2020年12月8日火曜日

 坂本先生 会いに行きます 。 沖縄県名護市 豊島 晃司

   帯広支部の坂本武三事務局長は,11月28日、ご逝去されました。

 坂本先生 会いに行きます

         沖縄県名護市 豊島 晃司

坂本先生 お疲れさま。

 あなたが支えてくれたから、私が沖縄で暮らし生きることが出来ました。有り難うございます。

 毎週火曜日の東村高江当番、日が昇る前に家を出て、夜7時頃帰る活動は、4年9か月になりました。

 あと3年は高江に通います(当面)。

 木曜日のキャンプシュワブゲート前は、ヘリ基地反対協が担当です。私は午前中だけ(赤旗配達があるため)参加していましたが、先月19日からフルタイムで参加しています。

 昼休みの段取りとか初めてぶつかることばかりですが、メモを取りながら進めています。

ゲート前・皆さんの前で歌うにはまだまだです。

 「沖縄を返せ」だけは心を込めて歌えるようになったかな。努力します。

 坂本先生と一緒に室蘭の慰霊の集いに行ったこと、七三一部隊展等の活動を共に出来たことに感謝。

 年があらたまり日程の調整が出来次第、帯広・十勝にもどります。

 帯広駅前のふじもり食堂に顔をだします。ゆっくり語り合いましょう。

 坂本先生にお会いできることを楽しみに沖縄で生きます。

来年、美唄に記念碑を建立   10月10日に除幕式を予定

 来年、美唄に記念碑を建立

  10月10日に除幕式を予定

歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会は、3月31日第4回、6月2日第5回、6月30日第6回、8月27日第7回を開催しました。

 6月14日には、記念碑建立予定地の美唄市我路ファミリー公園の現地視察を実行委員会と日中友好協会美唄支部が行いました。

 8月3日には、美唄市を訪問し、記念碑の設置場所などについて要請を行いました。

 来年10月10日には、除幕式を予定しています。

 中国からの遺族関係者などを招待し、除幕式と追悼事業を行う計画です。

 道内の各界の皆さんに幅広く参加を呼びかけ成功させましょう。


第43回紀元節復活反対 2・11道民集会を開催 

 今年1年を振り返って

第43回紀元節復活反対

 2・11道民集会を開催 

2月11日ホテルライフフォート札幌に於いて、紀元節復活反対道民集会が開催され、日中友好協会の会員・準会員多数が参加しました。

 武蔵大学社会学部教授の永田浩三氏が講演しました。

 劉連仁さんゆかりの沼田町と当別町を 巡る旅も中止

  劉連仁さんゆかりの沼田町と当別町を巡る旅も中止

  Gо Tо トラベルを活用し、旅システムと共催で、劉連仁さんが強制連行された沼田町の昭和炭鉱跡と当別の生還記念碑などを巡る旅を、12月12・13日に計画し、参加者の募集も行いましたが、コロナの感染拡大で札幌から出るのも自粛要請がなされ、中止しました。

日本中国友好協会 第69回大会は オンラインで開催

 

日本中国友好協会第69回大会はオンラインで開催

6月に浅草の台東区民会館で計画されていた大会は、10月25日、オンラインで開催しました。 

 北海道から5人が参加しました。


室蘭の中国人殉難者慰霊の集い

 今年1年を振り返って

室蘭の中国人殉難者慰霊の集い

 10月9日、室蘭のイタンキ浜の中国人殉難烈士慰霊碑前で、第28回10・9中国人殉難者慰霊の集いは好天い恵まれ、48人の参加で開催されました。

 例年、慰霊の集い終了後開催されていた交流会は、新型コロナの感染防止のため中止をしました。


中国人殉難者全道 慰霊祭は9月に開催

 今年1年を振り返って

 中国人殉難者全道慰霊祭は9月に開催

 6月に開催を予定していた第55回中国人殉難者全道慰霊祭を9月に延期して開催しました。

 「3蜜」を避けるため、規模を縮小して開催しましたが、88人の参加で厳粛に行われました。

 中国人留学生は、北大から6人,室工大から9人の15人が参加し、在日華僑華人の皆さんも多数参加しました。



今年1年を振り返って

 2020年の日中友好協会の新年交流会は、1月26日ネストホテル札幌駅前で、創立70周年を記念し42人の参加で、盛大に開催することが出来ました。

 当日会場の吉田邦彦北大教授から中国武漢市の教え子である李雯静さんの消息がつかめないとの話を伺い、直後に、北大の中国人留学生の学友会から「武漢支援募金」の呼びかけがあり、吉田先生からは武漢の李雯静さん支援の募金協力要請がありました。 札幌支部だけでなく全道の各支部で「武漢支援募金活動」が取り組まれました。

 この募金活動に取り組んでいたころから北海道での「新型コロナ」の感染が広がりました。

 今年は、中国人殉難者慰霊観音像を天津市の烈士陵園に奉納から10年目であり、天津訪問ツアーを計画していましたが、コロナ禍で中止をしました。

 太極拳サークルの活動や中国語教室も休まざるを得ませんでした。

 日中友好協会の道連総会や札幌支部の総会も中止に追い込まれました。


2020年10月30日金曜日

日本中国友好協会  第69回大会をオンラインで開催  北海道から5人が参加

 日本中国友好協会第69回大会をオンラインで開催         北海道から5人が参加

  10月25日(日)10時から17時までオンラインで69回大会を開催し、北海道から苫小牧支部の蔦保収代議員と伊藤貞市評議員、釧路支部から原聰代議員、札幌支部から影浦貞宏評議員、小川勝美本部役員の5人が参加しました。

 大会は井上久士会長のあいさつで始まり、渡辺武副会長がの物故者紹介が行われ、札幌支部の高橋忠明さん、苫小牧支部の及川信廣さんの名前が読み上げられ、全員で黙祷を捧げました。

 小川勝美常任理事は、資格審査委員長に選任され、報告は本部事務局の酒井達夫常任理事が行いました。

 中国大使館からのメッセージなどの紹介に続いて、田中理事長から大会議案の提案や矢崎事務局長からの財政関係の提案が行われ、約50分の昼食休憩の後、13時から代議員や評議員の発言・討論が行われました。 

  北海道からは、苫小牧支部の伊藤貞市評議員が支部の平和活動を民主団体の皆さんと行っていることなどについて発言し、蔦保収代議員は、苫小牧支部の月1回発行している機関紙の活動について発言しました。

 諸議案のすべてが可決され、新役員を選出し、大会宣言を採択して、17時少し前にオンライン大会は成功裡に終了しました。

 

   苫小牧支部  蔦保収さんの感想

 初めての全国大会参加でした。オンラインで、直接全国の仲間と触れ合うことはできませんでしたが、頑張っている方々の顔と話にふれ、良い時間を過ごせました。伊藤支部長と一緒に発言させてもらいましたが、討議のまとめで、矢崎事務局長から良い評価をいただき、励まされました。オンライン会議も良い方法の一つと再認識しました。


 戦後補償問題と民法学  吉田邦彦(北海道大学大学院法学研究科教授・南京師範大学兼職教授)

  戦後補償問題と民法学

    吉田邦彦(北海道大学大学院法学研究科教授・南京師範大学兼職教授)


  1、日中友好協会70周年、戦後同協会が一貫して取り組んだのは『戦後補償問題』であった。仁木での全道慰霊祭は、コロナ渦中でも今年も行われたのであるが、私はそれに出席しながら、この数十年間の協会関係者の草の根の営みは尊いが、改めて「中国強制連行・労働の犠牲者の思いは充分報われたのか?」との問いを発しながら思いを巡らせていた。夕張の傍の北炭角田鉱での地獄のような経験をされた故鳳儀萍先生(広州大学医学部教授)は泌尿器科の権威であられて、同大学病院も訪問した。先生は、生前何度もこの慰霊祭に参加されたけれども、亡くなる前に何度も「北海道に行き、もう一度申し上げたいことがある」とのメールをよこされた。一体それは何だったのか。強制連行問題と言えば、もう十年余り前に、花岡事件のリーダーの耿諄さんの中国河南省の自宅を章程君(浙江大学副教授。当時北大院生)とともに訪ねて(当時弁護団とも没交渉状態だった)、その思いのたけを伺い、達筆の書を戴いたのも一生忘れられないことである。

  2、私は今、平和都市広島でこの文章を書いている。広島安野の西松建設の悲劇に関する最高裁のリーディングケースが下され(最判平成19(2007)4月27日)(一般的には敗訴判決などと言われたりするが、戦後補償の道義責任の重さに鑑みると、そこで『付言』で同責任に触れられ、企業との交渉・和解の必要性が説かれた意義は小さくないだろう)、それに基づき、和解が(そして和解の碑が)築かれてからの10周年行事が行われたのである(2020年10月17・18日)。この二つの行事に参加して思うのは、第1に、こうした《過去の不正義に対する償いの営み》は、人権・人道問題で普遍的課題であり、党派的な問題にしてはならないこと、第2に、補償問題で議論をリードすべきは、法律家であり、格好の法学教育のフィールドワークであるのに、❘❘当該事件の関係者の弁護士は別として❘❘どうしても法律関係者はもっと参加しないのか、ということである。我が国の歪みである。

