2020年3月2日月曜日

道連理事会を開催

第55回中国人殉難者全道慰霊祭の成功と
全国大会と道連総会にむけて会員準会員の拡大を

2月17日、道連事務所で理事会を開催しました。前日からの大雪と体調不良者が出て出席者は多くありませんでしたが、この間の活動について総括・意見交換を行い、各支部の活動の交流を行いました。
 道連版新年号の発行やカレンダーの普及活動、新年号の名刺広告などと1月26日に開かれた新年交流会について討議しました。
 今後の主な活動について討議しました。
 3月20日にと期日が迫っている中国百科検定の受験者が少ないので多数受験するよう働きかけること。
 美唄に記念碑を建立する計画の三菱マテリアル基金北海道実行委員会(準備会)を3月31日に開催するなどの諸活動。
 6月28日(日)に計画している中国人殉難者全道慰霊祭は第55回の節目の年に当たり取り組みを強化し、大きな成功を勝ち取ることが大事と強調されました。
 5月に計画している中国南京市への平和の旅についても検討しましたが、新型コロナウイルスが収まるか見極める必要があるなどと意見が出されました。
 また、天津市の烈士陵園に中国人殉難者慰霊観音像を納めてから10年の節目に当たり平和の旅で9月ごろの訪問の計画でいますが、これらもよく見極めて計画していきたいなどの検討が行われました。
 6月6日、7日に東京で開催される日中友好協会第69回大会、そして、4月の道連総会を23日(木)午前11時から午後3時30分まで開催することを決め、かでる2・7の会場を確保しました。
 特に、大会と道連総会にむけて、会員・準会員の拡大を成功させていくことが大事になっいることを確認しました。

第43回紀元節復活反対 2・11道民集会を開催

2月11日、ホテルライフフォート札幌において、靖国神社国営化阻止道民連絡会(日中友好協会も参加団体)主催による「第43回紀元節復活反対道民集会」が開催されました。
 主催者を代表して、浦瀬佑司氏(札幌バプテスト教会会員)が挨拶され、連絡会の経緯を紹介する中で「連絡会は今年50年目を迎えます。しかしながら靖国神社を国営化しようと目論む自民党政権は『国民投票法』を成立させ『日本国憲法改正草案』を発表し、『集団的自衛権』『平和安全法制案』『国際平和支援法』など、次々と戦争にひた走る法案を強行採決しています。そして2月2日、中東に護衛艦『たかなみ』を派遣しました。
 私たちはこうした危機的な状況にあるからこそ平和、人権、民主主義を守るため、そして『思想、良心、信教の自由を守るための取り組みを強めなければならないと考えます」と開会の挨拶をしました。
「メディアと私たち~忖度・弾圧と表現の自由に抗う」
 武蔵大学社会学部教授
   永田浩三氏の講演
 永田氏は、NHKでクローズアップ現代などのドキュメンタリー番組を作ってきたジャーナリストです。
 最初に最近起こった出来事として
 アフガンで殉職された中村哲医師についてふれ、「水は生きるために欠かすことは出来ません。そして水路は水とともに土砂も流します。さらに水は新たな紛争を引き起こします。憲法も、ともすれば如何様にも解釈され、水路同様つどメンテナンスが必要です」と話された中村哲氏はそのことを体現されました。
「国民を裏切った昭和天皇」
 終戦後の新憲法下での昭和天皇のメッセージについて「沖縄・奄美大島に関して、25年ないし50年、あるいはそれ以上軍事占領を望む」これをマッカーサーに伝えたまさに自身の延命のためのメッセージでした。
 戦時中御前会議で直接指揮をとった昭和天皇の責任は明白です。
  メディアと私たち
 「報道は国のためにあってはならない。報道は国民のためにこそある」
 「語るに落ちた安倍政権」
 麻生副総理の「単一国家発言」を始め、森友、加計、IR贈収賄疑惑、桜を見る会など不正疑惑のオンパレード
 「その中でもあきれる桜を見る会」
 首相枠千人が5~6千人に膨れ、私人の昭江夫人客が146人であったり、マルチ商法の社長が参加したりしている。
 公文書管理のずさんさなど永田教授は厳しく指摘しながら講演しました。
 講演の後、自治体首長要請文や集会宣言を採択しました。
 最後に、参加者全員で「紀元節復活反対」青色のアピールボードを掲げて「紀元節復活反対」を唱和しました。
                          主催者を代表して挨拶する深瀬佑司代表
             記念講演する永田浩三武蔵大学教授
         下は紀元節復活反対のボードを掲げ唱和する参加者

