2020年10月30日金曜日

日本中国友好協会  第69回大会をオンラインで開催  北海道から5人が参加

 日本中国友好協会第69回大会をオンラインで開催         北海道から5人が参加

  10月25日(日)10時から17時までオンラインで69回大会を開催し、北海道から苫小牧支部の蔦保収代議員と伊藤貞市評議員、釧路支部から原聰代議員、札幌支部から影浦貞宏評議員、小川勝美本部役員の5人が参加しました。

 大会は井上久士会長のあいさつで始まり、渡辺武副会長がの物故者紹介が行われ、札幌支部の高橋忠明さん、苫小牧支部の及川信廣さんの名前が読み上げられ、全員で黙祷を捧げました。

 小川勝美常任理事は、資格審査委員長に選任され、報告は本部事務局の酒井達夫常任理事が行いました。

 中国大使館からのメッセージなどの紹介に続いて、田中理事長から大会議案の提案や矢崎事務局長からの財政関係の提案が行われ、約50分の昼食休憩の後、13時から代議員や評議員の発言・討論が行われました。 

  北海道からは、苫小牧支部の伊藤貞市評議員が支部の平和活動を民主団体の皆さんと行っていることなどについて発言し、蔦保収代議員は、苫小牧支部の月1回発行している機関紙の活動について発言しました。

 諸議案のすべてが可決され、新役員を選出し、大会宣言を採択して、17時少し前にオンライン大会は成功裡に終了しました。

 

   苫小牧支部  蔦保収さんの感想

 初めての全国大会参加でした。オンラインで、直接全国の仲間と触れ合うことはできませんでしたが、頑張っている方々の顔と話にふれ、良い時間を過ごせました。伊藤支部長と一緒に発言させてもらいましたが、討議のまとめで、矢崎事務局長から良い評価をいただき、励まされました。オンライン会議も良い方法の一つと再認識しました。


 戦後補償問題と民法学  吉田邦彦(北海道大学大学院法学研究科教授・南京師範大学兼職教授)

  戦後補償問題と民法学

    吉田邦彦(北海道大学大学院法学研究科教授・南京師範大学兼職教授)


  1、日中友好協会70周年、戦後同協会が一貫して取り組んだのは『戦後補償問題』であった。仁木での全道慰霊祭は、コロナ渦中でも今年も行われたのであるが、私はそれに出席しながら、この数十年間の協会関係者の草の根の営みは尊いが、改めて「中国強制連行・労働の犠牲者の思いは充分報われたのか?」との問いを発しながら思いを巡らせていた。夕張の傍の北炭角田鉱での地獄のような経験をされた故鳳儀萍先生(広州大学医学部教授)は泌尿器科の権威であられて、同大学病院も訪問した。先生は、生前何度もこの慰霊祭に参加されたけれども、亡くなる前に何度も「北海道に行き、もう一度申し上げたいことがある」とのメールをよこされた。一体それは何だったのか。強制連行問題と言えば、もう十年余り前に、花岡事件のリーダーの耿諄さんの中国河南省の自宅を章程君(浙江大学副教授。当時北大院生)とともに訪ねて(当時弁護団とも没交渉状態だった)、その思いのたけを伺い、達筆の書を戴いたのも一生忘れられないことである。

  2、私は今、平和都市広島でこの文章を書いている。広島安野の西松建設の悲劇に関する最高裁のリーディングケースが下され(最判平成19(2007)4月27日)(一般的には敗訴判決などと言われたりするが、戦後補償の道義責任の重さに鑑みると、そこで『付言』で同責任に触れられ、企業との交渉・和解の必要性が説かれた意義は小さくないだろう)、それに基づき、和解が(そして和解の碑が)築かれてからの10周年行事が行われたのである(2020年10月17・18日)。この二つの行事に参加して思うのは、第1に、こうした《過去の不正義に対する償いの営み》は、人権・人道問題で普遍的課題であり、党派的な問題にしてはならないこと、第2に、補償問題で議論をリードすべきは、法律家であり、格好の法学教育のフィールドワークであるのに、❘❘当該事件の関係者の弁護士は別として❘❘どうしても法律関係者はもっと参加しないのか、ということである。我が国の歪みである。

 3、戦後補償問題は、民法学の問題の宝庫でかつ社会的に重要案件との思いから、その勉強をするようになり、20年余り経つが(勉強を始めた頃は、劉連仁第1審判決(損害賠償認容判決)が社会の耳目を集めた頃だった)、日中友好協会の長年の取り組みをされる小樽の鴫谷先生などに比べれば、まだ青二才であろう。