 3、戦後補償問題は、民法学の問題の宝庫でかつ社会的に重要案件との思いから、その勉強をするようになり、20年余り経つが(勉強を始めた頃は、劉連仁第1審判決(損害賠償認容判決)が社会の耳目を集めた頃だった)、日中友好協会の長年の取り組みをされる小樽の鴫谷先生などに比べれば、まだ青二才であろう。

   ただ、専門との関係で、何故この問題が民法の根幹に関わるのかを、本問題で提起される問いを列挙することで示してみよう。①「西松建設のような大企業ならともかく、港湾の中小企業(例えば、酒田の事例)や企業倒産(例えば、北炭の場合)、強制連行・労働政策を推進した国の責任を問うことは不可欠である」「その場合に、《国家無答責》を説くことで良いのか」(当時は、国家賠償法(国の不法行為責任)もなかったからとの理屈。しかし、安全配慮義務違反(国の契約責任)という論法もある)、②「不法行為責任は、除斥期間(20年)(今般の改正で時効とされた。改正前から時効説が多数)ゆえに、なくなるとしてよいか」(それを伸ばす事例もあるし、我が国の時効援用制度を作ったボワソナードは、それは《良心規定》と言い、胸に手を当てて疼しい人は援用してはならないと説いた)、③「上記判例は、個人的請求権は日中共同声明で消滅した」と説いたが、「行政は、シベリア抑留事例などで、日本人に関して個人請求権は残るという(柳井条約局長ほか)。矛盾ではないか。」「大体免責を当事者の頭越しに行うのは公序に反して無効ではないか(民法の鉄則)」、④、「道義的責任は残ると説き、交渉を勧める西松最高裁の論理は、その意味で『自然債務』という法的責任を認めることであり(従来の法と道徳の峻別はおかしくないか)、その論理は国との関係でも妥当しないか」、⑤、「戦後補償の究極目標は、関係修復であり、その際には、道義的責任は不可欠である。誠実な謝罪がまず説かれるのは、それを示す。」「民法が金銭賠償主義を採るのは、補償プロセスの核心を歪める面もあり、従来の法律家は金銭賠償中心主義に囚われ、被害者の思いを閑却していないか」(その点は、2015年の慰安婦合意へのハルモニの反発にも示される)等など、わからないことだらけ、未解決問題だらけなのである。

 4 ちょっと法律用語もあり難しいかも知れないが、慰霊祭に集う皆様は、いずれも平素から疑問に思われることばかりだろうと思う。そしてこの問題の前向きの解決なくしては人権問題に向き合う国として、我が国が真の国際社会の範となり、そして東アジアの隣国の真の関係修復は難しい。日中友好協会関係諸氏には、釈迦に説法であり、この駄文は屋上屋を架するものだろうが、敢えて専門との関係を述べてみた次第である。こうした法律学の根幹問題により多くの法学徒が関心を示し、日中友好の営みが今後とも益々充実していくことを願ってやまない。                           

                                                              (2020年10月19日早朝) 

2020年10月5日月曜日

 第13回「劉連仁生還記念碑を伝える会」総会を開催

  第13回「劉連仁生還記念碑を伝える会」総会を開催


8月23日(日)午後2時から当別町若葉会館に於いて、第13回「劉連仁生還記念碑を伝える会」総会が開催されました。日中友好協会から影浦貞宏事務局長夫妻が参加しました。

 総会の議案は、①2019年度の活動報告並びに収支決算報告②会則の改定③2020年度の活動計画および収支予算案④役員改選でした。

 総会は大嶽秋夫事務局長の司会で進められ、初めに大澤勉伝える会会長が挨拶されました。会長は「コロナ禍の中で総会をなかなか開くことできず、8月にまでずれ込んでしまった。総会を開かないことには前に進むことができないので、3蜜を避ける形で実施することにしました。しかしこの間活動を停止していたわけでありません。その活動内容については大嶽事務局長の方から後ほど報告があると思います。コロナ禍の中、そして大変暑い中ご出席頂き有り難う御座いました」と挨拶されました。

 次いで、影浦貞宏 事務局長来賓挨拶で「劉さんが逆転敗訴になったことに触れ、逃走当時中国には国家賠償法という法律がなくて、あったのは国家無答責という法律でした。日本人が中国の公務員に被害を受けても中国はその責任を負わないというものでした。逆に日本人が犯した罪に対して日本国は責任を負わないというものでした。戦後平和憲法が制定され戦前の法律が否定されたにも関わらず、当時の法律を盾に請求を棄却したという判断は、時代錯誤も甚だしい」と述べ。次いで「劉連仁さんが強制連行された同じ年、小野田寛郎(ひろお)陸軍少尉がフィリピンのルバング島に出兵。彼が帰国した際は日本は専用特別機を出し、政府も報道も英雄扱いであったこと。彼の回顧録『わがルパング島の30年史』(津田信著)に帰国までに殺害や強奪を繰り返して生き抜いたと記載されているにも関わらず、劉さんの処遇とは天と地ほどの扱いがありました」と述べました。

  【20件ほどの取り組みの中で】

 次いでこの1年間の活動を大嶽事務局長が報告。その中で8月に北海道PHP友の会のメンバー24人が、記念碑を訪れたと報告。PHPとは戦後松下産業の松下幸之助氏が提唱した、「平和・幸福・繁栄」を目指す団体として創設。こうした人たちに少しでも多く来て頂き、理解して頂くというのは大変良いことだと思います。また、2月、劉さんが雪籠りされた現場を8人の方たちで訪れたとの報告がありました。

 【劉連仁生還記念碑そばにBОⅩ設置】

 8月13日、目黒敏弘さん手作りによる「劉連仁生還記念碑来訪者BОⅩ」を、碑の近くに設置したとの報告がありました。中には活動の略史と署名(感想文も記入)を入れた、大変丈夫なものとのことでした。

【新年度の役員の改選が行われ、役員改定案が了承されました】

 会長の大澤勉氏が顧問になられ、新会長に目黒敏弘氏が就任されました。

第28回 10・9中国人殉難者慰霊の集い

  第28回  10・9中国人殉難者慰霊の集い

 10月9日、室蘭市の中国人殉難烈士慰霊碑前で、第28回10・9中国人殉難烈士慰霊の集いが開催されました。

 小樽、札幌、岩見沢と地元室蘭から48人が参列し献花を行いました。室蘭工業大学の中国人留学生が14人参列しました。

 集いは、全員で中国人犠牲者の御霊に黙祷を捧げ、松原剛実行委員会代表の挨拶の後、全員で順次献花をしました。

 中華人民共和国駐札幌総領事館の追悼の言葉を代読。 中国人殉難者全道慰霊祭の鴫谷節夫事務局長(道連会長)が27日の慰霊祭に室蘭から多数参加されたことに感謝しながら挨拶。撫順の奇蹟を受け継ぐ会の挨拶の後室蘭市長などのメッセージを紹介し、室蘭合唱団「あすなろ」の追悼合唱で集いは終了しました。 

 心配された降雨は無く、例年の交流会は、新型コロナ感染防止で中止しました。

第55回中国人殉難者全道慰霊祭 仁木町民センターで厳粛に開催

  第55回中国人殉難者全道慰霊祭

 仁木町民センターで厳粛に開催

 9月27日(日)、第55回中国人殉難者全道慰霊祭を仁木町町民センターで厳粛に開催し、88人が参列しました。

 中国人留学生は、北海道大学から6人、室蘭工業大学から9人が参列しました。

 慰霊祭は、浄土真宗大谷派北海道教区北三組の教照寺、正念寺、浄秀寺、宝海寺、宝泉寺の5か寺の5人の住職によって執り行われました。読経に続いて、北三組 組長 教照寺住職 釈大観 様が「表白」(別掲)を述べました。

 続いて読経の中、参列者が順次焼香を行いました。

 仁木町の佐藤聖一郎町長が慰霊のことばを述べ、中華人民共和国駐札幌総領事館の孫振勇総領事の追悼のことばを事務局の鴫谷節夫道連会長が代読しました。

 世話人代表の小樽商科大学の穴沢眞学長が参列者に御礼と感謝のことばを述べられました。

 在日華僑を代表して、北海道在日科学技術者連盟の呉敦顧問が挨拶をされました。

 特別報告として、田中貴文弁護士が、三菱マテリアル基金の記念碑建立について報告し、美唄市の我路ファミリー公園に記念碑を建立し、来年の10月10日に除幕式を行う予定であります、皆さんも参列をお願いします、と述べられました。

