2023年4月17日月曜日

「札幌市と瀋陽市との 姉妹都市提携」 先遣団の一員として

 「札幌市と瀋陽市との姉妹都市提携」

               先遣団の一員として

                                  荒 川  尚 次  

   新札幌市史第5巻に、「昭和55年10月、市議会で友好都市提携を決議・同月市助役を団長とする先遣団が瀋陽市を訪問し交流計画などについて打ち合わせ、11月瀋陽市長など使節団が来札して、友好都市提携の調印式を行った」、との一節がありますが、当時日本共産党札幌市議団の幹事長をしていた私も先遣団の一員として訪中するなど、一連の姉妹都市をめぐる動きにかかわりました。

 もう43年も前の話になりますが、当時中国では「文化大革命」の嵐がおさまった直後で、瀋陽市の幹部なども復帰してまもないという時期でした。

 一方で日本共産党に「修正主義」などのレッテルをはり、はげしい攻撃をしていた中国共産党が、断裂の事態をどう収拾するかが注目されていたときでもあり、「文化革命」後に訪中した日本共産党の議員は、私が数例目ということでもありました。

 ということで緊張の訪中でしたが、かって軍国主義日本が中国侵略のかいらい国家満洲の重要都市の旧「奉天市」と、新たな関係を築くことへの感慨を憶えた旅でした。         

 また、先遣団の団長をされた故平瀬徹也氏が、レセプションの場で私を日本共産党の代表として紹介し、私が「日中友好」と両市の姉妹都市提携に関してあいさつしたことも、思いだします。

 日中友好の継承発展を 

 いま日中両国間にさまざまな問題が惹起する状況のもと、世界とアジアの平和と友好のためにも、苦節をのりこえ継承発展してきた、日中友好運動がますます重要になっていると思います。

 北海道と札幌で日中友好協会がさらなる前進を遂げられるよう、願っています。

                                                                (元札幌市議会議員)

                                     

                                             クリスマスローズ

2023年3月7日火曜日

 友好碑建替え、待ったなし   第20回慰霊祭の成果から 展望生れる

  友好碑建替え、待ったなし

   第20回慰霊祭の成果から展望生れる

       劉連仁さんの思い出(23)

       日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫

  世話人は14名に
 当初の8名の世話人は、20回では次のとおり14名にお願いしています。
 藤井栄一 商大学長
 志村和雄 小樽市長
 島本虎三 仁木町長
 小柄義信 余市町長
 川村留治 寿都町長
 泉 勢誠  小樽仏教会会長
 松浦 一 北大名誉教授
 松田平太郎 牧師、北星男子高校校長
 戸谷富之 日中友好協会 道連合会会長
 秋保 充 医師、日中友好協会小樽支部会長
 山崎 幸 勤医協中央病 院総婦長
 鈴木 好 北海道高退協 会長
 多嶋光子 北海道母親大 会連絡会実行委員長
 吉田敏夫 丸辰商事代表
 
 協賛団体は157

 中国人殉難者全道慰霊祭を広く知って貰うには、これに賛同する団体を増やさなければならないことはよく判っていましたが、何といっても文革が終結するまでは手も足も出ないという心情でした。
 しかし、これだけ立派な烈士園と友好碑を造った以上、慰霊祭を一年でも欠かすわけにはいかない、なんとしても慰霊祭だけは意地でもという気持ちですが、そういう私たちの心を支えてくれたものがもう一つあります。 
 泉勢誠氏を中心とする真宗大谷派の皆さんです。もしこれが無かったら何回かの中断もあったのでないかと思っています。第20回の慰霊祭の協賛団体は157団体になりました。特に自治体関係が30道市町村を占め、後志の全自治体の協賛を得たのは心強いかぎりでした。
 余談になりますが、焼香に当たっては参列団体と世話人のお名前を読みあげ、一人一人焼香してもらうことにしていましたが、20回では協賛団体すべてを読み上げることにしました。
 結果、それだけで20分近くになり、慌てて読み上げのスピードを上げるよう指示したことも思い出されます。
                                  (つづく)

