友好碑建替え、待ったなし
第20回慰霊祭の成果から展望生れる
劉連仁さんの思い出(23)
友好碑建替え、待ったなし
第20回慰霊祭の成果から展望生れる
劉連仁さんの思い出(23)
軍拡・改憲NО! 全国ネット学習会開催
2月27日(月)北海道自治労会館大ホールにおいて、東京新聞記者 望月衣塑子さんを招いて学習会を開きました。(その内容の一部を紹介します)
軍拡に突き進む岸田政権
岸田政権は爺さんの亡霊を引き継いだ安倍総理をさらに引き継いだ、と言うよりもっと強引に軍拡を推し進めています。
(安保三文書)この骨子の内容は、
▼敵基地攻撃能力(反撃能力)
必要最小限の自衛の処置として、相手の領域で有効な反撃を加えることを可能にする
▼安保関連経費
2027年度に防衛力を抜本的に強化と、それを補完する取り組み(研究開発や港湾などの公共インフラ・サイバー安全保障・国際協力の4分野)をあわせ、予算水準をGDPの2%に
第46回 紀元節復活反対2・11道民集会を開催
「統一協会問題と日本の保守政党」
北海道大学大学院文学研究科 櫻井義秀教授が講演
2月11日、ホテルライフォート札幌で、第46回 紀元節復活反対2・11道民集会が、会場とオンライン参加で開催されました。
靖国神社国営化阻止道民連絡会議代表の浦瀬佑司(札幌パブテスト教会)代表が主催者挨拶をおこないました。日中友好協会札幌支部も参加団体です。浦瀬代表は、「こんにちの日本は歴史の転換点にあるのでないか。安倍元総理の銃撃事件を機に統一協会が大きくクローズアップされている」と述べ、講師の北大大学院文学研究科の櫻井義秀教授を紹介しました。
講師の桜井教授は、講演の冒頭、演題の「統一協会と日本の保守政党」について、自民党は、日本・伝統・家父長制にすがりつく名ばかりの保守と紹介し、本当の保守主義ではない。自民党と統一協会は「反共」で一致し、自民党は統一協会を利用し、統一協会も自民党を利用している。
講演の主旨を紹介し、統一協会の歴史を簡単に振り返り、①性と合同結婚式の宗教、②韓国のための資金調達活動に特化した宗教、③植民地支配に対する恨(ハン)の3点がこの教団の基本的特徴。
そのうえで、統一協会問題は、宗教法人としては解散される(?)数年先に、任意の宗教団体として残る世界平和統一家庭連合、各種関連団体と日本社会がどう付き合っていくかという課題が残されたままである。 制度・法律的な規制には限界があり、若者がだまされず、中高年が不安につけこまれないための智恵と人間関係を社会の各層でそなえることでしか被害を減らすことはできない。
韓国の統一協会と
日本の統一協会
1961年韓国で朴正煕(パク・チョンヒ)氏がクーデターで政権につき「反共法」を制定して共産主義に対抗する「勝共運動」を展開。統一協会の別組織「国際勝共連合」は政権の庇護を受けた。
1973年、日本では、教祖の文鮮明と韓鶴子夫妻と岸信介元総理が教団本部で記念撮影。2004年、日本の統一協会久保木修己元会長が「美しい国日本の使命」という本を出版。2006年には、安倍元総理が「美しい国へ」の本を発行している。
組織票(6~8万)の
差配は安倍元首相
統一協会の組織の差配は安倍元首相がになってきた。また、はがきの郵送やビラの配布などを手伝う。2016年の参議院選挙では、宮沢善文候補を支援。統一協会・世界平和連合は、「宮沢候補の掲げる政策が我々の理念と一致」とパンフレットに記載している。
講演をする櫻井義秀教授
3・1ビキニデー北海道集会を開催
2月4日、北海道クリスチャンセンターにおいて、3・1ビキニデー北海道集会が開催されました。
主催は、北海道原水協など。日中友好協会札幌支部も参加団体です。
集会では、主催者を代表して、北海道宗教者平和協議会理事長で一条寺住職の殿山善彦実行委員長が挨拶しました。殿山氏は世界は戦争の時代に突入してしまった。新たな危機感を持たざるをえない。戦争を始めるのは簡単だ。どう終わらせるのか、見通しを持っているものは誰もいないなどと述べました。
殿山氏は、本日の3・1ビキニデーを機に、平和への危機を共有し、核兵器の廃絶、原発の廃止に向け力を合わせましょうと呼びかけました。
追悼の部では、殿山住職の読経の中、参加者を代表して北海道被爆者協会の代表が、原水爆犠牲者と全戦争犠牲者の御霊に献花しました。続いて、北海道キリスト者平和の会の黒田靖氏が、平和の願いを朗読提案、被災船元乗組員の証言を紹介しました。
講演の部では、『「ビキニ事件」と日本の戦後』『私たちは「核時代に生きる当事者」』と題して岡村啓佐太平洋核被災センター副代表が、1時間強の講演を豊富な資料使って行いました。
文革終結宣言から8年
第20回慰霊祭を迎える
劉連仁さんの思い出(22)
日中友好協会北海道連 会長 鴫谷節夫
第20回中国人殉難者全道慰霊祭は日曜日となった7月7日に挙行しました。
例年どおりの次第でしたが、読経は小樽仏教会、世和人代表挨拶・藤井栄一商大学長、仁木町長挨拶は島本虎三氏でした。