 慰霊祭終了後、北大や室蘭工大の中国人留学生、在日華僑・華人の皆さんなどが、次々と仁木町墓地の中国烈士園の「日中不再戦友好碑」を訪れ、参拝をし記念写真などを撮っていました。友好碑には花やお酒などが手向けられていました。


   表  白

 敬って大恩教主釈迦如来 極楽能化弥陀善逝 十方三世一切の三宝に白して言さく

 本日ここに有縁参集の人々と共に 恭しく尊前を荘厳し 懇ろに聖教を拝読して 第五十五回中国人殉難者全道慰霊祭に於いて全殉難者津島法要を勤修し奉る

 それ殉難者追悼法要は 故人の慰霊鎮魂にとどまらず 永く強制連行犠牲者の歴史を心に刻み 再び民族の横暴 国家の侵犯を許さぬ決意を新たにする法要なり 

 顧みれば 総そ国家の侵犯は あい憎める国の闘争にあらず あい怨める人の支配にあらず 人間の貪瞋愚痴 真実昏きにより起こるものなり しかれども ひとたび起こらば 人は鬼となり 狂気はあらゆる生存を奪い尽くさんとす 自害害彼 彼此倶害の教え いたく身に沁み 如来の遺教慕う思い 甚だ切なり

 慰霊祭起こりて五十有余年 今にその傷痕に苦しむ人少なからずと雖も かえって中国人強制労働の悲惨を知らざる者 その数を加う 今や長く その殉難の歴史を記憶に留め 謹んで迷界の愚昧を恥じて とこしなえ兵戈用いらざることを誓いつつ 仏恩法尽のつとめに勤しまんことを

 時に令和二年九月二十七日  真宗大谷派北海道教区北三  組 組長 教照寺住職 釈大観

 敬って申す


2020年9月4日金曜日

 コロナ禍の中、イトムカで第7回追悼式 「慰霊碑を建てる会」代表 木村玲子

        コロナ禍の中、イトムカで第7回追悼式

         「慰霊碑を建てる会」代表 木村玲子

 2014年から毎夏続けてきた、旧イトムカ水銀鉱山で犠牲になった方々の追悼式。

 今年は新型コロナの影響で、春は、道内の往来も自粛と言われ、実施は困難かと思われた。が、6月下旬、往来も解除となり、もとより戸外の林の中での行事なので(1部室内の懇談もあるが)、ぎりぎりになって実施することを会員の皆さんに通知し、7月30日第7回の追悼式を実施した。

 他のイベントが中止なのでと、例年より多い17名が道内の各地=北広島、札幌、留萌、旭川、矢臼別、北見、留辺蘂から11台の車で、北見市留辺蘂町冨士見の野村興産イトムカ鉱業所前に建つ「イトムカ鉱山発祥の地」碑前に集合した。

 当時の水銀ため池跡地の傍らに立つ「水神」碑は本来慰霊碑ではないが、そこまでは更に4キロ程下った国道脇の林の中に分け入ってゆく。長靴に履き替え、虫よけスプレーをかけ、クマよけの爆竹を鳴らして少し歩き磐の上に建つ「水神}碑前にたどり着く。

 足場の悪いところだが碑の前に花とお供え物を手向け、線香を焚き、留辺蘂大雄寺住職の読経で、この地で尊い命を落とされた犠牲者の冥福を祈った。その中には、未だ遺骨が遺族の下に還れず、西本願寺札幌別院に眠っているものもある。

 その後場所を「つるつる温泉」に移して懇談会とし「慰霊碑を建てる会」の現状と課題を話し合った。       

 戦後75年、未解決の歴史を風化させてはならないの思いを込め、慰霊碑建立は意義あるものと思っている。

日中友好協会創立70周年によせて   寺本千名夫  (北海道高等教育研究所理事・ 元専修大学北海道短期大学学長 )

 日中友好協会創立70周年によせて

                 寺本千名夫

            (北海道高等教育研究所理事・ 元専修大学北海道短期大学学長 )


  日中友好協会創立70周年おめでとうございます。しかし、気持ちは少し重いです。先日、先輩に「最近、会員であることが辛い」と言われたことが原因です。先輩曰く「核戦略、南シナ海、尖閣諸島での行動、香港への対応等、最近の中国政府が進めている諸政策に、違和感がある」と。こんな時、友好運動はどうあるべきか悩みます。性急な反発・批判は事態を悪化させるだけ。相手の政策背景を充分分析した上で、こちらの見解も伝えるというかなり高度な対応が必要です。日本の問題を取り扱う場合でも同様だと思います。

 その意味で『日中友好新聞』(7月25日付)掲載の武内秀尚「尖閣を考える」は明解でした。一方には中国海警局公船の領海侵犯を利用し、南西諸島の軍事要塞化を企図する勢力(政府・自・公石垣市政の地名変更【尖閣使用】、市有地の自衛隊駐屯地への売却)。他方には、自衛隊ミサイル基地配備を問う「住民投票」の実施を求める著名(有権者の4割余)を持ち、「平和的交渉」で解決を目標とする市民団体・民主勢力・野党の存在。

 中国でも似た構造があります。私は中国で一緒に研究を励んだ皆さん、留学生の件で交流した教員の皆さんから、先輩が嘆くような政策に関する議論を聞いたことがありません。政府の政策と一般市民の意識にはかなりずれも存在します。その点の解明が重要です。 故に日中友好協会は、政府機関が関わる友好交流だけでなく、平和五原則に基づき奮闘中の市民の友好交流活動に今後も積極的に取り組む必要があります。協会はもっと厳しい状況を乗り越えてきた歴史を持ちます。先輩にも粘り強く活動を訴えようと思います。

 室蘭市での 第28回10・9中国人殉難烈士慰霊の集い   

         室蘭市での

         第28回10・9中国人殉難烈士慰霊の集い


   時 10月4日(日)13:00~

   所 室蘭市イタンキ浜

  中国人殉難烈士慰霊碑前

 


  


 美唄市への記念碑建立 第7回実行委員会を 開く

        美唄市への記念碑建立第7回実行委員会を開く

8月27日、美唄市への記念碑建立実行委員会が開かれ、協会から鴫谷節夫会長、小川勝美理事長が参加しました。

 田中貴文弁護士から、8月3日美唄市に設置場所や銘板設置などのついて要請したあと、8月11日、美唄市と彫刻家安田侃氏が協議し設置場所も要請した場所で確認されました。

 17日に安田氏と契約締結を予定し面談した。

 安田侃氏からイタリアの「安田工房」で働くイタリアの職人から香港問題やコロナ問題などで「中国関連に首を突っ込むとネットで叩かれる。安田侃に傷が付き今後の制作活動に支障が出る」などと強く反対された。記念碑制作からは降りると述べられた。田中弁護士が、加害者である三菱が拠出した基金で、民間の友好事業であると説得したが、結論は変わらず。

 田中弁護士からの報告を受け、実行委員会で協議し、1、彫刻による記念碑は取りやめる。2、美唄市の石材業者による記念碑建立とすることが確認されました。 そのため、田中弁護士が、改めて美唄市を訪問し、経過報告とともに記念碑建立について美唄市に協力を要請・協議することとしました。


第55回中国人殉難者全道慰霊祭

      第55回中国人殉難者全道慰霊祭

 9月27日(日)午後1時30分から仁木町町民センターで開催

規模を縮小し、貸し切りバスは出しません。 各自参加

 慰霊祭は募金で賄われています。募金をよろしくお願いします。


6月に予定していた第55回中国人殉難者全道慰霊祭を9月27日に規模を縮小して開催します。したがって貸し切りバスは出しません。各自自家用車やJRなどで参加をお願いします。参加する方は事前に事務所に連絡をお願いします。

 中国人殉難者全道慰霊祭は今年で55回目です。一度も欠かすことなく開催してきました。今年は節目の年の開催に当たります。

 参加者の規模を縮小しても慰霊祭そのものは、5か寺の5人の住職の読経などは例年と同じです。

 この慰霊祭は、除幕式と第1回の開催以来日中友好協会の会員・準会員、太極拳サークルの皆さんや中国語教室の皆さん、そして民主団体からの募金で賄われてきています。

 新型コロナウイルス感染症予防のため規模を縮小しますが、例年と同じように募金にご協力をお願いします。

 午後1時30分開催ですが、5人の住職の入場前の1時20分には着席をお願いします。

 各自参加ですが、自家用車に分乗できる場合もあります。

 事前に事務所に連絡をお願いします。

 電話(FAⅩ兼用)011の814の8658までお願いします。


2020年8月7日金曜日

「戦争責任」、「戦後責任」  そして「未来責任」を果たすには  ~事実から学ぶ「勇気」と「謙虚さ」を~ 大﨑功雄           

 「戦争責任」、「戦後責任」

 そして「未来責任」を果たすには

 ~事実から学ぶ「勇気」と「謙虚さ」を~

                    大﨑功雄

                     (北海道教育大学名誉教授)