   ただ、専門との関係で、何故この問題が民法の根幹に関わるのかを、本問題で提起される問いを列挙することで示してみよう。①「西松建設のような大企業ならともかく、港湾の中小企業(例えば、酒田の事例)や企業倒産(例えば、北炭の場合)、強制連行・労働政策を推進した国の責任を問うことは不可欠である」「その場合に、《国家無答責》を説くことで良いのか」(当時は、国家賠償法(国の不法行為責任)もなかったからとの理屈。しかし、安全配慮義務違反(国の契約責任)という論法もある)、②「不法行為責任は、除斥期間(20年)(今般の改正で時効とされた。改正前から時効説が多数)ゆえに、なくなるとしてよいか」(それを伸ばす事例もあるし、我が国の時効援用制度を作ったボワソナードは、それは《良心規定》と言い、胸に手を当てて疼しい人は援用してはならないと説いた)、③「上記判例は、個人的請求権は日中共同声明で消滅した」と説いたが、「行政は、シベリア抑留事例などで、日本人に関して個人請求権は残るという(柳井条約局長ほか)。矛盾ではないか。」「大体免責を当事者の頭越しに行うのは公序に反して無効ではないか(民法の鉄則)」、④、「道義的責任は残ると説き、交渉を勧める西松最高裁の論理は、その意味で『自然債務』という法的責任を認めることであり(従来の法と道徳の峻別はおかしくないか)、その論理は国との関係でも妥当しないか」、⑤、「戦後補償の究極目標は、関係修復であり、その際には、道義的責任は不可欠である。誠実な謝罪がまず説かれるのは、それを示す。」「民法が金銭賠償主義を採るのは、補償プロセスの核心を歪める面もあり、従来の法律家は金銭賠償中心主義に囚われ、被害者の思いを閑却していないか」(その点は、2015年の慰安婦合意へのハルモニの反発にも示される)等など、わからないことだらけ、未解決問題だらけなのである。

 4 ちょっと法律用語もあり難しいかも知れないが、慰霊祭に集う皆様は、いずれも平素から疑問に思われることばかりだろうと思う。そしてこの問題の前向きの解決なくしては人権問題に向き合う国として、我が国が真の国際社会の範となり、そして東アジアの隣国の真の関係修復は難しい。日中友好協会関係諸氏には、釈迦に説法であり、この駄文は屋上屋を架するものだろうが、敢えて専門との関係を述べてみた次第である。こうした法律学の根幹問題により多くの法学徒が関心を示し、日中友好の営みが今後とも益々充実していくことを願ってやまない。                           

                                                              (2020年10月19日早朝) 

2020年10月5日月曜日

 第13回「劉連仁生還記念碑を伝える会」総会を開催

  第13回「劉連仁生還記念碑を伝える会」総会を開催


8月23日(日)午後2時から当別町若葉会館に於いて、第13回「劉連仁生還記念碑を伝える会」総会が開催されました。日中友好協会から影浦貞宏事務局長夫妻が参加しました。

 総会の議案は、①2019年度の活動報告並びに収支決算報告②会則の改定③2020年度の活動計画および収支予算案④役員改選でした。

 総会は大嶽秋夫事務局長の司会で進められ、初めに大澤勉伝える会会長が挨拶されました。会長は「コロナ禍の中で総会をなかなか開くことできず、8月にまでずれ込んでしまった。総会を開かないことには前に進むことができないので、3蜜を避ける形で実施することにしました。しかしこの間活動を停止していたわけでありません。その活動内容については大嶽事務局長の方から後ほど報告があると思います。コロナ禍の中、そして大変暑い中ご出席頂き有り難う御座いました」と挨拶されました。

 次いで、影浦貞宏 事務局長来賓挨拶で「劉さんが逆転敗訴になったことに触れ、逃走当時中国には国家賠償法という法律がなくて、あったのは国家無答責という法律でした。日本人が中国の公務員に被害を受けても中国はその責任を負わないというものでした。逆に日本人が犯した罪に対して日本国は責任を負わないというものでした。戦後平和憲法が制定され戦前の法律が否定されたにも関わらず、当時の法律を盾に請求を棄却したという判断は、時代錯誤も甚だしい」と述べ。次いで「劉連仁さんが強制連行された同じ年、小野田寛郎(ひろお)陸軍少尉がフィリピンのルバング島に出兵。彼が帰国した際は日本は専用特別機を出し、政府も報道も英雄扱いであったこと。彼の回顧録『わがルパング島の30年史』(津田信著)に帰国までに殺害や強奪を繰り返して生き抜いたと記載されているにも関わらず、劉さんの処遇とは天と地ほどの扱いがありました」と述べました。

  【20件ほどの取り組みの中で】

 次いでこの1年間の活動を大嶽事務局長が報告。その中で8月に北海道PHP友の会のメンバー24人が、記念碑を訪れたと報告。PHPとは戦後松下産業の松下幸之助氏が提唱した、「平和・幸福・繁栄」を目指す団体として創設。こうした人たちに少しでも多く来て頂き、理解して頂くというのは大変良いことだと思います。また、2月、劉さんが雪籠りされた現場を8人の方たちで訪れたとの報告がありました。

