2020年10月5日月曜日

 第13回「劉連仁生還記念碑を伝える会」総会を開催

  第13回「劉連仁生還記念碑を伝える会」総会を開催


8月23日(日)午後2時から当別町若葉会館に於いて、第13回「劉連仁生還記念碑を伝える会」総会が開催されました。日中友好協会から影浦貞宏事務局長夫妻が参加しました。

 総会の議案は、①2019年度の活動報告並びに収支決算報告②会則の改定③2020年度の活動計画および収支予算案④役員改選でした。

 総会は大嶽秋夫事務局長の司会で進められ、初めに大澤勉伝える会会長が挨拶されました。会長は「コロナ禍の中で総会をなかなか開くことできず、8月にまでずれ込んでしまった。総会を開かないことには前に進むことができないので、3蜜を避ける形で実施することにしました。しかしこの間活動を停止していたわけでありません。その活動内容については大嶽事務局長の方から後ほど報告があると思います。コロナ禍の中、そして大変暑い中ご出席頂き有り難う御座いました」と挨拶されました。

 次いで、影浦貞宏 事務局長来賓挨拶で「劉さんが逆転敗訴になったことに触れ、逃走当時中国には国家賠償法という法律がなくて、あったのは国家無答責という法律でした。日本人が中国の公務員に被害を受けても中国はその責任を負わないというものでした。逆に日本人が犯した罪に対して日本国は責任を負わないというものでした。戦後平和憲法が制定され戦前の法律が否定されたにも関わらず、当時の法律を盾に請求を棄却したという判断は、時代錯誤も甚だしい」と述べ。次いで「劉連仁さんが強制連行された同じ年、小野田寛郎(ひろお)陸軍少尉がフィリピンのルバング島に出兵。彼が帰国した際は日本は専用特別機を出し、政府も報道も英雄扱いであったこと。彼の回顧録『わがルパング島の30年史』(津田信著)に帰国までに殺害や強奪を繰り返して生き抜いたと記載されているにも関わらず、劉さんの処遇とは天と地ほどの扱いがありました」と述べました。

  【20件ほどの取り組みの中で】

 次いでこの1年間の活動を大嶽事務局長が報告。その中で8月に北海道PHP友の会のメンバー24人が、記念碑を訪れたと報告。PHPとは戦後松下産業の松下幸之助氏が提唱した、「平和・幸福・繁栄」を目指す団体として創設。こうした人たちに少しでも多く来て頂き、理解して頂くというのは大変良いことだと思います。また、2月、劉さんが雪籠りされた現場を8人の方たちで訪れたとの報告がありました。

 【劉連仁生還記念碑そばにBОⅩ設置】

 8月13日、目黒敏弘さん手作りによる「劉連仁生還記念碑来訪者BОⅩ」を、碑の近くに設置したとの報告がありました。中には活動の略史と署名(感想文も記入)を入れた、大変丈夫なものとのことでした。

【新年度の役員の改選が行われ、役員改定案が了承されました】

 会長の大澤勉氏が顧問になられ、新会長に目黒敏弘氏が就任されました。