2020年2月3日月曜日

新年交流会 テーブルスピーチ

ルスピーチをいただきました。
 北海道合同法律事務所の佐藤哲之弁護士、たかさき渡部法律事務所の髙崎暢弁護士、菊池三郎先生、北海道華僑華人婦女会周玉蘭会長、晋南貿易の曲健三社長、北海道華僑華人連合会湖軍毅顧問、同富長林名誉会長、
北海道中国会の田義之代表、陶恵栄運営委員長、同中村記念病院の門間敏明さん、中国人
           北大法学部大学院に桑月桂さんのスピーチ
          
札幌支部中国語教室の熊征先生のスピーチ
 留学生李佳昕北日本地区会長など4人が参加、北大法学部大学院桑月桂さん、札幌支部中国語教室の熊征先生、東急ホテルの余秋辰さんなど中国人の参加者が多かったです。 
 小樽支部から9人参加、室蘭支部から松原剛さん夫妻が参加し、それぞれスピーチを行いました。
 
小樽支部の皆さん
 苫小牧支部、帯広支部、釧路支部は、体調不良などで参加がかないませんでした。
 札幌からは、旅システムの青木久美子が参加し、日中友好協会との共同企画で5月の南京への平和の旅や9月の天津への平和の旅などの案内も含めてスピーチしました。
  
旅システムの青木久美子のスピーチ
 札幌支部の中国語教室の熊征先生もスピーチを行いました。
 12月に札幌に来られた東急ホテルの与秋辰さんも初めて参加されスピーチを行いました。
 札幌支部の稲津拓郎理事、重本雅江理事もスピーチ、影浦貞宏事務局長は家族4人で参加し紹介しました。
 札幌関係の参加者の皆さんも全員スピーチを行いました。
   
北大法学部大学院吉田邦彦教授の挨拶と締めの乾杯の音頭 
 最後に、北海道大学法学部大学院の吉田邦彦教授が、中国人留学生の教え子の皆さんが大変優秀であり、中国に戻って大学の教授などになっていることなどを披露しながら締めの乾杯の挨拶・音頭を取られました。
 開会前に影浦事務局長と東急ホテルの余さんが会話をしました。
 余さん「最近中国からの団体客のキャンセルが相次いでいる。私は、通訳と案内を主な仕事にしていますが、この問題は早急に解決してほしいと思っています」と語っていました。影浦事務局長も同感ですと答えていました。
 開会前に参加者全員で集合写真を撮り、閉会前に全員にお配りしました。

日本中国友好協会創立70周年記念新年交流会を盛大に開催

日本中国友好協会創立70周年記念
   新年交流会を盛大に開催
 1月26日(日)12時からネストホテル札幌駅前において、日中友好協会創立70周年記念新年交流会を42人の参加で盛大に開催しました。
 オープニングで新芸能集団「乱拍子」が獅子舞を演じました。今年一年の健康・幸福を願って参加者の頭を獅子が噛んで回りました。おひねりも上がりました。
 鴫谷節夫道連会長が主催者を代表して、中国での新型肺炎を心配しながら年頭の挨拶を述べました。 
 中国総領事館を代表して孫振勇総領事の祝辞を兪昂(ゆこう)領事が代読されました。
 日本共産党札幌市議団の小形香織幹事長が、先の党大会のジエンダー平等などにに触れながら「日中友好の草の根の活動を深めていきましょう」と挨拶されました。
 田中貴文弁護士から、三菱マテリアル基金による美唄への記念碑建立について「今年は無理でも来年は是非実現させたい」と特別報告が行われました。
 勤医協札幌病院の細川誉至雄医師が、昨年、中国の青島での学会に参加したことを報告しながら乾杯の音頭を取られました。
 例年、太極拳を表演していた札幌支部の三木ふみよさんが体調不良のため、小樽支部の木嶋敏子さんが功夫扇を表演しました。
                       
                           新芸能集団 乱拍子の獅子舞
            獅子に頭を噛まれる余秋辰さん
       下は主催者を代表しての鴫谷節夫道連会長が年頭の挨拶
           中国総領事館を代表して兪昂領事の来賓挨拶
       下は、日本共産党札幌市議団小形香織幹事長の来賓挨拶
田中貴文弁護士の三菱マテリアル基金による
            記念碑を美唄に建立する事業の特別報告
            