 【劉連仁生還記念碑そばにBОⅩ設置】

 8月13日、目黒敏弘さん手作りによる「劉連仁生還記念碑来訪者BОⅩ」を、碑の近くに設置したとの報告がありました。中には活動の略史と署名(感想文も記入)を入れた、大変丈夫なものとのことでした。

【新年度の役員の改選が行われ、役員改定案が了承されました】

 会長の大澤勉氏が顧問になられ、新会長に目黒敏弘氏が就任されました。

第28回 10・9中国人殉難者慰霊の集い

  第28回  10・9中国人殉難者慰霊の集い

 10月9日、室蘭市の中国人殉難烈士慰霊碑前で、第28回10・9中国人殉難烈士慰霊の集いが開催されました。

 小樽、札幌、岩見沢と地元室蘭から48人が参列し献花を行いました。室蘭工業大学の中国人留学生が14人参列しました。

 集いは、全員で中国人犠牲者の御霊に黙祷を捧げ、松原剛実行委員会代表の挨拶の後、全員で順次献花をしました。

 中華人民共和国駐札幌総領事館の追悼の言葉を代読。 中国人殉難者全道慰霊祭の鴫谷節夫事務局長(道連会長)が27日の慰霊祭に室蘭から多数参加されたことに感謝しながら挨拶。撫順の奇蹟を受け継ぐ会の挨拶の後室蘭市長などのメッセージを紹介し、室蘭合唱団「あすなろ」の追悼合唱で集いは終了しました。 

 心配された降雨は無く、例年の交流会は、新型コロナ感染防止で中止しました。

第55回中国人殉難者全道慰霊祭 仁木町民センターで厳粛に開催

  第55回中国人殉難者全道慰霊祭

 仁木町民センターで厳粛に開催

 9月27日(日)、第55回中国人殉難者全道慰霊祭を仁木町町民センターで厳粛に開催し、88人が参列しました。

 中国人留学生は、北海道大学から6人、室蘭工業大学から9人が参列しました。

 慰霊祭は、浄土真宗大谷派北海道教区北三組の教照寺、正念寺、浄秀寺、宝海寺、宝泉寺の5か寺の5人の住職によって執り行われました。読経に続いて、北三組 組長 教照寺住職 釈大観 様が「表白」(別掲)を述べました。

 続いて読経の中、参列者が順次焼香を行いました。

 仁木町の佐藤聖一郎町長が慰霊のことばを述べ、中華人民共和国駐札幌総領事館の孫振勇総領事の追悼のことばを事務局の鴫谷節夫道連会長が代読しました。

 世話人代表の小樽商科大学の穴沢眞学長が参列者に御礼と感謝のことばを述べられました。

 在日華僑を代表して、北海道在日科学技術者連盟の呉敦顧問が挨拶をされました。

 特別報告として、田中貴文弁護士が、三菱マテリアル基金の記念碑建立について報告し、美唄市の我路ファミリー公園に記念碑を建立し、来年の10月10日に除幕式を行う予定であります、皆さんも参列をお願いします、と述べられました。

 慰霊祭終了後、北大や室蘭工大の中国人留学生、在日華僑・華人の皆さんなどが、次々と仁木町墓地の中国烈士園の「日中不再戦友好碑」を訪れ、参拝をし記念写真などを撮っていました。友好碑には花やお酒などが手向けられていました。


   表  白

 敬って大恩教主釈迦如来 極楽能化弥陀善逝 十方三世一切の三宝に白して言さく

 本日ここに有縁参集の人々と共に 恭しく尊前を荘厳し 懇ろに聖教を拝読して 第五十五回中国人殉難者全道慰霊祭に於いて全殉難者津島法要を勤修し奉る

 それ殉難者追悼法要は 故人の慰霊鎮魂にとどまらず 永く強制連行犠牲者の歴史を心に刻み 再び民族の横暴 国家の侵犯を許さぬ決意を新たにする法要なり 

 顧みれば 総そ国家の侵犯は あい憎める国の闘争にあらず あい怨める人の支配にあらず 人間の貪瞋愚痴 真実昏きにより起こるものなり しかれども ひとたび起こらば 人は鬼となり 狂気はあらゆる生存を奪い尽くさんとす 自害害彼 彼此倶害の教え いたく身に沁み 如来の遺教慕う思い 甚だ切なり

 慰霊祭起こりて五十有余年 今にその傷痕に苦しむ人少なからずと雖も かえって中国人強制労働の悲惨を知らざる者 その数を加う 今や長く その殉難の歴史を記憶に留め 謹んで迷界の愚昧を恥じて とこしなえ兵戈用いらざることを誓いつつ 仏恩法尽のつとめに勤しまんことを

 時に令和二年九月二十七日  真宗大谷派北海道教区北三  組 組長 教照寺住職 釈大観

 敬って申す