。席さんは、1925年に山西省陽高県に生まれ、1944年に北海道帝国大学農学部に留学し、新中国成立の年1949年の北海道札幌華僑総会創立に奮闘し、事務局長兼副会長を経て、2002年5代目会長となりました。その間、68年から中央区のエイトビルで中華書店を開き、76年から2002年まで北大の中国語講師をされました。
 
  奥様の周玉蘭さんは、このような会を催してくれたことに感謝を述べました。
 鴫谷節夫道連会長は、戦時中に中国から強制連行され、戦後13年間北海道中をさまよった劉連仁さんが当別で発見保護された時、席さんが通訳をされ、身の回りのことを熱心にお世話し、帰国後も何度も来日された劉連仁さんと交流してきました。
 席さんは劉連仁さんと昭和鉱業まで一緒に行き、間違いなく強制連行されたところであることを証明し、検察で証言しています。劉連仁さんが帰国するときは東京まで付き添い、横浜から見送っています。昨年の第50回中国人殉難者全道慰霊祭に、御子息の劉かん新さんと孫の劉利さんをお呼びしました。その慰霊祭の前日に札幌の小川さんと席占明さん宅に伺った時のことなども述べられました。

 最後に、曲健三さんが、席さんのご苦労をねぎらい、閉会のの挨拶をしました。
 この夜は、老華僑、新華僑の皆さんが一緒になって戦後大変苦労をなさりながら、異国の地で、華僑の皆さんのために尽力された席占明さんのために催された、心のこもった温かい会となりました。
                                      発起人代表の呉敏さんの挨拶
                     謝辞を述べる周玉蘭さん
                    席さんについて話す鴫谷節夫道連会長
                祭壇の前で周玉蘭さんと日中友好協会の人たち
                  閉会の挨拶を述べる曲健三さん
                   終了後参加者全員んで記念撮影

2016年11月9日水曜日

日本中国友好協会太極拳普及40周年記念 太極拳全国交流会

11月7日、太極拳普及40周年記念表演会が、東京武道館で行われ、全国各地から約千六百人が集まり、52種目が表演されました。
 また、前日には、ホテルラングウッドで盛大に祝賀会が行われ、全国から約二百七十人が集まり、各地の踊りなどで盛り上がりました。札幌からは北海盆唄に乗せて、先ごろプロ野球で日本一となったファイターズの揃いのユニホームを着て、団扇には「40周年おめでとう」と書いて踊りました。
 小樽支部は5人が当日の大雪で千歳空港に12時間待機させられ、祝賀会には残念ながら参加できませんでしたが、次の日の表演会には間に合いました。札幌の野村競子さんも大雪のため2日間とも参加できませんでした。
 次の日の表演会には、札幌支部13人、小樽支部6人が参加し、北海道出身のミュージシャン遠音の「ОUR ОWN WAY」の美しい音色にあわせて一糸乱れず6分間演じ切りました。
 他にも、札幌支部からは、全国の方々とともに、八十八式(全体90人)に2人、四十八式(全体91人)に2人、陳式簡化(全体77人)に8人、本部指導員による二十四式(全体72人)に3人が参加し大きな拍手をいただきました。
 東北大震災に見舞われた東北ブロックは、150人が揃いの桜色のTシャツ黒ズボンで「花は咲く」の音楽で二十四式を見事に演じ、惜しみない声援が起きました。
 プログラム最後は、武術太極拳全日本ナショナルチーム強化コーチの李自力老師による三十二式剣と楊式、中国国家一級運動員の劉志老師による南拳と陳氏太極拳の表演に万雷の拍手が起こりました。
 参加者からは「来てよかった」「全国には多くの仲間がいてびっくりした」「一流の太極拳は何と上品なことか」などの声がありました。
 功労者表彰も行われ、34年以上太極拳をつづけた方々、東京本部の松田英子審査委員長、高橋清枝太極拳委員長のほか、北海道からは、小樽支部の鴫谷節夫さん、今ゆり子さん、札幌支部の野村競子さん、大友玲さん、三木ふみよが表彰されました。