2019年12月17日火曜日

北海道華僑華人連合会 焼肉交流会

 11月9日、北海道華僑華人連合会の2019年秋焼肉交流会が北海道ビール園で開催され、日中友好協会から小川勝美理事長と影浦貞宏事務局長が参加し、華僑華人連合会の皆さんや中国総領事館の孫振勇総領事夫妻と交流を深めました。
 王埼幹事長の司会で会が進行され、主催者を代表して烏日娜(オリナ・内モンゴル自治区出身)会長が挨拶されました。
 オリナさんは、「17年前から秋の交流会として焼肉パーティーを開催してきました。「当初は札幌サトランドで開催し、朝早くから準備しました。
しかし、雨天などの時は大変でした。そこで、アサヒビール園や札幌ビール園などで開催してきましたが、参加する人の交通の便を考えまして、都心の北海道ビール園での開催となりました」焼肉交流会の経緯を述べながら挨拶されました。
 来賓挨拶に立った、中国総領事館の孫振勇総領事は、「北海道華僑華人連合会の皆さんは、中日友好のために草の根で活動されていますことを高く評価します」などと祝辞を述べられました。
 乾杯を行い、楽しく焼肉パーティーが進められ、最後に、お楽しみ抽選会も行われ、全員に賞品が当たりました。
 終了後、バートル・オリナ夫妻が同じビルの4階に新しく開いた日本料理店「和縁亭」で二次会が行われ、小川、影浦の2氏も参加しました。
              挨拶されるオリナ会長
           下は来賓挨拶される孫振勇総領事

札幌支部理事会を全員参加で開催

11月20日、支部事務所で、 札幌支部理事会を全理事が出席し開催しました。
 この間の主な活動について小川勝美理事長が報告しました。
 第54回中国人殉難者全道慰霊祭に中国人留学生が最多い26人参加し、慰霊祭募金が80件、約28万円寄せられましたが慰霊祭事務局への協力金や貸し切りバス代などの支出が募金では賄いきれず支部財政から補填している状況などの報告されました。美唄への「記念碑」建立や太極拳サークル、中国語教室についても報告・討議、本部理事会から提案された、組織改革案についても話し合われました。
 今後の主な活動について討議しました。
 カレンダー36部の残数の普及を急ぐこと。年末募金の目標35万円をなしとげること。また、1月26日の新年交流会に多数参加し、在日中国人・留学生などと交流を深めることなどについて討議しました。
 23日に中国北京中央テレビが当別の劉連仁生還碑を取材に訪れるなどが報告されました。
 また、減少傾向が続く会員・準会員の拡大に力を入れて取り組むことなどが話し合われました。
 郵便料金の値上げが財政を圧迫、来年4月から振替通知書も1通100円かかり、無料のネットに変えることを討議し決めました。

歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)第3回記念碑建立等北海道実行委(準備会)

 11月20日、札幌おおぞら法律事務所で、歴史・人権・平和基金記念碑建立・追悼事業北海道実行委員会の第3回準備会が開かれました。
 田中貴文弁護士から、9月26日北京で開かれた「基金」第1管理委員会について報告が行われました。
 続いて、11月9日、中国人強制連行全国弁護団会議が開催され、9月8日に美唄市に要請をした北海道の準備状況や福岡、尾去沢などの状況も報告されました。
 また、1月15日に北京で第2回管理委員会が開催され、3月に第3回管理委員会が開かれます。
 北海道実行委員会の第4回準備会は3月31日開催される予定です。
 この会議に、日中友好協会から鴫谷節夫道連会長が出席しました。

中国の中央テレビが 「劉連仁生還記念碑」と「伝える会」を取材

 中国の北京中央テレビは、来年の中国抗日戦争勝利及び世界反フャシズム戦争勝利75周年を記念して、「銃剣下の老工」というタイトルで日本に強制連行された中国人の物語をドキュメント化して放映する予定です。 制作・監督の劉海燕(女性)さん、撮影技師の韓宏壁(男性)さん、在日フリージャーナリストでガイドと引率責任者の朱弘(男性)さんの3人が秋田の花岡事件の犠牲者追悼集会の取材を終えたあと、22日、札幌入りし、翌23日、当別の劉連仁生還記念碑を集材しました。 
 当別駅で、札幌支部の小川勝美理事長と当別の「劉連仁生還碑を伝える会」の大嶽秋夫事務局長と今野一三六事務局次長が出迎え、材木沢の「劉連仁生還碑」を訪ねました。
 早速、韓技師が、ドローンのカメラで、「劉連仁生還碑」の上空や周辺状況を撮影。続いて、今野一三六さんがインタビューに答えて、劉連仁さんとの交流や生還碑建立に至る経過などを話しました。また、昨年の生還60周年記念集会や今年の記念誌発刊などについても話しました。
 伝える会が今年発行した60周年記念誌3冊を謹呈しました。
 北京中央テレビの取材チームは、「劉連仁生還碑」の斜め向かいの自宅に、劉連仁さんを保護した時の木屋路喜一郎(91歳)を訪ね、インタビューを行いました。
 木屋路さんは、1958年2月9日かんじきを履いて、袴田清治さんや巡査2人など5人で山を登り劉さんを保護した時のことを詳しく話しました。その後の劉さんとの交流なども話し、記念誌に載っている写真を示し、「この写真は、この家の座敷で撮った」と話しました。
                                          劉連仁生還記念碑
        北京中央テレビのインタビュうに答える今野一三六さん
     自宅で北京中央テレビのインタビュに答える木屋路喜一郎さん