  日中友好協会創立70周年おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。一口に70年と言っても、幾多の困難を乗り越えて今に至っていると思います。

 筆者が貴協会に直接関わるようになったのは中国からの留学生を指導するようになってからですが、そのきっかけは帰国した留学生の結婚式に出席するために訪中する機会を得たことにあります。仕事柄ドイツなど欧米に行く機会は度々ありましたが、中国訪問は初めてでした。筆者は戦前日本の「加害責任」を自覚し、その事実を十分知ること無しには訪中できないと考えていましたから、訪問先(重慶市)について調べました。世界三大空爆の一つ「重慶大爆撃」について詳しく知るため、その維持会員である東京大空襲・戦災資料センターの協力を得ました。そして貴協会の門を叩いた次第です。

 重慶で最初に行ったのは、三峡博物館の「空爆資料展」見学と旧日本軍による空爆跡地をお参りし犠牲者に手を合わせることでした。その後、件の留学生が勤務する大学の日本語学科の学生さんたちと親しく話す機会を得ましたが、筆者が空爆跡地をお参りしたことを話すと彼らは異口同音に「感心した」、「あなたのような日本人に初めて会った」と話しかけてくれました。そして大学構内を丁寧に案内してくれ、是非日本に行きたいと抱負を語ってくれました。このことを通じて筆者は改めて過去に真摯に向き合い、史実を徹底的に解明することの大切さを実感しました。”南京大虐殺などなかった“”三光作戦などなかった”という言説が流布されていますからなおさらです。

 「戦争責任」をどう考えるか、筆者は直接戦争に関わった世代の「戦争責任」と戦後世代の「戦争責任」そして未来世代に対して平和な社会を残していく「未来責任」を区別しながら、そのいずれにも真摯に向き合わなければならないと考えています。そのためには、史実を掘り起こし学んでいく「勇気」と「謙虚さ」が格別に重要だと考えています。終戦記念日を迎え、改めてその意を強くしているところです。

 貴協会の果たす役割は今後ますます大きくなると考えます。どうぞ、これから80周年さらに100周年に向けて大きく発展されますよう祈念いたします。

 記念碑の設置場所などについて 美唄市に要請

  記念碑の設置場所などについて

     美唄市に要請


 8月3日、歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)の美唄市我路ファミリー公園の設置場所などについて、美唄市市長会議室で、都市整備部米澤勝部長等に記念碑建立実行員会から申し入れを行いました。

 実行委員会からは、田中貴文弁護士、藤本明弁護士、日中友好協会から小川勝美道連理事長、美唄支部から山本清作支部長、供野周夫事務局長、寺本千名夫会員(元専修大学北海道短期大学学長)、道日中、フォーラム、の8人が参加しました。

 実行委員からの申し入れ内容を田中弁護士が説明しました。

 それは、1、被害者1637人の氏名を記載した名盤を設置することについて、

 被害者の氏名を確認したいという被害者遺族の心情に応える。記念碑建立を予定している尾去澤、福岡、長崎、宮崎では、被害者の氏名を刻印した銘板を設置する。北海道についても、同様にして欲しいとの各地からの要請がある。「被害者」は美唄だけでなく、夕張、雄別(釧路)に及んでいるので、美唄市の了解が必要と考えている。

 美唄市は「北海道全体の三菱関連の記念碑を美唄一か所にまとめて設置するという趣旨は了解しているので、特に問題はない」と回答しました。

  意見交換の中で、銘板を設置するとしても「記念碑」のイメージを損なわないような形態にする必要がある。石林が林立するようなイメージは避ける。石碑に刻印するのではなく、プレート印刷というやり方もある。

 2、記念碑の設置場所については、出席者全員がそれぞれ意見を述べました。

 橋を渡った先の記念碑2基が設置してある場所については、昭和4(1929)年に三菱が建立した「弔魂碑」が設置されている。「英霊」(日本人の戦死者)を弔う趣旨であるが、これと、中国の戦争被害者の記念碑を同じ場所に設置することは、中国人遺族の感情を害するだけでなく、我々日本人の歴史認識が問われる。

 すべり台が設置してある場所

 「炭山の碑」と一体となって、炭鉱における被害の様々な実相を伝える象徴的空間として位置づけることになる。「すべり台」の土塁に「銘板」を埋め込むデザインが可能になる。国道から見える場所がいい。

 美唄市は、「本日いただいた意見も踏まえ、安田侃氏と、具体的設置個所について協議を進める」と回答しました。

 今後の進め方としては、設置場所について、安田侃氏と美唄市で話し合ってもらいます。

2020年7月7日火曜日

日中友好協会創立70周年に寄せて 本庄 十喜

  日中友好協会創立70周年に寄せて
           本庄 十喜
        北海道教育大学准教授

 この度は貴会創立70周年まことにおめでとうございます。

 私は大学生の頃より複数の市民運動に参加して参りましたが、貴会の意義深い取り組みには実に多くのことを学ばせて頂いております。とりわけ1950年代初頭という創立直後から全国で行われてきた中国人強制連行犠牲者の遺骨収集と返還、強制連行関係資料の発掘・整理、そして犠牲者の慰霊碑建立・追悼行事を通じての歴史継承活動等は、特筆すべき稀有な活動だといえるのではないでしょうか。

 2014年の来道以来、私は札幌支部の皆さんのご高配で仁木町の全道慰霊祭や室蘭のイタンキ浜で執り行わる慰霊祭に参加する機会に恵まれました。ともに参加した当時のゼミ生だった中国人留学生は、初めて知る貴会の活動に深い感銘を受け、それらの一部を修士論文としてまとめるとともに、「日中の平和の架け橋となりたい」と意気込んでおりました。私自身、来道以前は、道内に6つもの中国人慰霊碑(『強制連行中国人殉難労働者慰霊碑資料集』2016年より)があることも、それらを守り継承する地道な取り組みが貴会関係者のみなさんのご尽力によりなされていることも恥ずかしながら知らず、遅ればせながら、学生とともにようやく学ばせて頂いております。
 日中の真の友好は、日本政府が「過去の克服」を果たさぬ限り難しいことですが、貴会の70年に渡って取り組まれてきた、草の根の「真理の追究」こそが、両国間の真の友好の道しるべだといえるでしょう。

 末筆ながら、貴会のますますのご発展を心よりお祈りいたします。


     

太極拳サークル 7月3日、再開

 太極拳サークル
 7月3日、再開
 札幌支部の太極拳サークルは、新型コロナの感染予防でかでる2・7が休みのため、3・4・5・6月と4か月間休まざるを得ませんでした。
 かでる2・7は7月から使用できることになりましたが、会館側から、「14人以内の使用」と条件が付けられています。
 そのため、3日からサークル活動を再開しましたが、3日は二十四式と八十八式の10人に指導員3人の利用です。
 11日は、四十八式の7人と指導員3人の利用、17日は、四十二式が利用します。24日は連休のため休みます。
   中国語教室は
    11日から再開
 中国語教室も3月から休んでいましたが、11日再会します。
 ホワイトボード前の先生の机の前に両側にポールを立てて、上側に横のポールを付け、ここに透明のビニールシートを張りました。
 また、3人掛けのテーブルを間隔をあけて並べ、テーブルに1人が利用するようにして、1列目は左端に、2列目は右端を利用するなどの間隔をあけました。

記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会第6回準備会を開催

    歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)
     記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会第6回準備会を開催

 美唄の現地視察を終えて、6月30日、札幌おおぞら法律事務所で第6回目の会議が開かれました。
 1、田中弁護士から、長崎の碑の建立、工事業者との契約締結も終え、12月8日に除幕式を行うとの報告がなされました。
 2、14日の現地視察の報告がなされました。
 資料として、6月28日付けで日中友好協会美唄支部支部長山本清作名で、6月22日の支部会議を開催し、記念碑の設置場所としては、「安田侃さんが設置したいとする『すべり台』のある土塁の上」が妥当である、との結論になりました。その理由書が添えられています。文章は寺本千名夫さんがまとめています。
 田中弁護士から美唄支部の設置場所についての報告が行われました。
 議事に入って(1)設置場所について討議が行われました。「炭山の碑」が設置されているスペースが良い。設置場所について、美唄市への申し入れ・意見交換を7月21日に行うことが決まりました。
 (2)碑文についても検討が行われました。
 次回は、この申し入れ後の30日に行います。

