2020年10月30日金曜日

 戦後補償問題と民法学  吉田邦彦(北海道大学大学院法学研究科教授・南京師範大学兼職教授)

  戦後補償問題と民法学

    吉田邦彦(北海道大学大学院法学研究科教授・南京師範大学兼職教授)


  1、日中友好協会70周年、戦後同協会が一貫して取り組んだのは『戦後補償問題』であった。仁木での全道慰霊祭は、コロナ渦中でも今年も行われたのであるが、私はそれに出席しながら、この数十年間の協会関係者の草の根の営みは尊いが、改めて「中国強制連行・労働の犠牲者の思いは充分報われたのか?」との問いを発しながら思いを巡らせていた。夕張の傍の北炭角田鉱での地獄のような経験をされた故鳳儀萍先生(広州大学医学部教授)は泌尿器科の権威であられて、同大学病院も訪問した。先生は、生前何度もこの慰霊祭に参加されたけれども、亡くなる前に何度も「北海道に行き、もう一度申し上げたいことがある」とのメールをよこされた。一体それは何だったのか。強制連行問題と言えば、もう十年余り前に、花岡事件のリーダーの耿諄さんの中国河南省の自宅を章程君(浙江大学副教授。当時北大院生)とともに訪ねて(当時弁護団とも没交渉状態だった)、その思いのたけを伺い、達筆の書を戴いたのも一生忘れられないことである。

  2、私は今、平和都市広島でこの文章を書いている。広島安野の西松建設の悲劇に関する最高裁のリーディングケースが下され(最判平成19(2007)4月27日)(一般的には敗訴判決などと言われたりするが、戦後補償の道義責任の重さに鑑みると、そこで『付言』で同責任に触れられ、企業との交渉・和解の必要性が説かれた意義は小さくないだろう)、それに基づき、和解が(そして和解の碑が)築かれてからの10周年行事が行われたのである(2020年10月17・18日)。この二つの行事に参加して思うのは、第1に、こうした《過去の不正義に対する償いの営み》は、人権・人道問題で普遍的課題であり、党派的な問題にしてはならないこと、第2に、補償問題で議論をリードすべきは、法律家であり、格好の法学教育のフィールドワークであるのに、❘❘当該事件の関係者の弁護士は別として❘❘どうしても法律関係者はもっと参加しないのか、ということである。我が国の歪みである。

 3、戦後補償問題は、民法学の問題の宝庫でかつ社会的に重要案件との思いから、その勉強をするようになり、20年余り経つが(勉強を始めた頃は、劉連仁第1審判決(損害賠償認容判決)が社会の耳目を集めた頃だった)、日中友好協会の長年の取り組みをされる小樽の鴫谷先生などに比べれば、まだ青二才であろう。

   ただ、専門との関係で、何故この問題が民法の根幹に関わるのかを、本問題で提起される問いを列挙することで示してみよう。①「西松建設のような大企業ならともかく、港湾の中小企業(例えば、酒田の事例)や企業倒産(例えば、北炭の場合)、強制連行・労働政策を推進した国の責任を問うことは不可欠である」「その場合に、《国家無答責》を説くことで良いのか」(当時は、国家賠償法(国の不法行為責任)もなかったからとの理屈。しかし、安全配慮義務違反(国の契約責任)という論法もある)、②「不法行為責任は、除斥期間(20年)(今般の改正で時効とされた。改正前から時効説が多数)ゆえに、なくなるとしてよいか」(それを伸ばす事例もあるし、我が国の時効援用制度を作ったボワソナードは、それは《良心規定》と言い、胸に手を当てて疼しい人は援用してはならないと説いた)、③「上記判例は、個人的請求権は日中共同声明で消滅した」と説いたが、「行政は、シベリア抑留事例などで、日本人に関して個人請求権は残るという(柳井条約局長ほか)。矛盾ではないか。」「大体免責を当事者の頭越しに行うのは公序に反して無効ではないか(民法の鉄則)」、④、「道義的責任は残ると説き、交渉を勧める西松最高裁の論理は、その意味で『自然債務』という法的責任を認めることであり(従来の法と道徳の峻別はおかしくないか)、その論理は国との関係でも妥当しないか」、⑤、「戦後補償の究極目標は、関係修復であり、その際には、道義的責任は不可欠である。誠実な謝罪がまず説かれるのは、それを示す。」「民法が金銭賠償主義を採るのは、補償プロセスの核心を歪める面もあり、従来の法律家は金銭賠償中心主義に囚われ、被害者の思いを閑却していないか」(その点は、2015年の慰安婦合意へのハルモニの反発にも示される)等など、わからないことだらけ、未解決問題だらけなのである。

 4 ちょっと法律用語もあり難しいかも知れないが、慰霊祭に集う皆様は、いずれも平素から疑問に思われることばかりだろうと思う。そしてこの問題の前向きの解決なくしては人権問題に向き合う国として、我が国が真の国際社会の範となり、そして東アジアの隣国の真の関係修復は難しい。日中友好協会関係諸氏には、釈迦に説法であり、この駄文は屋上屋を架するものだろうが、敢えて専門との関係を述べてみた次第である。こうした法律学の根幹問題により多くの法学徒が関心を示し、日中友好の営みが今後とも益々充実していくことを願ってやまない。                           

                                                              (2020年10月19日早朝)