真珠湾攻撃から
東京大空襲・広島・長崎へ
❘敵基地攻撃能力保持の末路❘(下)
日中友好協会道連会長 鴫谷 節夫
「空の要塞B29と
こどもの竹槍訓練」
国民学校3年生になると軍事教練に参加させられた。私は真珠湾攻撃の翌年に1年生になったから3年生は昭和19年4月からである。
その頃学校では、先生達が校門を入った内側にわら人形を造り、側に竹槍を立て、生徒に朝登校したら先ずその竹槍で藁人形を突いてから教室に入れと命じた。
3年生の軍事教練は「竹槍訓練」だったので、私は習ったとおり得意になって突いた。しかしみんなが突くものだから、すぐに藁がばらばらになっていつの間にか片付けられた。
チャーチルとルーズベルトの似顔絵がこの藁人形に取り付けてあったのだ。生徒たちはみんな米英の指導者の名前は知っていた。先生は「日本が戦争に勝つ、相手は名前が悪い、ズルズルベッタリとチャーと散る」と言った。私は先生が言うのだからそんなものかと思ったが、竹槍の方はどうなるのかよく判らない。第一アメリカ兵はどこから来るのか、この竹槍で突いて死ぬのか、こども達で話した結論は、その頃「B29」が話題だったので、きっとB29でやってきて、飛行機故障して落下傘で降りてくる、その下に竹槍を構えお尻の穴目掛けて竹槍で突き上げれば痛い痛いと逃げて行くだろうというものであった。
「焼き尽くし殺し尽くす
❘東京・広島・長崎・」
東京大空襲から広島、長崎につながる米空軍の日本人殺戮爆撃は、日本軍が中国侵略戦争で犯した「三光作戦」を彷彿させるものがある。前掲の「日本大空襲『実行犯』の告白 なぜ46万人は殺されたか」(新潮新書・鈴木冬悠人著)を読みながらつくづく感じたことがある。
日本国民は「大日本帝国憲法」に変わって世界の最先端を行く「日本国憲法」を手に入れ、これでもう大丈夫、メデタイメデタイとすっかり安心して、敵基地攻撃能力保有から始まりその惨憺たる末路に至る具体的な歴史を知ろうとしない国民になってしまったのではないか。
バイデン大統領がやってると岸田首相は日本国民に対する何の説明もなくさっさと軍事費倍増を約束した。
バイデン大統領はアメリカ産の高額兵器がまた売れるとニコニコ顔である。
(終り)