美唄市の我路ファミリー公園の現地視察

   歴史・人権・平和基金
  (三菱マテリアル基金)の碑建立予定地
   美唄市の我路ファミリー公園の現地視察

記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会は、6月14日、美唄市の我路ファミリー公園の現地視察を行いました。
 協会からは、鴫谷節夫道連会長、山本清作美唄支部長、供野周夫事務局長、会員の寺本千名夫(元専修大学北海道短期大学学長)さんが参加しました。
 中国人強制連行・強制労働事件北海道弁護団からは、田中貴文、藤本 明、高崎暢、小坂祥司、猪野亨の5弁護士が参加しました。ほかに社団日中とフォーラムから1人ずつが参加。
 現地では、ア、川向こうの「慰霊ゾーン」、イ、「炭山の碑」が設置されているスペースを参加者みんなでまわり調査しました。

日中不再戦友好碑の草取り清掃

日中不再戦友好碑の草取り清掃

 6月22日、仁木町の中国烈士園で、日中不再戦友好碑のまわりの草取り清掃作業を行いました。この奉仕活動には、余市太極拳の会から9人の女性が参加してくださいました。
 協会からは、鴫谷節夫道連会長と地元仁木町にお住まいの斉藤圭二さんの合計11人で、10時から11時半の作業で大変きれいになりました。

2020年6月8日月曜日

イトムカに強制連行/強制労働犠牲者の慰霊碑を!

イトムカに強制連行・
  強制労働犠牲者の慰霊碑を!
            木村 玲子

 イトムカを知っていますか?
 戦時中、一時は「東洋一の水銀鉱山」とまで言われたこともあるのですが、1973年閉山になり、今は後を継いだ水銀などのリサイクル工場だけが、石北峠の東麓(北見市留辺蘂町)に稼働しています。
 水銀は鉄砲の起爆剤や、船の艦艇塗料に使用されたことから、戦時中は軍需産業として位置づけられ、従業員が3千から5千人もいたといわれています。
 その中には強制連行されてきた中国人や朝鮮人も多く、過酷な労働から少なくない犠牲者が出ました。特に中国人については正式導入第一陣という象徴的なところです。
 70年代から「オホーツク民衆史講座」によってその実態が大分明らかになりましたが、慰霊碑が建てられることもなく今日に至っています。
 私はかってイトムカに住み、ほとんど忘却の彼方に追いやられようとしている今になって、慰霊碑が建てられないものかと、3年余り前「イトムカにおける朝鮮人・中国人強制連行犠牲者の慰霊碑を建てる会」(略称「慰霊碑を建てる会」)を立ちあげて募金活動を行ってきました。
 また、毎夏にはイトムカの水銀埋立跡地に建つ「水神」碑前で追悼式を行い、秋には留辺蘂町公民館で講演会を行って皆さんに訴えてきました。
 現在募金目標の200万円を超し、デザインを担当してくださる方も決まり、建立地も留辺蘂町内に目途がつきつつあります。あと一息ですが、もとより最低の目標金額ですので更なる上積みをご協力・ご支援いただけたら嬉しく思います。
 (振込先 ゆうちょ銀行 口座記号02700  0 口座番号49230
加入者名 慰霊碑を建てる会)
 詳細はTEL(011)563の7876木村まで よろしくお願いします。

 6月14日に美唄の現地を視察

歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)
 記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会

   6月14日に美唄の現地を視察

 6月2日、札幌おおぞら法律事務所で、歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)の記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会の第5回目の会議が開かれました。
 田中弁護士から報告が行われました。1、長崎の高島に記念碑を設置することが決まった。業者との工事請負契約締結済み。2020年10月に除幕式を予定。
2、6月6日に強制連行全国弁護団会議が開かれ、各地の状況報告がなされる予定。
 議事について、「設置場所」について、実行委員会として、美唄市に申し入れるけんについて協議。
 〇実行委員会メンバーがまず現地を視察する必要がある。
 日本中国友好協会美唄支部の供野周夫さんと寺本千名夫(元専修大学北海道短期大学学長)にも参加してもらう。
 〇現地調査を踏まえ、今後の進め方について次回委員会で議論する。
〇次回委員会は6月30日(火)午前11時から札幌おおぞら法律事務所で開くことが決まりました。


今年は日中友好協会 創立70周年の年

今年は日中友好協会
   創立70周年の年

   皆さんの寄稿をお願いします

  日中友好協会北海道連会長 鴫谷 節夫

 日中友好新聞の「日中友好協会の70年」はテーマを立てて連載されています。
 「中国人殉難者への慰霊祭の取り組み」の項で私も書かせて貰いました。
 道連でも「札幌支部編集版」で1月号に高橋忠明さんの「協会創立70周年に寄せて」が載りました。誠に心を打つものでした。残念ながら、これが遺言になってしまいましたが、5月号には影浦事務局長の興味深い追悼文が載り、良い特集になりました。
 私も尊敬する武田篤朗さんの記録「あるSL労働者の旅路」を紹介しました。
 皆さんにお願いです。
 今年1年を通じて、協会創立70周年に寄せてというテーマで、思うところを寄稿していただけませんか。それによって、私たちの活動の足跡を残したいと思います。

2020年4月24日金曜日

高橋忠明さんを悼む

 日中友好協会札幌支部理事
 高橋忠明さんを悼む
          札幌支部 事務局長 影浦 貞宏

 【最後の最後まで頑張り通しました】
 3月12日に奥様から「主人はもう長くないんです」と沈んだ声で連絡を受けて、22日目の4月3日に高橋さんは帰らぬ人となりました。
 今年の新年交流会に「今一、調子が悪いんで参加できない」という連絡を頂きました。それまでは一度も欠かすことなく参加されていたので、だいぶ具合が悪いのだろうかと心配していましたが、これほど早く逝ってしまわれるとは思ってもみませんでした。
 奥様の話では、最後の最後まで、ご自分で、トイレで用を済まされたそうです。
【無類の酒好きでした】
 高橋さんはお酒が好きな方で、二・三度一緒に飲む機会がありました。かなり以前の話ですが、高橋さんと小川勝美さん、そして私の酒好き3人が、新札幌で酒を酌み交わしました。帰りは私の妻を呼んで、小川さんと自宅まで送ることにしました。大麻扇町の何とかという、昔の小さな商店街まで行ったのですが、それから先の自分の家が分らない。やむなくご自宅に電話をかけましたら、ご家族が迎えに来てくれました。高橋さんは借りてきた猫のようにしょんぼりしていたのを思い出します。
【こうと決めたらテコでも動かない、頑固者】
 高橋さんはなかなかの頑固者でした。でも間違ったことは言っていません。いい加減が嫌い。曲がったことは大嫌い。でも私はそんな高橋さんを尊敬していました。顔に似合わずはにかみやで、例えば幼少時代の満州の話や北大時代の学内の要求闘争の話はするが、ご自身の家庭の話はあまりしませんでした。どこか渥美清的なところがあって。ご家族思いが垣間見えました。
【たくさんの蔵書を寄贈してくれました】
 事務所の事務局ノートによれば、2012年12月5日から、事務所に来る度に、ご自宅の重い蔵書を引っ提げて、バスと地下鉄を乗り継いで持って来られました。私は、感謝の気持ちを込めて「寄贈 高橋忠明氏」と末ページにシールを貼りました。昨年の11月20日、札幌支部理事会の時まで、蔵書の寄贈は続きました。実はその日がお会いした最後の日となりました。
 その時「影浦さん、これ貰ってくれないかい」と言って分厚くて古い本三冊、手渡してくれました。「これは日中に関係ない本だから」。それは「落語全集 上・中・下」巻でした。高橋さんのイメージとはちょっとかけ離れた本でした。
 その本と一緒にもう一冊「曠野の残像」という本を頂きました。編集・発行者 高橋忠明。その中に「一冊の本 落語全集 下」という回想文があります。その中にご自身を評して「いつも眉間にしわを寄せているお前に、似つかわしくない」と書いていらっしゃいました。
 満州の敦化というところで少年期をすごした当時の旧友と半世紀を経て再会した会話が主でしたが、最後のページにこの本のことが書かれています。
 敗戦になって中国人の暴動やソ連兵から逃れていた時、吉林駅で偶然隣に住んでいた岡村さんに出会い世話になる。妹はその家で亡くなった、その時その家から頂いたのが落語全集の下巻で、床に臥していた自分を慰めてくれた(上・中巻は日本に帰ってきてから、捜し求めたもの)。
 高橋さんは落語全集の「笑」と題した新渡戸稲造の序文を引用してこう記しています。
 「人生について考えても深い悲しみがあるにも関わらず、之の殆ど関係無きが如き浅はかな事柄が人生にあれば、その矛盾が著しく見えて可笑味を感ずる。故にユーモアを持つ者は心に深き憂いを抱く者に多い。」

