2020年8月7日金曜日

 記念碑の設置場所などについて 美唄市に要請

  記念碑の設置場所などについて

     美唄市に要請


 8月3日、歴史・人権・平和基金(三菱マテリアル基金)の美唄市我路ファミリー公園の設置場所などについて、美唄市市長会議室で、都市整備部米澤勝部長等に記念碑建立実行員会から申し入れを行いました。

 実行委員会からは、田中貴文弁護士、藤本明弁護士、日中友好協会から小川勝美道連理事長、美唄支部から山本清作支部長、供野周夫事務局長、寺本千名夫会員(元専修大学北海道短期大学学長)、道日中、フォーラム、の8人が参加しました。

 実行委員からの申し入れ内容を田中弁護士が説明しました。

 それは、1、被害者1637人の氏名を記載した名盤を設置することについて、

 被害者の氏名を確認したいという被害者遺族の心情に応える。記念碑建立を予定している尾去澤、福岡、長崎、宮崎では、被害者の氏名を刻印した銘板を設置する。北海道についても、同様にして欲しいとの各地からの要請がある。「被害者」は美唄だけでなく、夕張、雄別(釧路)に及んでいるので、美唄市の了解が必要と考えている。

 美唄市は「北海道全体の三菱関連の記念碑を美唄一か所にまとめて設置するという趣旨は了解しているので、特に問題はない」と回答しました。

  意見交換の中で、銘板を設置するとしても「記念碑」のイメージを損なわないような形態にする必要がある。石林が林立するようなイメージは避ける。石碑に刻印するのではなく、プレート印刷というやり方もある。

 2、記念碑の設置場所については、出席者全員がそれぞれ意見を述べました。

 橋を渡った先の記念碑2基が設置してある場所については、昭和4(1929)年に三菱が建立した「弔魂碑」が設置されている。「英霊」(日本人の戦死者)を弔う趣旨であるが、これと、中国の戦争被害者の記念碑を同じ場所に設置することは、中国人遺族の感情を害するだけでなく、我々日本人の歴史認識が問われる。

 すべり台が設置してある場所

 「炭山の碑」と一体となって、炭鉱における被害の様々な実相を伝える象徴的空間として位置づけることになる。「すべり台」の土塁に「銘板」を埋め込むデザインが可能になる。国道から見える場所がいい。

 美唄市は、「本日いただいた意見も踏まえ、安田侃氏と、具体的設置個所について協議を進める」と回答しました。

 今後の進め方としては、設置場所について、安田侃氏と美唄市で話し合ってもらいます。