参列者「日中不再戦友好碑」を見学
慰霊祭終了後、参列者が自家用車や徒歩で、苫小牧支部は貸し切りバスで「日中不再戦友好碑」を次々と訪れて見学し、記念写真を撮っていました。
中国人留学生の皆さん、北海道中国会の参列者の皆さんなどが見学し、郭沫若先生の書を読んだり、裏面の碑建立の経過の文字を読んだりしていました。記念写真もスマホやカメラなどで撮っていました。
左から中国人留学生の黄銘君さん、張文強さん、院生の李光照さん、運転手役の小川理事長、6月中国から北大法学部客員研究員の李雯静さん。
参列者「日中不再戦友好碑」を見学
慰霊祭終了後、参列者が自家用車や徒歩で、苫小牧支部は貸し切りバスで「日中不再戦友好碑」を次々と訪れて見学し、記念写真を撮っていました。
中国人留学生の皆さん、北海道中国会の参列者の皆さんなどが見学し、郭沫若先生の書を読んだり、裏面の碑建立の経過の文字を読んだりしていました。記念写真もスマホやカメラなどで撮っていました。
左から中国人留学生の黄銘君さん、張文強さん、院生の李光照さん、運転手役の小川理事長、6月中国から北大法学部客員研究員の李雯静さん。
生き返った「日中不再戦友好碑」
文字塗装を行う
日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫
今年の第57回中国人殉難者全道慰霊祭で、前から懸案であった碑文のかすれを直すことが出来ました。
私と斎藤圭二さんで、随分前からこの碑文のかすれを直す方法を相談し、一旦は自分たちで塗料を買ってやろうと決めたが裏面の建立の経過の部分などは手に負えないと判断し、専門の塗装業の人に頼むことにしました。
建立50周年記念の烈士園大改修を引き受けてくれた小樽市塩谷の住友建装に相談すると、実地検分のあと、引き受けてくれました。
6月20日(月)余市太極拳の会の皆さんが、草取りをした日に文字塗装も行われて、作業をつぶさに見ることができました。小さな文字は小さな筆で丁寧に塗っていく様子を見て、やっぱり専門家に頼んで良かったと痛感しました。
翌日、仁木町役場に行ったついでに昼近く烈士園に行ってみると、ちょうど作業が完了したところで、一緒に検分しましたが、鮮やかに生き返った碑文に胸が熱くなりました。
正面の「日中不再戦友好碑」は「大谷瑩潤師」の直筆です。左面には郭沫若先生直筆の「発展伝統友誼 反対侵略戦争」の対句が刻まれ、落款もあります。この郭沫若先生の書を入手した経過は第22回慰霊祭の栞に載っています。
仁木町に来たら、皆さん、寸暇を惜しんで中国烈士園に立ち寄ってください。お願いします。
支部理事会を開催
6月8日、札幌支部は、今年もコロナ禍のため、総会を開催せず、支部理事会を開催し、昨年度の活動のまとめと決算、今年度の活動方針と予算について討議し、決定しました。
昨年も今年度もコロナ禍で十分な活動ができずにいますが、中国人殉難者全道慰霊祭や室蘭の10・9中国人殉難者慰霊の集いなどを開催することや中国百科検定の実施などを決めました。
新年度の役員については、次のように決定しました。
理事長 小川勝美
副理事長 三木ふみよ
事務局長 影浦貞宏
理事 重本雅江
々 旗手繫雄
会計監査 菅原健太
々 菊地三郎
第57回中国人殉難者全道慰霊祭を開催
6月26日(日)午後1時30分から仁木町民センターにおいて、第57回中国人殉難者全道慰霊祭を74人が参列し開催しました。
浄土真宗大谷派北海道教区北第3組5か寺(教照寺、正念寺、浄秀寺、宝泉寺、宝海寺)の住職の読経で始まり、読経のなか参列者が順次焼香しました。
続いて、地元仁木町の佐藤聖一郎町長が慰霊のことばを捧げました。中華人民共和国駐札幌総領事館の劉亜明総領事の追悼のことばを慰霊祭事務局の鴫谷節夫事務局長が代読しました。
鈴木直道知事などの弔文報告が行われました。
慰霊祭世話人を代表して、専修大学北海道短期大学の寺本千名夫元学長が、今年の慰霊祭を取り巻くロシアのウクライナ侵略等に触れながら主催者挨拶をしました。
在日華僑を代表して、北海道科学技術者連盟の呉敦顧問が戦時中の中国人強制連行などの歴史に触れご挨拶されました。
続いて、中国人留学生・研究生が紹介され、挨拶しました。
北海道大学中国留学人員友好聯誼会の黄銘君さん、張文強さん、室蘭工業大学中国人留学生学友会の趙岩さん、張恒さんが、それぞれ強制連行・強制労働等に触れながら挨拶しました。北海道大学法学部客員研究員の李雯静さんは「6回目の参列です。日本と中国の友好の懸け橋になります」と挨拶し、法学研究科大学院生の李光照さんが挨拶しました。
続いて、地元仁木町議会の宮本幹夫副議長が歓迎の挨拶をされました。
最後に、慰霊太極拳を鴫谷節夫道連会長が表演しました。
5か寺の住職の読経日中国交回復3000万署名と「文化大革命」
劉連仁さんの思い出(16)
日中友好協会北海道連 会長 鴫谷 節夫
60年安保闘争の高揚を受け、「中国封じ込め反対日中国交回復」を求める運動が広がってきました。