2020年2月3日月曜日

新年交流会 テーブルスピーチ

ルスピーチをいただきました。
 北海道合同法律事務所の佐藤哲之弁護士、たかさき渡部法律事務所の髙崎暢弁護士、菊池三郎先生、北海道華僑華人婦女会周玉蘭会長、晋南貿易の曲健三社長、北海道華僑華人連合会湖軍毅顧問、同富長林名誉会長、
北海道中国会の田義之代表、陶恵栄運営委員長、同中村記念病院の門間敏明さん、中国人
           北大法学部大学院に桑月桂さんのスピーチ
          
札幌支部中国語教室の熊征先生のスピーチ
 留学生李佳昕北日本地区会長など4人が参加、北大法学部大学院桑月桂さん、札幌支部中国語教室の熊征先生、東急ホテルの余秋辰さんなど中国人の参加者が多かったです。 
 小樽支部から9人参加、室蘭支部から松原剛さん夫妻が参加し、それぞれスピーチを行いました。
 
小樽支部の皆さん
 苫小牧支部、帯広支部、釧路支部は、体調不良などで参加がかないませんでした。
 札幌からは、旅システムの青木久美子が参加し、日中友好協会との共同企画で5月の南京への平和の旅や9月の天津への平和の旅などの案内も含めてスピーチしました。
  
旅システムの青木久美子のスピーチ
 札幌支部の中国語教室の熊征先生もスピーチを行いました。
 12月に札幌に来られた東急ホテルの与秋辰さんも初めて参加されスピーチを行いました。
 札幌支部の稲津拓郎理事、重本雅江理事もスピーチ、影浦貞宏事務局長は家族4人で参加し紹介しました。
 札幌関係の参加者の皆さんも全員スピーチを行いました。
   
北大法学部大学院吉田邦彦教授の挨拶と締めの乾杯の音頭 
 最後に、北海道大学法学部大学院の吉田邦彦教授が、中国人留学生の教え子の皆さんが大変優秀であり、中国に戻って大学の教授などになっていることなどを披露しながら締めの乾杯の挨拶・音頭を取られました。
 開会前に影浦事務局長と東急ホテルの余さんが会話をしました。
 余さん「最近中国からの団体客のキャンセルが相次いでいる。私は、通訳と案内を主な仕事にしていますが、この問題は早急に解決してほしいと思っています」と語っていました。影浦事務局長も同感ですと答えていました。
 開会前に参加者全員で集合写真を撮り、閉会前に全員にお配りしました。

日本中国友好協会創立70周年記念新年交流会を盛大に開催

日本中国友好協会創立70周年記念
   新年交流会を盛大に開催
 1月26日(日)12時からネストホテル札幌駅前において、日中友好協会創立70周年記念新年交流会を42人の参加で盛大に開催しました。
 オープニングで新芸能集団「乱拍子」が獅子舞を演じました。今年一年の健康・幸福を願って参加者の頭を獅子が噛んで回りました。おひねりも上がりました。
 鴫谷節夫道連会長が主催者を代表して、中国での新型肺炎を心配しながら年頭の挨拶を述べました。 
 中国総領事館を代表して孫振勇総領事の祝辞を兪昂(ゆこう)領事が代読されました。
 日本共産党札幌市議団の小形香織幹事長が、先の党大会のジエンダー平等などにに触れながら「日中友好の草の根の活動を深めていきましょう」と挨拶されました。
 田中貴文弁護士から、三菱マテリアル基金による美唄への記念碑建立について「今年は無理でも来年は是非実現させたい」と特別報告が行われました。
 勤医協札幌病院の細川誉至雄医師が、昨年、中国の青島での学会に参加したことを報告しながら乾杯の音頭を取られました。
 例年、太極拳を表演していた札幌支部の三木ふみよさんが体調不良のため、小樽支部の木嶋敏子さんが功夫扇を表演しました。
                       
                           新芸能集団 乱拍子の獅子舞
            獅子に頭を噛まれる余秋辰さん
       下は主催者を代表しての鴫谷節夫道連会長が年頭の挨拶
           中国総領事館を代表して兪昂領事の来賓挨拶
       下は、日本共産党札幌市議団小形香織幹事長の来賓挨拶
田中貴文弁護士の三菱マテリアル基金による
            記念碑を美唄に建立する事業の特別報告
            
  昨年、中国青島での外科学会に触れながら乾杯の音頭をとる
勤医協札幌病院の細川誉至雄先生

           小樽支部木嶋敏子さんの太極拳功夫扇の表演

2020年1月10日金曜日

記念碑建立予定地(美唄)の 現地視察も行う

歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)
   基金管理委員会を5月に東京で開催
  記念碑建立予定地(美唄)の現地視察も行う