《武漢支援募金》の経緯と 皆様へのお礼

《武漢支援募金》の経緯と
       皆様へのお礼
 吉田邦彦(北海道大学大学院法学研究科教授、           
                           南京師範大学兼職教授)

  これまで偶然武漢大学などで、報告・講演の機会があり、武漢市武正街については、論文を書いていて(拙著・都市居住・災害復興・戦争補償と批判的「法の支配」(有斐閣、2011,98頁以下)、中国の諸都市の中でも武漢は、私には、もっとも縁が深い場所になっていました。今年1月23日の都市封鎖以来、華中師範大学に赴任した教え子の李雯静さんには、メールが届かなくなり、ようやく1ケ月ほどして、2月中旬、たまたま手帳に書き付けてあった電話番号で彼女に繋がりました。その時李さんは、辛い生活をしていて、絶句して電話の向こうで泣いており、こちらも胸が詰まり、「武漢は今大変です。でも何も心配しないでください。郵便物など届きませんですから」との片言の返事でした。そして、「札幌では長い間お世話になりました」と過去形で話すのを聴き、ものすごい恐怖にさらされていることを察知し、涙が止まりませんでした(李さんとはそれまで屡々メールでやり取りしており、眼科医のお母様が、乳癌に倒れられ、看病・介護で昨年は本当に疲れたので、もう故郷の長沙に戻りたいと言っていた矢先の、春節直前の都市封鎖でした)。
 「何もするな」と言われても、では一体何を彼女にしてあげられるのだろうか、と途方に暮れました。間もなく上海の弁護士の許晨君から連絡があり、「寄付くらいしかできないだろう」とアドバイスを受けましたが、無力な自分でもできるのかと躊躇しました。しかしそこで思い出されたのは、個人的にも面識があった、昨年凶弾に倒れた故中村哲医師の『吉田さん、思いついたら、どんな小さなことでも自分からやり出さなければいけない』という言葉でした。そこで札幌中国領事館の兪昂さんに電話してこの事情を申し上げたら、領事館としても応援すると仰ってくださり、何といっても、日中友好協会札幌支部の小川勝美理事長が二つ返事で、全面的に協力して下さいました。お礼の言葉もなく、草の根の市民の皆さんの善意を間近に見る思いで、嫌なことが多い昨今、李さんのおかげでよい思いをさせていただき、逆に私は、彼女に感謝しています。
 ほぼ同時期に、南京師範大学の趙莉教授から、僕の教え子の蘇州で弁護士をしている何天宏君(南京大学卒)ら上海圏の弁護士仲間で(彼も仁木の慰霊祭に行っているので、小川さんはご存じだと思います)、北大に沢山のマスクを送ってくれたことを知らされて、彼らの思いの深さに感銘を受けるとともに、こうした草の根の日中友好の連帯が広がっているのを実感しています。(同君は、日中友好協会の我々の動きを知っており、おそらくそれに呼応する動きだと思います)。
 今やコロナウイルス問題は、世界的なパンデミックをもたらし、楽観を許さない状況です。武漢も4月8日に都市封鎖が解除されても、従来通り制約の多い都市生活は何も変わっていないことは報ぜられています。 駐米中国大使の崔天凱氏が強調されるように、今コロナウイルスと立ち向かうために求められているのは、《米中、そして世界の連帯》ではないでしょうか。武漢からは数多くの学ぶところがあると思います。我々が行ったことはごくささやかなことでしたが、今後長期戦を強いられるこの世界的試練にどう対処したら良いのかを、これを機縁に皆様とともに考えたいです。
 日中友好協会の皆様、ご協力、本当に有り難うございました。
                                 武漢大学で李さんたちと
          下は華中師範大学での講演後に李さんたちと

2020年4月6日月曜日

 美唄への三菱マテリアル基金記念碑  来年10月に除幕式を

 美唄への三菱マテリアル基金記念碑
 来年10月に除幕式を

3月31日、おおぞら法律事務所で、第4回記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会が開催されました。
 田中貴文弁護士から、全国連絡会の報告や安田侃氏・琢氏との打ち合わせや契約書案などについて報告が行われました。北京での管理委員会が新コロナウイルスで中止になりましたが、4月26日に全国連絡会が開かれて、記念碑建立の予算配分などが確定したら、安田さん側と契約を行う。 制作・設置に1年間かかるので、来年10月10日(日)に除幕式を行うことでどうかとの提案があり、参加者で協議して決定しました。
 記念碑とともに、中国人被害者1637人の刻銘版をステンレス版に刻み設置するなどを確認しました。

2020年3月30日月曜日

武田篤朗さんのこと 協会創立70周年に寄せて

武田篤朗さんのこと
 協会創立70周年に寄せて

                      北海道連会長 鴫谷 節夫

 私は1958年4月、倶知安農業高校に採用されて北海道にやって来た。60年安保で北海道の労働組合が派遣した上京抗議団に北海道高教組の代表として参加した。同じく小樽から参加した相場実さんに勧められて、日中友好協会に加入した。これが私の人生を決定した。協会歴は60年になる。
 当時の小樽支部には、すぐれた先輩がたくさんいて、しかもそれぞれが深い中国とのかかわりを持っていて日中友好について考えさせられることが多かった。
 武田篤明さんは満鉄のSLの機関士で、引き揚げてきてからは小樽築港機関区の機関士をし、共産党の市議も三期務め、日中の役員をはじめ多くの民主団体の役員として活躍した人である。
 1997年、84歳になって活動に一区切りつけ「あるSL労働者の旅路ー八十年かけあるき」を出版した。238頁の詳細な自伝であり理性的考察の記録である。「あとがき」に次の一節がある。
 
 私の人生に決定的影響をもたらした「新中国」は、「文化大革命」や「天安門事件」に見られるように大きく変貌し、人々を感動させた当時の「良さ」は昔語りとなった。私は中国人民との友好は願いつつも、政権に対する信頼は、事実と道理にてらして、強い不信感に変わった。
 しかし、四千年の歴史に培われた中国人民の知恵と潜在力は、何時の日か民主的政権をわが物都し、曾ては国際的評価を得た「平和五原則」に光を当てるであろうと期待される。
 
 日本共産党は先般の党大会で綱領を一部改定して、「社会主義をめざす新しい探求が開始され」以下の部分を削除した。日中友好運動を進める私たちにとって武田さんんの指摘は深く考えさせるものがある。

 北海道大学中国人員友好聯誼会からのメール

この度、本会の募金活動に理解いただき、大変感謝しています。あいにくですが、今回武漢への募金活動は迅速に国内医療チームを援助することを目的とし、募金期間が短く、先週に終了致しました。
 現在、道内の感染者数が増え続けており、本会は、留学生に使わせるマスクの募金を行っています。今回の援助金(5万円)を留学生のマスクの募金活動に使ってもよろしいでしょうか?引き続き、何卒よろしくお願い致します。

 武漢の李雯静さんからの感謝のメール

こんにちは。お世話になっております。李雯静(リブンセイ)です。ご支援いただきまして本当に心より感謝しております。
 北大で博士号を取得した後、2016年から武漢の華中師範大学副教授として勤めております。
 今年1月23日に武漢は突然封鎖され、市民は外出しないよう命じられました。それとともに、大学での講座なども封じられたままです。
 実は去年の12月末から原因不明の肺炎が武漢で広まっていたようですが、政府はそれが個別的な状況だと公表し、正確な情報は公開されませんでした。
 母親は昨年乳癌と診断され、切除手術を受けた後に、3週間に1回病院で抗がん剤の注射が欠かせませんが、封鎖とともにすべての交通が止められ、病院に行くのがとても不便です。しかも30平方米の大学の宿舎に私と両親は2か月余り外に一歩も出られず、精神的なストレスをすごく感じました。食料品なども全てネットで注文して暮らしています。
 日本でも何かと大変なときに、吉田邦彦先生はじめ、日中友好協会の親切な皆様に恩情をいただき非常に感謝しております。
 北海道で6年間生活して、日本人の思いやりの暖かさに何度も触れ、日本が大好きになりました。
 今後とも日中友好のかけ橋として活躍したいです。皆様におかれましては毎日健康かつ元気にお過ごしされますようにお祈りいます。重ねて感謝申し上げます。