1964年1月、フランスが中国との国交回復したことにより2月には「各界代表25氏のよびかけ」が発表されました。それは次の三点を日本政府に要求するものでした。
①中華人民共和国との国交を即時回復し、貿易・経済・文化の交流を拡大すること。②日台条約を破棄し、台湾との不正常な関係を清算すること。
③中華人民共和国の国連における正常な地位の回復のために努力すること。
このよびかけは広範な国民的支持を得て、「日中国交回復3000万署名」が始まり、翌1965年2月には「日中国交回復推進連絡会議」が結成され、地方にもこのような組織が広がってきました。
日中道連と小樽支部も丁度このような日中友好運動の全国的高揚と連帯して、仁木町に実に壮大な「中国烈士園・日中不再戦友好碑」を建立することができたと考えます。
しかし1966年は、2月から3月にかけて三ヶ国訪問を行った日本共産党代表団が最後に毛沢東との会談で共同コミュニケを破棄される事件が起きています。7月には毛沢東談話で日本共産党を主敵の一つとする「四つの敵」論が定式化しています。8月には毛沢東が紅衛兵を謁見し、紅衛兵運動が全国に広まります。翌年1月には紅衛兵が日本共産党を攻撃します。もし仁木町の友好碑建設計画が一年遅れていたらと思うとこの絶妙なタイミングは中国人殉難者の思いがこもっていると考えます。
青年法律家協会北海道支部主催
2022憲法フェスティバル
フクシマから11年
~被災地と被災者の現在~
4月23日(土)かでる2・7において、青年法律家協会北海道支部主催の2022憲法フェスティバルが開催され、4階大会議室にスペースを開けて約50人が参加、オンラインで約百人が参加しました。
吉田玲英支部事務局長は、講師の青木さんは札幌北高時代の同級生などと紹介し開会挨拶をしました。
「いないことにされる私たち」と題して講演に立った青木美希さんは、北大後入社したタイムスは半年で潰れ、道新に移り、約百億円もの「道警裏金問題」を取材し、取材班で菊池寛賞、新聞協会賞などを受賞したことを述べ、これらの取材活動から朝日新聞にスカウトされたことを自己自己紹介しました。
安倍首相が「アンダーコントロール」などと述べたが、福島第一原発の被害は、今年1月相馬沖で水揚げされたクロソイから1400ベクトルのセシウムが検出され、国が出荷制限を指示するなどいまも被害が続いていると告発しました。また、ウクライナの事例もあげ原発は戦争で攻撃対象になる。世田谷区長の言葉を引用し「また事故が起こる国に」などと講演しました。
福島伊達市で15歳のわかなさんは午前中学の卒業式、午後自宅にて地震に、山形に避難後北海道にあった被災の体験を話す。地震後福島から札幌厚別区に避難した宍戸隆子さんは避難者同士の助け合いのために「桜会」という自治会活動などを報告しました。
田中貴文支部長がウクライナや平頂山事件などをあげながら閉会挨拶しました。
真珠湾攻撃から
東京大空襲・広島・長崎へ
❘敵基地攻撃能力保有の末路❘(中)
日中友好協会道連会長 鴫谷 節夫
「日本海軍の敵基地攻撃能力とはどんなものか」
真珠湾を攻撃した「大日本海軍最精鋭の機動部隊」は「赤城・加賀・蒼竜・飛
竜・翔鶴・瑞鶴という六隻の航空母艦を中心に、比叡・霧島の戦艦、利根・筑摩の重巡洋艦、九軍神で有名な特殊潜航艇をつみこんだ五隻の伊号潜水艦など三一隻の編成であった。
真珠湾内の米戦艦群と軍事施設を直接攻撃した第一次攻撃隊は一八三機第二次攻撃隊は一六七機で、いずれも零式艦上戦闘機(零戦)に援護された九七式艦上爆撃機からなるものであった。
日本の最後通牒が米側にとどけられたのは日本の攻撃が始まってから一時間もあとで、全くの「だまし打ち」、防戦のしようもなく大きな被害をうけた。撃沈戦艦四隻、撃破戦艦四隻巡洋艦三隻、破壊された飛行機二三一機、死傷者は軍人三六八一名、民間人一〇三名にのぼった。
「支那事変戦記 海軍航空戦 海軍中佐 阿部信夫編著 昭和十四年六月二十八日発行 大日本雄弁会講談社」
この本のはじめの方に自序がある。
本書は我が海の荒鷲に捧ぐる感謝感激の記念帖である。同時に又、世界大戦乱の前夜を思わしむ現下の危局に際し、我が一億同胞に向かって打鳴らす航空国防強化の警鐘でもある。
さきに「海の荒鷲奮戦記を普く江湖に贈ったのは、まだ事変も初期、昭和十二年の暮れ、敵の首都南京が陥落したばかりの時であった。爾来、聖戦ここに満二ヶ年になんなんとし、今や硝煙支那大陸を掩い、海鷲四百余州をその鵬翼下に収るに至ったわけである。
かくて前書も亦ここに其の面目を全く一新して再び読者と相見ゆるに至った。
こうして出版されたこの本は337頁の大部なもので、付録の「海の荒鷲空爆撃墜一覧表」も昭和十二年八月十四日から十四年五月三十一日までの出撃の詳細な記録が二十三頁にわたってまとめられている。
日本全土の基地から出撃する「渡洋爆撃」も上海・南京はもとより昆明、成都、重慶、蘭州まで空爆しているのである。日本海軍航空隊はこの実戦を通して真珠湾基地攻撃能力を保有した。このためどれほど多くの国税が費やされたことか。どれほど多くの中国人の生命・財産がうばわれたことか。
(つづく)