  昨年、中国青島での外科学会に触れながら乾杯の音頭をとる
勤医協札幌病院の細川誉至雄先生

           小樽支部木嶋敏子さんの太極拳功夫扇の表演

2020年1月10日金曜日

記念碑建立予定地(美唄)の 現地視察も行う

歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)
   基金管理委員会を5月に東京で開催
  記念碑建立予定地(美唄)の現地視察も行う

1月15日、北京で第2回管理委員会が開催される予定です。
 第3回は東京で5月に開催を計画しています。
 東京での開催の折には、記念碑建立の現地視察も計画されています。
 2018年9月11日、日本中国友好協会北海道支部連合会の理事会を開催し、田中貴文弁護士にお越しいただいて、中国人強制連行の被害者や遺族と三菱マテリアルとの和解内容について改めて説明を受け、北海道における「記念碑」建立について検討いたしました。
 昨年2月19日開催された北海道連の理事会で、田中貴文弁護士の「記念碑」建立プランに基づき討議を行いました。

 3月27日、田中貴文弁護士が所属する札幌おおぞら法律事務所で、歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)記念碑」建立・追悼事業北海道実行委員会(第1回準備会)を開催しました。
 7月23日には第2回実行委員会を開催し、美唄市長への要請を行うことなど確認しました。
 9月3日、北海道実行委員会(準備会)は、美唄市の坂東知文市長に、「我路ファミリー公園」内に「記念碑」を設置したいと要請いたしました。
 坂東市長は「受け入れることに問題はないと思うが、関係団体と相談・話し合いをすすめ、早急に決めたい」と回答しました。
 11月20日に第3回実行委員会を開催してきています。
 3月31日には第4回北海道実行委員会(準備会)を開催する予定です。
             写真は美唄市長への要請

協会創立70周年に寄せて

協会創立70周年に寄せて        札幌支部理事 髙橋 忠明 

私は昨年5月に江別の家と土地を売って、「サ高住」といわれる高い ?老人ハウスに転居しました。狭い部屋なので、多くの本や雑誌もすっかり処分してしまいました。
 居間に在った2段の小さな本棚を持ってきましたが、その中に私が北大を退職した年の1993年1月5日の「日中友好新聞」道連版が出て来ました。トップには支笏湖畔にて太極拳の朝練風景と蘭島医院長の日中道連会長の秋保充さんの「年頭所感」と道連役員の連名挨拶が載っています。
 2頁には「新春インタビュー」として藤田昌弘さんが戸谷富之(日中道連名誉会長)さんと輪島隆治(日中道連参与)さんのお二人に聞いている記事があります。
 戸谷先生は北大触媒研究所長をつとめられ、小林英夫先生から城戸幡太郎先生の後の会長を引き受け、仁木町に建てた不再戦友好碑を守って中国人殉難者全道慰霊祭を行い、戦争体験集「再び戦わず」や「知っていますか中国人強制連行」等の本を出し、また、太極拳や中国語の講座を行ってきました。
 札幌の友好団体や労働組合は運動を通しての交流があり、夏の平和行動では40~50団体が実行委員会に加盟して統一行動を展開しました。
 輪島さんは当時の国鉄の機関士で、機労道本、後の「動労」の委員長で、北大経済学部の新川士郎教授に労働講座の講義を頼みに行った。新川教授は「労働運動についてはあなたから学ばなければならない」という返事でしたと語っています。
 ここで私のことを語ります。私は北大教職員組合の書記長を何度か受け持ったことがあり、日本国民救援会にも属していて、白鳥事件や芦別事件の全国現地調査で説明員をしていました。
 日中友好協会から声がかかったのは1991年のビデオ「侵略戦争」と元特務機関員だった永富博道氏の証言を聞く集いを行いました。また、強制連行で強制労働された李万忠さんの証言を聞く会を開き、裁判の支援も行ってきました。この証言を「侵略戦争 加害と被害の証言」の本にまとめ、ブックレットも刊行しました。
私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
 この撫順では平頂山事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。
私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
 この撫順では平頂山事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。
私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
 この撫順では平頂山事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。
私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
 この撫順では平頂山事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
 この撫順では平頂山事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。
 私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
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 この撫順では平頂山事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。
 私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
 この撫順では平頂山事件事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。