 軍拡・改憲NО! 全国ネット学習会開催

      軍拡・改憲NО! 全国ネット学習会開催


 2月27日(月)北海道自治労会館大ホールにおいて、東京新聞記者 望月衣塑子さんを招いて学習会を開きました。(その内容の一部を紹介します)


 軍拡に突き進む岸田政権

 岸田政権は爺さんの亡霊を引き継いだ安倍総理をさらに引き継いだ、と言うよりもっと強引に軍拡を推し進めています。  

(安保三文書)この骨子の内容は、

▼敵基地攻撃能力(反撃能力)

 必要最小限の自衛の処置として、相手の領域で有効な反撃を加えることを可能にする

▼安保関連経費

 2027年度に防衛力を抜本的に強化と、それを補完する取り組み(研究開発や港湾などの公共インフラ・サイバー安全保障・国際協力の4分野)をあわせ、予算水準をGDPの2%に

 ▼周辺国への認識
 中国=対外的な姿勢や軍事動向等我が国と、国際社会の深刻な懸念事項であり(中略)これまでにない最大の戦略的挑戦。
 北朝鮮=従来よりもいっそう重大かつ差し迫った脅威。
(安保三文書に対する各国の反応)
▼米国
 「歴史的な第一歩」バイデン大統領は「平和と繁栄に貢献」
▼中国
 「日中が取り交わした約束や合意、を無視して、中国を中傷し続けている。断固反対。
▼韓国
 「日本が憲法と国際法の範囲内で、専守防衛の原則を堅持する」ことを前提に容認。

 中期防5年で43兆円GDP比2%へ
 自民党調査会は昨年4月21日の全体会合で、「敵基地攻撃能力」の名称を「反撃能力に変更。調査会のメンバーは「先制攻撃に取られないように気を使った」と発言。
(43兆円の内容)
・スタンド・オフ防衛能力  5兆円
・防衛装備品の維持整備         9兆円
・弾薬                     2兆円
・隊舎など老朽化対策            4兆円
・新たな装備品確保6兆円
・無人機。宇宙、サイバーにそれぞれ1兆円
(この財源を)
 法人税、所得税、タバコ税の3税の組み合わせを自民党税制調査会で了承。
 ここで、中小企業は対象にしないとしているが、大手は下請けにそのつけを回すのは必定。
 タバコ税は1本3円相当の引き上げになる。
(今年度の防衛費 前年比1・26倍の6兆円)
 その内、相手の領内にあるミサイル発射拠点などを、直接攻撃する「敵基地攻撃能力」に使われる「トマホーク」に2113億円を計上。
 このトマホークは湾岸戦争に使われ、4発に1発の命中率といわれている。

 参加者は主催者発表で350人でした。

第46回 紀元節復活反対 2・11道民集会を開催

 第46回 紀元節復活反対2・11道民集会を開催

   「統一協会問題と日本の保守政党」

   北海道大学大学院文学研究科 櫻井義秀教授が講演


 2月11日、ホテルライフォート札幌で、第46回 紀元節復活反対2・11道民集会が、会場とオンライン参加で開催されました。

 靖国神社国営化阻止道民連絡会議代表の浦瀬佑司(札幌パブテスト教会)代表が主催者挨拶をおこないました。日中友好協会札幌支部も参加団体です。浦瀬代表は、「こんにちの日本は歴史の転換点にあるのでないか。安倍元総理の銃撃事件を機に統一協会が大きくクローズアップされている」と述べ、講師の北大大学院文学研究科の櫻井義秀教授を紹介しました。

