2021年3月12日金曜日

たかが俳句   竹内 狐草

 たかが俳句       竹内 狐草

 俳句の奥深さは、続けるうちにどんどん深みを増していくようである。気が付けば誘われてから三十数年が経ってしまった。たかが俳句と思っていたのが、今では日常生活の一端となっている。日常の小さなことにも感慨や風情を感じるようになり、限りない句材を見つける愉しさは俳句をしなければ分らないのである。今、日本語は大きく変化しており古来の日本語は消えゆく存在では無かろうか。俳句も時代と共に変化して口語句が多くなって来ている。俳句の本来の抒情は、文語体を駆使することにより生まれるものと思っている。私に残された時間はどの位なのか知る由もないが、俳句を作れるかぎり日本語の美したを追求したいと思っている。

   髪切って颯爽と行く枯葉道    狐草

  三日はや常の暮らしに戻りけり 狐草

  抱かれて木の芽に触るる男の子 狐草

 

 以前、友人から中国旅行を提案されたが飛行機嫌いの私は提案に乗れなかった。でも中国の風物には関心があり、シルクロードや万里の長城・山岳民族等のテレビ映像は出来るだけ見るようにしている。中国が列車や船で行ける所であれば是非行きたいと思っているが、年々行動範囲が狭まって来ているので難しいかも知れない。亡くなった叔父は何度も中国を訪れ、思想は別にして良い所だと何度も話していたことが思い出される。

                  アカシア俳句会主宰

                                                     日本中国友好協会会員

                 

【席占明さん❘  よくも、この時、こんな人が】

 【席占明さん よくも、この時、こんな人が】

    劉連仁さんの思い出(2)

            日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫

 奇蹟を起こしたのは、勿論山東農民である劉さん自身の体力、気力、生活力ですが、救出に関わった袴田さん、木屋路さんなどの行動も奇蹟的です。一歩間違えば、劉さんの命は無かったかも知れないと私は思っています。

 札幌華僑総会の席占明さんは、よくこんな人が、この時、この札幌に居たものだと驚嘆します。席さんが東京華僑総会に送った膨大な通信を見ると、もし席さんが居なかったら劉さんの事件はウヤムヤになってしまったのでないかと感じます。帰国後三十八年目に日本で裁判を起こし、人類史に残る判決を勝ち取ることもなかったでしょう。

 劉連仁さんのことを中国で詳しく最初に報せたのは上海「新民晩報」で、その記事を書いた欧陽文彬(オウヤンウェンビン)さんに詳細な資料を提供したのは席さんでした。日本では、劉さんの生還の翌年1959年2月に早くも「穴にかくれて十四年 中国人俘虜劉連仁の記録」(1959年2月20日初版発行新読書社定価220円)として出版され、劉さんの奇蹟を一気に日本中に広めました。 実は私はこの本の存在を知らなかったのですが「知っていますか」を出版した時、題字をお願いした田嶋光子さん(北海道母親大会連絡会実行委員長)からプレゼントされました。この貴重な資料が手に入ったのも奇蹟だと思います。 

2021年2月9日火曜日

劉連仁さんの思い出(1)  【天網恢恢、疎而不失】

  1月号に掲載した劉連仁裁判資料集出版に向けたオンラインシンポジウムにおける鴫谷節夫道連会長の発言をもとに、新聞用に加筆修正して数回に分けて掲載します。


    劉連仁さんの思い出(1)

 【天網恢恢、疎而不失】

 劉連仁さんのことを想う時、いつも「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉が浮かんで来ます。

 日本軍国主義政府が行った膨大な悪業の中でも、日本本土を舞台に展開された「中国人強制連行・強制労働・虐殺事件」はその最たるものです。

 日中友好協会北海道支部連合会は1966年から中国人殉難者慰霊祭を挙行し、その基礎資料となる「知っていますか・北海道での中国人強制連行・全道五十八事業場殉難の記録」を1989年5月に刊行しました。この年は日中友好協会全国大会が北海道で初めて開催され(第38回 定山渓・5月)、中国人殉難者全道慰霊祭は24回(6月・後志仁木町)を数えました。

 この資料によって明らかになった虐殺の実態は目を覆うものです。わずか2年足らずの間に北海道での死者3047名、死亡率18・7%、40%を超える事業場が2か所、30%を超えるものが4か所、まさに虐殺・万人坑です。

 劉連仁さんの生還は、強制連行から考えると奇蹟としか言いようがないものだと思っています。人知を越えた「天の意志」❘悪行の生き証人を日本人のために残してくれた「天の配慮」です。少し神がかっていると思いますが私はこう考えると勇気が湧いてきます。                     (つづく)