北海道中国会の 懇親会に参加

 昨年12月1日、北海道中国会の2019年度総会が開かれ、その後の懇親会に、日中友好協会から、小川勝美理事長と影浦貞宏事務局長が参加しました。
 田義之代表の挨拶で始まり、中国領事館の孔多孜玉素甫副総領事の来賓挨拶などが行われ、財界さっぽろの舟本秀男社長の乾杯の音頭で懇談が行われました。
 余興では、北海道大学に留学している女子学生のダンススクール「華」のダンスパフォーマンスが披露され、陶恵栄運営委員長の役員紹介などが行われました。
 閉会挨拶を日本中国友好協会の小川勝美理事長が行いました。
 小川理事長は、中国会の皆さんが、仁木町の中国人殉難者全道慰霊祭に多数参加されていることに感謝し、来年が協会創立70周年であることを紹介しながら、みなさんとともに草の根の日中友好運動を一層すすめる決意を述べました。
                                中国人女子学生のダンスパフォーマンス
               小川勝美理事長が挨拶
             下は参加者全員で記念撮影

2019年12月17日火曜日

北海道華僑華人連合会 焼肉交流会

 11月9日、北海道華僑華人連合会の2019年秋焼肉交流会が北海道ビール園で開催され、日中友好協会から小川勝美理事長と影浦貞宏事務局長が参加し、華僑華人連合会の皆さんや中国総領事館の孫振勇総領事夫妻と交流を深めました。
 王埼幹事長の司会で会が進行され、主催者を代表して烏日娜(オリナ・内モンゴル自治区出身)会長が挨拶されました。
 オリナさんは、「17年前から秋の交流会として焼肉パーティーを開催してきました。「当初は札幌サトランドで開催し、朝早くから準備しました。
しかし、雨天などの時は大変でした。そこで、アサヒビール園や札幌ビール園などで開催してきましたが、参加する人の交通の便を考えまして、都心の北海道ビール園での開催となりました」焼肉交流会の経緯を述べながら挨拶されました。
 来賓挨拶に立った、中国総領事館の孫振勇総領事は、「北海道華僑華人連合会の皆さんは、中日友好のために草の根で活動されていますことを高く評価します」などと祝辞を述べられました。
 乾杯を行い、楽しく焼肉パーティーが進められ、最後に、お楽しみ抽選会も行われ、全員に賞品が当たりました。
 終了後、バートル・オリナ夫妻が同じビルの4階に新しく開いた日本料理店「和縁亭」で二次会が行われ、小川、影浦の2氏も参加しました。
              挨拶されるオリナ会長
           下は来賓挨拶される孫振勇総領事

札幌支部理事会を全員参加で開催

11月20日、支部事務所で、 札幌支部理事会を全理事が出席し開催しました。
 この間の主な活動について小川勝美理事長が報告しました。
 第54回中国人殉難者全道慰霊祭に中国人留学生が最多い26人参加し、慰霊祭募金が80件、約28万円寄せられましたが慰霊祭事務局への協力金や貸し切りバス代などの支出が募金では賄いきれず支部財政から補填している状況などの報告されました。美唄への「記念碑」建立や太極拳サークル、中国語教室についても報告・討議、本部理事会から提案された、組織改革案についても話し合われました。
 今後の主な活動について討議しました。
 カレンダー36部の残数の普及を急ぐこと。年末募金の目標35万円をなしとげること。また、1月26日の新年交流会に多数参加し、在日中国人・留学生などと交流を深めることなどについて討議しました。
 23日に中国北京中央テレビが当別の劉連仁生還碑を取材に訪れるなどが報告されました。
 また、減少傾向が続く会員・準会員の拡大に力を入れて取り組むことなどが話し合われました。
 郵便料金の値上げが財政を圧迫、来年4月から振替通知書も1通100円かかり、無料のネットに変えることを討議し決めました。