武漢支援募金に ご協力いただき 感謝します

 北海道大学法学部大学院吉田邦彦教授の武漢支援の呼びかけや北海道大学中国人留学生・学友会からの武漢支援募金の訴えに基ずき札幌支部としても全道の会員・準会員の皆様方に特別の募金をお願いしました。
 札幌支部の事務所に早速お持ちいただいた方、吉田先生の5万円を筆頭にゆうちょ銀行に振り込んでくださった方がありました。
 また、3月の会費や準会費(日中友好新聞代)の納入とともに武漢募金と明記して送金してくださった方や寄付金襴に3千円、5千円などと、また、1万円で準会費3か月分の残り6844円をお寄せいただいた方など、422円、688円と区切りの付く金額の端数を募金としてお寄せいただいた方などたくさんの方々にご協力をいただきました。
 小樽支部の鴫谷節夫さんからは、中国人殉難者全道慰霊祭事務局として3万円、釧路支部は2万5千円、苫小牧支部は2万円などお寄せいただきました。
 室蘭支部は、3月17日、室蘭工業大学の中国人留学生の募金活動に3人の支部員が参加するとともに、支部として5千円を募金、参加した3人も募金。学生方たちのご協力もあり、募金額は3万円を超えました。
 募金額は、3月9日に、北大学友会に5万円、北大吉田武漢支援口座に5万円を送金しました。
 23日に北大吉田武漢支援口座に12万円を送金しました。
 合計22万円送金しました。
 吉田先生が、25日、武漢に送金しました。

2020年3月2日月曜日

新型コロナウイルスによる中止・延期のお知らせ

3月20日に予定していました中国百科検定は中止・延期します。
札幌支部の太極拳活動・中国語教室も3月は中止を決めました。

中国の新型コロナウイルスに対する 武漢への支援募金のお願い

中国の新型コロナウイルスに対する
    武漢への支援募金のお願い

      李雯静さんへの募金
 北海道大学法学部大学院教授の吉田邦彦さんから、教え子で武漢市の華中師範大学の李雯静さん(副教授)支援募金のお願いが寄せられています。
 会員・準会員の皆様の温かいご支援をお願いします。
 李雯静さんは吉田先生の教え子で、北大で博士号を取得し、中国に戻り、いま、武漢市の華中師範大学で副教授を務めています。
 湖南省のお母さんが乳がんのため、李雯静さんが両親を武漢に呼び、お母さんの抗がん剤治療を行っているさなかに新型コロナウイルスが発生しました。
 商店や市場は閉鎖、外出も禁止の状態で、狭いアパートで3人が暮らし、買い物はすべて通信販売とのことです。吉田先生がやっと電話連絡を取ったところ、窮状を泣きながら話されたそうです。
 北大在学中は、日中友好協会の新年交流会や仁木の中国人殉難者全道慰霊祭に毎年参加され、札幌支部と留学生との餃子作りパーティーにも参加しています。中国の大事な友人です。
 皆さんの募金をよろしくお願いします。
 お寄せいただいた募金は中国領事館と相談して李雯静さんの口座に送金します。
 
                                武漢市の華中師範大学の前で李雯静副教授


         留学生の学友会からも募金のお願い
 2月27日、北海道大学中国人員友好聯誼会からも日中友好協会に募金のお願いが寄せられました。 
 武漢ではマスクや防護服が乏しいとのことで、皆様からの募金で防護服やマスクを購入して武漢にも来るとのことです。
 会員・準会員の皆様の温かいご支援・ご協力をお願いします。

武漢市の華中師範大学の李雯静さんと北大学友会への募金は下記口座によろしくお願いします。日中友好協会札幌支部が責任をもって送金いたします。  
 
送金先
 ゆうちょ銀行
  記号 19000
 番号 39585911
 名前 日本中国友好協会札幌支部

道連理事会を開催

第55回中国人殉難者全道慰霊祭の成功と
全国大会と道連総会にむけて会員準会員の拡大を

2月17日、道連事務所で理事会を開催しました。前日からの大雪と体調不良者が出て出席者は多くありませんでしたが、この間の活動について総括・意見交換を行い、各支部の活動の交流を行いました。
 道連版新年号の発行やカレンダーの普及活動、新年号の名刺広告などと1月26日に開かれた新年交流会について討議しました。
 今後の主な活動について討議しました。
 3月20日にと期日が迫っている中国百科検定の受験者が少ないので多数受験するよう働きかけること。
 美唄に記念碑を建立する計画の三菱マテリアル基金北海道実行委員会(準備会)を3月31日に開催するなどの諸活動。
 6月28日(日)に計画している中国人殉難者全道慰霊祭は第55回の節目の年に当たり取り組みを強化し、大きな成功を勝ち取ることが大事と強調されました。
 5月に計画している中国南京市への平和の旅についても検討しましたが、新型コロナウイルスが収まるか見極める必要があるなどと意見が出されました。
 また、天津市の烈士陵園に中国人殉難者慰霊観音像を納めてから10年の節目に当たり平和の旅で9月ごろの訪問の計画でいますが、これらもよく見極めて計画していきたいなどの検討が行われました。
 6月6日、7日に東京で開催される日中友好協会第69回大会、そして、4月の道連総会を23日(木)午前11時から午後3時30分まで開催することを決め、かでる2・7の会場を確保しました。
 特に、大会と道連総会にむけて、会員・準会員の拡大を成功させていくことが大事になっいることを確認しました。

第43回紀元節復活反対 2・11道民集会を開催

2月11日、ホテルライフフォート札幌において、靖国神社国営化阻止道民連絡会(日中友好協会も参加団体)主催による「第43回紀元節復活反対道民集会」が開催されました。
 主催者を代表して、浦瀬佑司氏(札幌バプテスト教会会員)が挨拶され、連絡会の経緯を紹介する中で「連絡会は今年50年目を迎えます。しかしながら靖国神社を国営化しようと目論む自民党政権は『国民投票法』を成立させ『日本国憲法改正草案』を発表し、『集団的自衛権』『平和安全法制案』『国際平和支援法』など、次々と戦争にひた走る法案を強行採決しています。そして2月2日、中東に護衛艦『たかなみ』を派遣しました。
 私たちはこうした危機的な状況にあるからこそ平和、人権、民主主義を守るため、そして『思想、良心、信教の自由を守るための取り組みを強めなければならないと考えます」と開会の挨拶をしました。
「メディアと私たち~忖度・弾圧と表現の自由に抗う」
 武蔵大学社会学部教授
   永田浩三氏の講演
 永田氏は、NHKでクローズアップ現代などのドキュメンタリー番組を作ってきたジャーナリストです。
 最初に最近起こった出来事として
 アフガンで殉職された中村哲医師についてふれ、「水は生きるために欠かすことは出来ません。そして水路は水とともに土砂も流します。さらに水は新たな紛争を引き起こします。憲法も、ともすれば如何様にも解釈され、水路同様つどメンテナンスが必要です」と話された中村哲氏はそのことを体現されました。
「国民を裏切った昭和天皇」
 終戦後の新憲法下での昭和天皇のメッセージについて「沖縄・奄美大島に関して、25年ないし50年、あるいはそれ以上軍事占領を望む」これをマッカーサーに伝えたまさに自身の延命のためのメッセージでした。
 戦時中御前会議で直接指揮をとった昭和天皇の責任は明白です。
  メディアと私たち
 「報道は国のためにあってはならない。報道は国民のためにこそある」
 「語るに落ちた安倍政権」
 麻生副総理の「単一国家発言」を始め、森友、加計、IR贈収賄疑惑、桜を見る会など不正疑惑のオンパレード
 「その中でもあきれる桜を見る会」
 首相枠千人が5~6千人に膨れ、私人の昭江夫人客が146人であったり、マルチ商法の社長が参加したりしている。
 公文書管理のずさんさなど永田教授は厳しく指摘しながら講演しました。
 講演の後、自治体首長要請文や集会宣言を採択しました。
 最後に、参加者全員で「紀元節復活反対」青色のアピールボードを掲げて「紀元節復活反対」を唱和しました。
                          主催者を代表して挨拶する深瀬佑司代表
             記念講演する永田浩三武蔵大学教授
         下は紀元節復活反対のボードを掲げ唱和する参加者

2020年2月3日月曜日

新年交流会 テーブルスピーチ

ルスピーチをいただきました。
 北海道合同法律事務所の佐藤哲之弁護士、たかさき渡部法律事務所の髙崎暢弁護士、菊池三郎先生、北海道華僑華人婦女会周玉蘭会長、晋南貿易の曲健三社長、北海道華僑華人連合会湖軍毅顧問、同富長林名誉会長、
北海道中国会の田義之代表、陶恵栄運営委員長、同中村記念病院の門間敏明さん、中国人
           北大法学部大学院に桑月桂さんのスピーチ
          
札幌支部中国語教室の熊征先生のスピーチ
 留学生李佳昕北日本地区会長など4人が参加、北大法学部大学院桑月桂さん、札幌支部中国語教室の熊征先生、東急ホテルの余秋辰さんなど中国人の参加者が多かったです。 
 小樽支部から9人参加、室蘭支部から松原剛さん夫妻が参加し、それぞれスピーチを行いました。
 