2021年1月15日金曜日

中国語教室も今年初めて開講

 中国語教室も今年初めて開講


1月9日(土)支部事務所で今年初めての中国語教室を開講しました。

 中級Ⅱのクラスで、楊志剛先生のもと、生徒さん2人で和気あいあいと進めました。

 熊征先生は、初級クラス1人と上級クラス2人を、自宅からパソコンのオンラインで中国語教室をすすめました。

日中友好協会札幌支部の 太極拳サークル  かでる2・7で初練習

 日中友好協会札幌支部の太極拳サークル

       かでる2・7で初練習


 2021年1月8日(金)の午後、かでる2・7のレクレーション研修室(3面がガラス張り)で、今年初めての練習を行いました。

 今回の参加者は、八十八式と四十八式のグループでした。参加者は10人でしたが、準備体操に続いて定位太極拳、二十四式を表演しました。その後、各々グループに分かれて練習をしました。

 休憩後は全員で二十四式、八十八式、四十八式を音楽に合わせて表演をし、久しぶりに心ち好い汗をかきました。今年もささやかではありますが、おやつを用意しました。

 次回、1月15日は、四十二式、陳式グループの初稽古を予定しております。

 今年もコロナ禍の中、サークル員のご協力をお願いし、練習を続けていきたいと思います。

「劉連仁裁判資料集」出版へ

 「劉連仁裁判資料集」出版へ

❘オンライン・シンポジュウム開催❘

   日中友好協会北海道連 会長 鴫谷 節夫


 昨年12月12日「戦争の歴史に向き合う~中国人強制連行裁判(劉連仁裁判)資料集刊行にあたって~というオンライン・シンポジュウムが開催されました。

 これは裁判資料の散逸を防ぐために「すいれん舎(社長高橋雅人氏)」の協力により「劉連仁資料集」出版の事業が進む中で、資料編集責任者関礼子氏(立教大学社会学部)の呼び掛けで開催されました。

 最初に、すいれん舎・高橋雅人社長の挨拶がありました。発言者はこの裁判に深く関わった小野寺利孝、森田太三、田中貴文の各弁護士の皆さんですが、劉連仁さんとの関りが深いということで札幌郷土を掘る会小松豊さんと鴫谷が依頼を受け発言しました。

 私のテーマは「日中友好協会と劉連仁」という事だったので短い時間で何を話すか、大変考えました。私たちと劉連仁さんの交流は長い歴史があり、亡きあとも劉煥新さんさらに劉利さんにつながるものですから前日までやっと2千字あまりの意の尽くせぬ原稿ができました。当日は相手の見えぬ画面に向かって夢中でしゃべって冷汗をかいて終わりました。

 私は日中本部に在った劉連仁関係の資料を借りて整理し、1991年6月から1992年9月までの間に劉連仁資料、その一からその三まで手作りの冊子にしました。その資料は確かに裁判でも使われたと思い出したので資料集にいれて欲しいとお願いしたら、関教授からそれは入れる予定になっていると言われました。

 私の発言も機会があったら紹介したいと思います。

2020年12月8日火曜日

 坂本先生 会いに行きます 。 沖縄県名護市 豊島 晃司

   帯広支部の坂本武三事務局長は,11月28日、ご逝去されました。

 坂本先生 会いに行きます

         沖縄県名護市 豊島 晃司

坂本先生 お疲れさま。

 あなたが支えてくれたから、私が沖縄で暮らし生きることが出来ました。有り難うございます。

 毎週火曜日の東村高江当番、日が昇る前に家を出て、夜7時頃帰る活動は、4年9か月になりました。

 あと3年は高江に通います(当面)。

 木曜日のキャンプシュワブゲート前は、ヘリ基地反対協が担当です。私は午前中だけ(赤旗配達があるため)参加していましたが、先月19日からフルタイムで参加しています。

 昼休みの段取りとか初めてぶつかることばかりですが、メモを取りながら進めています。

ゲート前・皆さんの前で歌うにはまだまだです。

 「沖縄を返せ」だけは心を込めて歌えるようになったかな。努力します。

 坂本先生と一緒に室蘭の慰霊の集いに行ったこと、七三一部隊展等の活動を共に出来たことに感謝。

 年があらたまり日程の調整が出来次第、帯広・十勝にもどります。

 帯広駅前のふじもり食堂に顔をだします。ゆっくり語り合いましょう。

 坂本先生にお会いできることを楽しみに沖縄で生きます。