「プロレタリア文化大革命の 本質は何か」
劉連仁さんの思い出(17)
日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫
「まさか、あの偉大な 毛首席が」
吹き荒れる「文革」の中、歯を食いしばるような思いの中、中国人慰霊祭に取り組む私たちの最初の課題はこの「文革」の本質を突き止めることでした。日本のマスコミは「文化」というなまえに惑わされて、何か崇高な革命のように讃える論調が圧倒的でした。
私は紅衛兵の追求とリンチによって自殺した老舎のことを聞いた時、これは間違った運動だと感じたがまだすっきりしません。
「10・10論文」を
繰り返し読んで
歳が明け1967年10月10日、「赤旗」6ページにわたる論文「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」が載りました。私たちは10・10論文と言って夢中になって読み進めました。『二、(2)「文化大革命」の主要な内容は、毛沢東一派の専制支配の確立にある』という部分を繰り返し読んですっきりしました。そして私の中に強固に張り付いていた「毛沢東崇拝」は音を発てて剥がれ落ちました。
「資料室から、
コピーを取り寄せる」
念のためもう一度見ておきたいと思って、中央委員会の資料室にコピーを頼みました。資料室に次のような礼状を出しました。
うろ覚えだった「10・10論文」に会えて私の記憶が確かだったと嬉しく思っています。
一九六七年十月といえば「不再戦友好碑」を建立し除幕慰霊祭を行ったのが1966年10月29日のことですから第二回慰霊祭を終えたばかり、大混乱に陥っていた頃です。私は31歳、この論文を夢中になって読みとおした記憶があります。
「文化大革命の主要な内容は毛沢東一派の専制支配の確立にある」という章を繰り返し読み返す中で、この先も日本共産党とともにこの中国人慰霊祭に取り組んでいく決意が出てきたように思います。
ありがとうございました。