 講師の桜井教授は、講演の冒頭、演題の「統一協会と日本の保守政党」について、自民党は、日本・伝統・家父長制にすがりつく名ばかりの保守と紹介し、本当の保守主義ではない。自民党と統一協会は「反共」で一致し、自民党は統一協会を利用し、統一協会も自民党を利用している。

 講演の主旨を紹介し、統一協会の歴史を簡単に振り返り、①性と合同結婚式の宗教、②韓国のための資金調達活動に特化した宗教、③植民地支配に対する恨(ハン)の3点がこの教団の基本的特徴。

 そのうえで、統一協会問題は、宗教法人としては解散される(?)数年先に、任意の宗教団体として残る世界平和統一家庭連合、各種関連団体と日本社会がどう付き合っていくかという課題が残されたままである。 制度・法律的な規制には限界があり、若者がだまされず、中高年が不安につけこまれないための智恵と人間関係を社会の各層でそなえることでしか被害を減らすことはできない。

   韓国の統一協会と

  日本の統一協会

 1961年韓国で朴正煕(パク・チョンヒ)氏がクーデターで政権につき「反共法」を制定して共産主義に対抗する「勝共運動」を展開。統一協会の別組織「国際勝共連合」は政権の庇護を受けた。

 1973年、日本では、教祖の文鮮明と韓鶴子夫妻と岸信介元総理が教団本部で記念撮影。2004年、日本の統一協会久保木修己元会長が「美しい国日本の使命」という本を出版。2006年には、安倍元総理が「美しい国へ」の本を発行している。

    組織票(6~8万)の

  差配は安倍元首相

 統一協会の組織の差配は安倍元首相がになってきた。また、はがきの郵送やビラの配布などを手伝う。2016年の参議院選挙では、宮沢善文候補を支援。統一協会・世界平和連合は、「宮沢候補の掲げる政策が我々の理念と一致」とパンフレットに記載している。

           

                                    講演をする櫻井義秀教授
               開会挨拶をする浦瀬佑司代表

2023年2月17日金曜日

3・1ビキニデー北海道集会を開催

      3・1ビキニデー北海道集会を開催

 

  2月4日、北海道クリスチャンセンターにおいて、3・1ビキニデー北海道集会が開催されました。

 主催は、北海道原水協など。日中友好協会札幌支部も参加団体です。

 集会では、主催者を代表して、北海道宗教者平和協議会理事長で一条寺住職の殿山善彦実行委員長が挨拶しました。殿山氏は世界は戦争の時代に突入してしまった。新たな危機感を持たざるをえない。戦争を始めるのは簡単だ。どう終わらせるのか、見通しを持っているものは誰もいないなどと述べました。

  殿山氏は、本日の3・1ビキニデーを機に、平和への危機を共有し、核兵器の廃絶、原発の廃止に向け力を合わせましょうと呼びかけました。

 追悼の部では、殿山住職の読経の中、参加者を代表して北海道被爆者協会の代表が、原水爆犠牲者と全戦争犠牲者の御霊に献花しました。続いて、北海道キリスト者平和の会の黒田靖氏が、平和の願いを朗読提案、被災船元乗組員の証言を紹介しました。

 講演の部では、『「ビキニ事件」と日本の戦後』『私たちは「核時代に生きる当事者」』と題して岡村啓佐太平洋核被災センター副代表が、1時間強の講演を豊富な資料使って行いました。

 ヤルタ会談後の6日、ソ連の参戦前に広島にウラン型原爆を投下。ソ連参戦の9日長崎にプルトニュウム型原爆を投下。 ビキニ事件ではアメリカが日本に200万ドルを見舞金として支払うことで政治取引を行う。また、ビキニ被爆船員訴訟裁判は、まだ各地で闘われている。支援をと呼びかけました。
 集会は「日本政府へ 核兵器禁止条約に参加を」の決議を行い、原爆の火を守る募金の訴えが行われ終了しました。
        上は、講演される岡村啓佐太平洋核被災センター副代表。
     下は、主催者代表の北海道宗教者平和協議会理事長の殿山善彦実行委員長

