2022年5月24日火曜日

 真珠湾攻撃から 東京大空襲・広島・長崎へ

  真珠湾攻撃から

   東京大空襲・広島・長崎へ

      ❘敵基地攻撃能力保有の末路❘(上)

              日中友好協会道連会長 鴫谷 節夫

 「12月8日と シンガポール陥落」

 昭和16年12月8日、日本海軍の機動部隊が極秘裏にハワイ島の米軍基地に接近し、航空機による奇襲攻撃を行った。このとき私は国民学校入学直前で何も覚えていないが、どういうわけか12月8日というと寒い天気の早朝、稲刈りが済んだ田圃の落穂に霜が降りて、それに陽が当ってキラキラ輝いている情景が浮かぶ。

 翌17年に一年生になって間もなく、学校でシンガポール陥落のお祝いというものが配給になった。軟式のテニスボールのようなものだったが数が足りない。くじ引きになって、くじ運の悪い私は当然貰えなかった。見たところ粗末なゴムで、そんなに欲しいとも思わなかったが、お祝いだから全員に一個づつ当たるのが当然だと思っていたので、今でも思い出すと腹が立つ。

  「ルーズベルトの敵討ち    4月18日日本初空襲」

 この初空襲についてはなんの記憶もないが、のちに書かれたものを見ると、アメリカ軍の「通り魔にも似た奇襲爆撃」であった。空襲による被害者は、死者五〇名、負傷者四〇〇名以上、家屋約二〇〇戸全半壊などであった。

 最近入手した「日本大空襲『実行犯』の告白」によれば、この日本初空襲という無謀な作戦は、ルーズベルトがアーノルドに命令したものである。「その空襲に対し、ルーズベルトは日本への報復を強く求める。『日本本土を爆撃する手立てを一刻も早く考えよ』と檄を飛ばし、作戦計画の立案を命じていた。航空軍は国のために貢献できることを示さなければならなかった。復讐心からルーズベルトは早急に結果を求めていたがアーノルドは頭を悩ませたという。」 (新潮文庫)