仁木町と小樽仏教会に感謝状が贈呈され、慰霊として太極拳表演のほかに「おたる潮太鼓」の演奏がありました。
栞に載った島本町長の
メッセージ
島本町長は挨拶とは別に次のようなメッセージを寄せています。
第20回の慰霊祭を迎えて
仁木町長 島本虎三
日中不再戦友好碑が仁木町に建立されてから、すでに20年たちました。今、第20回中国人殉難者全道慰霊祭を行うに当たり、今こそ強い反省が必要であると痛感されます。
政府は専守防衛、平和に撤すると言いながら国防優先の言葉が次々と流れてくるのはどうしたことでしょう。
私たちは満州事変から盧溝橋事件へと日本の軍国主義が全中国に侵略の戦火を広げ、中国人民千数百万人を殺傷したことを深く反省しなければなりません。
「日中不再戦友好碑」のもとに、この過去を懺悔し、平和こそ何ものにも代え難い貴重な資産であることを肝に銘じ、その為の誓いの碑にしてこれを守っていきたいと考えます。
「その為の誓いの碑にしてこれを守っていきたい」という決意は、その後の慰霊祭の基本理念としてしっかり受け継がれています。
岸田内閣は「閣議決定」という国会を無視した独裁的手法によって、米国に組み込まれた敵基地攻撃という戦争へ進もうとしています。絶対にその道を許してはなりません。
(つづく)
「日中不再戦」の声を今年こそ
大橋 晃
「日中不再戦」ーー日中友好運動の原点であるこの言葉が、今年は現実味を持ったものになろうとしています。
岸田首相は、「敵基地攻撃能力」の保有、軍事費の倍化などを手土産に訪米し、バイデン大統領と「敵基地攻撃」の運用で協力することを約束しました。これは「台湾有事」などに際して、自衛隊が米軍の指揮のもとに中国に攻め込むことを可能にするものです。
今年を「新たな戦前の年になる」としたタモリの発言が話題となりましたが、これも現実味を帯びたものになってきています。
私は1940年に北京で生まれ、5歳の時石家荘で終戦を迎え、翌年引き揚げました。 幼少時でしたが、戦争末期の空襲の記憶は鮮明に残っており、ウクライナの地下壕で恐怖に震える幼子を見ると、当時の記憶がフラッシュバックします。
同時に、歴史を学ぶ中で、日本が中国の人々に与えた「加害」についても深く考えるようになりました。私の父は民間人で、中国の人々に差別的なことはしていませんでしたが、私たちの存在自体が「侵略者」の一員であったことは紛れもない事実です。
「2度と被害者にも加害者にもならない」――これは生涯を貫く私の原点です。
最近の中国の軍拡や一連の理不尽ともいえる行為は確かに問題です。しかし「軍事に対して軍事」がエスカレートしていけば行きつく先は明らかです。福田康夫元首相も「日中互いに軍備を強化しあう関係でいいのか」(毎日デジタル1月1日)と言っています。
憲法9条を持つ国として、いまこそ外交的努力こそ強めるときです。そして「日中不再戦」の声を国民の間で大きく広げるときです。
〈勤医協中央病院名誉院長〉
(元道議会議員)
閣議決定とは 内閣総理大臣とその閣僚の合議体 で、内閣の権限事項を決定
するこ と、非公開なもの
全道慰霊祭に関わる私にとっては 国民に何の説明もせず、自分たち で決めてしまう
政府のやり方。理不尽で非人道的な政府決定。
このように断言するようになったいきさつを説明します。まず、資料①、②を一読、御覧になってください。罪深い決定だと心に刻んだ歴史の真実です。資料①は中国人殉難者全道慰霊祭の案内文です。資料②は日中不再戦友好碑の背面文です。
中国人殉難者全道慰霊祭に参加するようになったのは、仁木九条の会事務局員として鴫谷先生の講演を企画・運営する一員となってからです。2009年の8月に、第2回すいとんを食べながら平和を語る会で、「なぜ日中不再戦友好碑が仁木町にあるのか」というテーマで、歴史的資料でわかりやすく、印象深い話をしていただきました。その時に「この閣議決定がなければ」と思いました。
その後、2014年{集団的自衛権行使」を閣議決定、2015年「安全法制(戦争法)の強行採決」、岸田政権では「安部元首相の国葬」、「安保三文書」の閣議決定が続いています。もうこれ以上、危機的な政府決定を見逃すわけにはいきません。
日本国憲法の精神を生かし、不再戦友好の誓いを貫くため「国民の、国民による、国民のための政治」に変えていく行動が必要です。
仁木町 齊藤 圭二
資料①
一九四二年十一月二十七日、東条内閣は「華人労務者内地移入の件」という閣議決定をしました。
大日本帝国陸海軍と日本政府が推し進めた侵略戦争の痛ましい傷痕が、私たちの北海道の大地に深く残っています。この事実を忘れては真の日中友好は成り立ちません。
資料②
昭和十七年、東条内閣が閣議決定し、この碑より十五粁は九百名の中国人俘虜を強制労働や栄養失調等で犠牲となりました。日中両国人民の永遠の友好を願いが再び戦うことのないことを願い哀悼の意を表します。殉難者の皆さん安らかにお眠りください。
一九六六年十月