文革終結宣言から8年  第20回慰霊祭を迎える 劉連仁さんの思い出(22)   

  文革終結宣言から8年

 第20回慰霊祭を迎える 

          劉連仁さんの思い出(22)

        日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫


  第20回中国人殉難者全道慰霊祭は日曜日となった7月7日に挙行しました。

 例年どおりの次第でしたが、読経は小樽仏教会、世和人代表挨拶・藤井栄一商大学長、仁木町長挨拶は島本虎三氏でした。

 仁木町と小樽仏教会に感謝状が贈呈され、慰霊として太極拳表演のほかに「おたる潮太鼓」の演奏がありました。

    

     栞に載った島本町長の

   メッセージ

  島本町長は挨拶とは別に次のようなメッセージを寄せています。


 第20回の慰霊祭を迎えて

   仁木町長 島本虎三

 日中不再戦友好碑が仁木町に建立されてから、すでに20年たちました。今、第20回中国人殉難者全道慰霊祭を行うに当たり、今こそ強い反省が必要であると痛感されます。

 政府は専守防衛、平和に撤すると言いながら国防優先の言葉が次々と流れてくるのはどうしたことでしょう。

 私たちは満州事変から盧溝橋事件へと日本の軍国主義が全中国に侵略の戦火を広げ、中国人民千数百万人を殺傷したことを深く反省しなければなりません。

 「日中不再戦友好碑」のもとに、この過去を懺悔し、平和こそ何ものにも代え難い貴重な資産であることを肝に銘じ、その為の誓いの碑にしてこれを守っていきたいと考えます。


 「その為の誓いの碑にしてこれを守っていきたい」という決意は、その後の慰霊祭の基本理念としてしっかり受け継がれています。

 岸田内閣は「閣議決定」という国会を無視した独裁的手法によって、米国に組み込まれた敵基地攻撃という戦争へ進もうとしています。絶対にその道を許してはなりません。

                          (つづく)

「日中不再戦」の声を今年こそ 大橋 晃

 「日中不再戦」の声を今年こそ

                  大橋 晃

 「日中不再戦」ーー日中友好運動の原点であるこの言葉が、今年は現実味を持ったものになろうとしています。

  岸田首相は、「敵基地攻撃能力」の保有、軍事費の倍化などを手土産に訪米し、バイデン大統領と「敵基地攻撃」の運用で協力することを約束しました。これは「台湾有事」などに際して、自衛隊が米軍の指揮のもとに中国に攻め込むことを可能にするものです。

 今年を「新たな戦前の年になる」としたタモリの発言が話題となりましたが、これも現実味を帯びたものになってきています。

 私は1940年に北京で生まれ、5歳の時石家荘で終戦を迎え、翌年引き揚げました。  幼少時でしたが、戦争末期の空襲の記憶は鮮明に残っており、ウクライナの地下壕で恐怖に震える幼子を見ると、当時の記憶がフラッシュバックします。

 同時に、歴史を学ぶ中で、日本が中国の人々に与えた「加害」についても深く考えるようになりました。私の父は民間人で、中国の人々に差別的なことはしていませんでしたが、私たちの存在自体が「侵略者」の一員であったことは紛れもない事実です。

  「2度と被害者にも加害者にもならない」――これは生涯を貫く私の原点です。

 最近の中国の軍拡や一連の理不尽ともいえる行為は確かに問題です。しかし「軍事に対して軍事」がエスカレートしていけば行きつく先は明らかです。福田康夫元首相も「日中互いに軍備を強化しあう関係でいいのか」(毎日デジタル1月1日)と言っています。

 憲法9条を持つ国として、いまこそ外交的努力こそ強めるときです。そして「日中不再戦」の声を国民の間で大きく広げるときです。

          〈勤医協中央病院名誉院長〉

             (元道議会議員)