小樽支部の皆さん
 苫小牧支部、帯広支部、釧路支部は、体調不良などで参加がかないませんでした。
 札幌からは、旅システムの青木久美子が参加し、日中友好協会との共同企画で5月の南京への平和の旅や9月の天津への平和の旅などの案内も含めてスピーチしました。
  
旅システムの青木久美子のスピーチ
 札幌支部の中国語教室の熊征先生もスピーチを行いました。
 12月に札幌に来られた東急ホテルの与秋辰さんも初めて参加されスピーチを行いました。
 札幌支部の稲津拓郎理事、重本雅江理事もスピーチ、影浦貞宏事務局長は家族4人で参加し紹介しました。
 札幌関係の参加者の皆さんも全員スピーチを行いました。
   
北大法学部大学院吉田邦彦教授の挨拶と締めの乾杯の音頭 
 最後に、北海道大学法学部大学院の吉田邦彦教授が、中国人留学生の教え子の皆さんが大変優秀であり、中国に戻って大学の教授などになっていることなどを披露しながら締めの乾杯の挨拶・音頭を取られました。
 開会前に影浦事務局長と東急ホテルの余さんが会話をしました。
 余さん「最近中国からの団体客のキャンセルが相次いでいる。私は、通訳と案内を主な仕事にしていますが、この問題は早急に解決してほしいと思っています」と語っていました。影浦事務局長も同感ですと答えていました。
 開会前に参加者全員で集合写真を撮り、閉会前に全員にお配りしました。

日本中国友好協会創立70周年記念新年交流会を盛大に開催

日本中国友好協会創立70周年記念
   新年交流会を盛大に開催
 1月26日(日)12時からネストホテル札幌駅前において、日中友好協会創立70周年記念新年交流会を42人の参加で盛大に開催しました。
 オープニングで新芸能集団「乱拍子」が獅子舞を演じました。今年一年の健康・幸福を願って参加者の頭を獅子が噛んで回りました。おひねりも上がりました。
 鴫谷節夫道連会長が主催者を代表して、中国での新型肺炎を心配しながら年頭の挨拶を述べました。 
 中国総領事館を代表して孫振勇総領事の祝辞を兪昂(ゆこう)領事が代読されました。
 日本共産党札幌市議団の小形香織幹事長が、先の党大会のジエンダー平等などにに触れながら「日中友好の草の根の活動を深めていきましょう」と挨拶されました。
 田中貴文弁護士から、三菱マテリアル基金による美唄への記念碑建立について「今年は無理でも来年は是非実現させたい」と特別報告が行われました。
 勤医協札幌病院の細川誉至雄医師が、昨年、中国の青島での学会に参加したことを報告しながら乾杯の音頭を取られました。
 例年、太極拳を表演していた札幌支部の三木ふみよさんが体調不良のため、小樽支部の木嶋敏子さんが功夫扇を表演しました。
                       
                           新芸能集団 乱拍子の獅子舞
            獅子に頭を噛まれる余秋辰さん
       下は主催者を代表しての鴫谷節夫道連会長が年頭の挨拶
           中国総領事館を代表して兪昂領事の来賓挨拶
       下は、日本共産党札幌市議団小形香織幹事長の来賓挨拶
田中貴文弁護士の三菱マテリアル基金による
            記念碑を美唄に建立する事業の特別報告
            
  昨年、中国青島での外科学会に触れながら乾杯の音頭をとる
勤医協札幌病院の細川誉至雄先生

           小樽支部木嶋敏子さんの太極拳功夫扇の表演

2020年1月10日金曜日

記念碑建立予定地(美唄)の 現地視察も行う

歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)
   基金管理委員会を5月に東京で開催
  記念碑建立予定地(美唄)の現地視察も行う

1月15日、北京で第2回管理委員会が開催される予定です。
 第3回は東京で5月に開催を計画しています。
 東京での開催の折には、記念碑建立の現地視察も計画されています。
 2018年9月11日、日本中国友好協会北海道支部連合会の理事会を開催し、田中貴文弁護士にお越しいただいて、中国人強制連行の被害者や遺族と三菱マテリアルとの和解内容について改めて説明を受け、北海道における「記念碑」建立について検討いたしました。
 昨年2月19日開催された北海道連の理事会で、田中貴文弁護士の「記念碑」建立プランに基づき討議を行いました。

 3月27日、田中貴文弁護士が所属する札幌おおぞら法律事務所で、歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)記念碑」建立・追悼事業北海道実行委員会(第1回準備会)を開催しました。
 7月23日には第2回実行委員会を開催し、美唄市長への要請を行うことなど確認しました。
 9月3日、北海道実行委員会(準備会)は、美唄市の坂東知文市長に、「我路ファミリー公園」内に「記念碑」を設置したいと要請いたしました。
 坂東市長は「受け入れることに問題はないと思うが、関係団体と相談・話し合いをすすめ、早急に決めたい」と回答しました。
 11月20日に第3回実行委員会を開催してきています。
 3月31日には第4回北海道実行委員会(準備会)を開催する予定です。
             写真は美唄市長への要請

協会創立70周年に寄せて

協会創立70周年に寄せて        札幌支部理事 髙橋 忠明 

私は昨年5月に江別の家と土地を売って、「サ高住」といわれる高い ?老人ハウスに転居しました。狭い部屋なので、多くの本や雑誌もすっかり処分してしまいました。
 居間に在った2段の小さな本棚を持ってきましたが、その中に私が北大を退職した年の1993年1月5日の「日中友好新聞」道連版が出て来ました。トップには支笏湖畔にて太極拳の朝練風景と蘭島医院長の日中道連会長の秋保充さんの「年頭所感」と道連役員の連名挨拶が載っています。
 2頁には「新春インタビュー」として藤田昌弘さんが戸谷富之(日中道連名誉会長)さんと輪島隆治(日中道連参与)さんのお二人に聞いている記事があります。
 戸谷先生は北大触媒研究所長をつとめられ、小林英夫先生から城戸幡太郎先生の後の会長を引き受け、仁木町に建てた不再戦友好碑を守って中国人殉難者全道慰霊祭を行い、戦争体験集「再び戦わず」や「知っていますか中国人強制連行」等の本を出し、また、太極拳や中国語の講座を行ってきました。
 札幌の友好団体や労働組合は運動を通しての交流があり、夏の平和行動では40~50団体が実行委員会に加盟して統一行動を展開しました。
 輪島さんは当時の国鉄の機関士で、機労道本、後の「動労」の委員長で、北大経済学部の新川士郎教授に労働講座の講義を頼みに行った。新川教授は「労働運動についてはあなたから学ばなければならない」という返事でしたと語っています。
 ここで私のことを語ります。私は北大教職員組合の書記長を何度か受け持ったことがあり、日本国民救援会にも属していて、白鳥事件や芦別事件の全国現地調査で説明員をしていました。
 日中友好協会から声がかかったのは1991年のビデオ「侵略戦争」と元特務機関員だった永富博道氏の証言を聞く集いを行いました。また、強制連行で強制労働された李万忠さんの証言を聞く会を開き、裁判の支援も行ってきました。この証言を「侵略戦争 加害と被害の証言」の本にまとめ、ブックレットも刊行しました。
私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
 この撫順では平頂山事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。
私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
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私の子供の頃は満州国(中国東北部)で、1年生は延吉、日本が敗戦になった時は敦化在満国民学校6年生でした。そして敦化から吉林、そして少しでも温かい撫順へと移動しました。
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 この撫順では平頂山事件事件も知らないで、その山をかけ降り、西露天掘炭鉱で石炭を盗掘し、それを売って紅い高粱(こうりゃん)を食べ、何とか生きてきました。その責めを私はまだ果たしていませんし、日中友好運動に参画するのが協会創立の翌年に入会した私の責務です。


北海道中国会の 懇親会に参加

 昨年12月1日、北海道中国会の2019年度総会が開かれ、その後の懇親会に、日中友好協会から、小川勝美理事長と影浦貞宏事務局長が参加しました。
 田義之代表の挨拶で始まり、中国領事館の孔多孜玉素甫副総領事の来賓挨拶などが行われ、財界さっぽろの舟本秀男社長の乾杯の音頭で懇談が行われました。
 余興では、北海道大学に留学している女子学生のダンススクール「華」のダンスパフォーマンスが披露され、陶恵栄運営委員長の役員紹介などが行われました。
 閉会挨拶を日本中国友好協会の小川勝美理事長が行いました。
 小川理事長は、中国会の皆さんが、仁木町の中国人殉難者全道慰霊祭に多数参加されていることに感謝し、来年が協会創立70周年であることを紹介しながら、みなさんとともに草の根の日中友好運動を一層すすめる決意を述べました。
                                中国人女子学生のダンスパフォーマンス
               小川勝美理事長が挨拶
             下は参加者全員で記念撮影