『四、建立した場所と除幕式』
「中国烈士園 日中不再戦友好碑建立の経過
在余市郡仁木町共同墓地内」より
劉連仁さんの思い出(15)
日中友好協会北海道連 会長 鴫谷 節夫
前回に続き引用します。~(建立した場所)~
建立した場所は函館本線二木駅より一粁程離れた、風光明媚な果樹園に囲まれ、はるか日本海が望まれる丘の上で、仁木町共同墓地内にあります。土地は仁木町より無償で660平方米(200坪)提供され、間口一〇米、奥行二〇米、高さ一・五米の石垣を築き、碑石は高さ五米の大理石、碑の前の広場は玉石を敷きつめてあります。又今日までニ回にわたって補修を行い、周囲に植樹しました。
~(除幕式)~
昭和四十一年十月二十九日、中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会会長大谷瑩潤氏を迎え除幕式記念慰霊祭を行いました。この日実行委員会役員をはじめ各界代表二百余名列席し、小樽仏教会六十名の僧侶の読経の中でしめやかに法要が行われ、とくにこの日小樽仏教会会長泉勢誠氏より毎年の慰霊祭に協力奉仕することが発表され、今日までつゞいております。又毎年の慰霊祭は七・七盧溝橋事件を記念して全道規模で行い、特に後志管内二十市町村が積極的に協力参加されていることは、全国的に見ても注目すべき事であります。
尚この中国烈士園「日中友好不再戦碑」には、昭和二十年の春、小樽市の港湾で強制労働で犠牲になった五名の殉難者も合葬してあります。
◇碑の表面題字は大谷瑩潤氏の筆で、裏面は郭沫若氏が中国より墓碑銘として寄せられたものであります。
一九六五年十一月十日
為記念 郭沫若
中国殉難烈士
「日本中国友好協会小樽支部輝く十五年の歩み」に次のように書かれています。
この碑の建立は支部創立以来最も大きな事業であって、一年有余の調査の結果各界代表八〇名によって実行委員会を構成し、特に前年訪中した小樽経済友好視察団に参加した方々の協力は非常に大きなものがありました。
仁木町の「中国烈士園・日中友好不再戦碑」は全国に例を見ない壮大なものです。直後に勃発した「文化大革命」と対峙し、その本質を明らかにし、北海道で中国人殉難者慰霊祭の輪を広げて伝えていく思想闘争が必要になっていました。
(つづく)