1月15日、北京で第2回管理委員会が開催される予定です。
 第3回は東京で5月に開催を計画しています。
 東京での開催の折には、記念碑建立の現地視察も計画されています。
 2018年9月11日、日本中国友好協会北海道支部連合会の理事会を開催し、田中貴文弁護士にお越しいただいて、中国人強制連行の被害者や遺族と三菱マテリアルとの和解内容について改めて説明を受け、北海道における「記念碑」建立について検討いたしました。
 昨年2月19日開催された北海道連の理事会で、田中貴文弁護士の「記念碑」建立プランに基づき討議を行いました。

 3月27日、田中貴文弁護士が所属する札幌おおぞら法律事務所で、歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)記念碑」建立・追悼事業北海道実行委員会(第1回準備会)を開催しました。
 7月23日には第2回実行委員会を開催し、美唄市長への要請を行うことなど確認しました。
 9月3日、北海道実行委員会(準備会)は、美唄市の坂東知文市長に、「我路ファミリー公園」内に「記念碑」を設置したいと要請いたしました。
 坂東市長は「受け入れることに問題はないと思うが、関係団体と相談・話し合いをすすめ、早急に決めたい」と回答しました。
 11月20日に第3回実行委員会を開催してきています。
 3月31日には第4回北海道実行委員会(準備会)を開催する予定です。
             写真は美唄市長への要請

協会創立70周年に寄せて

協会創立70周年に寄せて        札幌支部理事 髙橋 忠明 

私は昨年5月に江別の家と土地を売って、「サ高住」といわれる高い ?老人ハウスに転居しました。狭い部屋なので、多くの本や雑誌もすっかり処分してしまいました。
 居間に在った2段の小さな本棚を持ってきましたが、その中に私が北大を退職した年の1993年1月5日の「日中友好新聞」道連版が出て来ました。トップには支笏湖畔にて太極拳の朝練風景と蘭島医院長の日中道連会長の秋保充さんの「年頭所感」と道連役員の連名挨拶が載っています。
 2頁には「新春インタビュー」として藤田昌弘さんが戸谷富之(日中道連名誉会長)さんと輪島隆治(日中道連参与)さんのお二人に聞いている記事があります。
 戸谷先生は北大触媒研究所長をつとめられ、小林英夫先生から城戸幡太郎先生の後の会長を引き受け、仁木町に建てた不再戦友好碑を守って中国人殉難者全道慰霊祭を行い、戦争体験集「再び戦わず」や「知っていますか中国人強制連行」等の本を出し、また、太極拳や中国語の講座を行ってきました。
 札幌の友好団体や労働組合は運動を通しての交流があり、夏の平和行動では40~50団体が実行委員会に加盟して統一行動を展開しました。
 輪島さんは当時の国鉄の機関士で、機労道本、後の「動労」の委員長で、北大経済学部の新川士郎教授に労働講座の講義を頼みに行った。新川教授は「労働運動についてはあなたから学ばなければならない」という返事でしたと語っています。
 ここで私のことを語ります。私は北大教職員組合の書記長を何度か受け持ったことがあり、日本国民救援会にも属していて、白鳥事件や芦別事件の全国現地調査で説明員をしていました。
 日中友好協会から声がかかったのは1991年のビデオ「侵略戦争」と元特務機関員だった永富博道氏の証言を聞く集いを行いました。また、強制連行で強制労働された李万忠さんの証言を聞く会を開き、裁判の支援も行ってきました。この証言を「侵略戦争 加害と被害の証言」の本にまとめ、ブックレットも刊行しました。
私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
 この撫順では平頂山事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。
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 この撫順では平頂山事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。
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北海道中国会の 懇親会に参加

 昨年12月1日、北海道中国会の2019年度総会が開かれ、その後の懇親会に、日中友好協会から、小川勝美理事長と影浦貞宏事務局長が参加しました。
 田義之代表の挨拶で始まり、中国領事館の孔多孜玉素甫副総領事の来賓挨拶などが行われ、財界さっぽろの舟本秀男社長の乾杯の音頭で懇談が行われました。
 余興では、北海道大学に留学している女子学生のダンススクール「華」のダンスパフォーマンスが披露され、陶恵栄運営委員長の役員紹介などが行われました。
 閉会挨拶を日本中国友好協会の小川勝美理事長が行いました。
 小川理事長は、中国会の皆さんが、仁木町の中国人殉難者全道慰霊祭に多数参加されていることに感謝し、来年が協会創立70周年であることを紹介しながら、みなさんとともに草の根の日中友好運動を一層すすめる決意を述べました。
                                中国人女子学生のダンスパフォーマンス
               小川勝美理事長が挨拶
             下は参加者全員で記念撮影